覚醒 前編

あなたを取り巻いている視界や環境音
起こっている出来事、それらがあなただ
ただそれだけだ
これ以上に伝えようがない

だがこの文章では伝わらないかもしれない

あなたはあなたの中を生きている

誰があなたに何を言おうが
その誰かはあなたなのだ
つまりあなたという空間の中で
すべては体験されている

あなたが体験できることのすべては
あなたが生み出しているものだ
あなたが何かに興味を持つとき
それはその対象が
あなただからに他ならない

見るとか聞くとか、
なぜあなたにそれが出来るのか
そもそも見るも聞くも、
そういう事実はありえない
ただそのように錯覚しているだけだ

あなたという空間があり
その中でヴィジョンが見えているように
思い込んでいるのだ
あなたは歩いたこともないし
何かを見たこともない
何かを考えたこともない
そのようなヴィジョンが
蠢いているだけなのだよ

「ヴィジョン」としているのは
何も視界だけではないからだ
五感はもちろんのこと
出来事や状況という関係性により
発生した要素ですら
すべてありもしないヴィジョンなのだよ

これはこのように捉えることができる

あなたは常に誘導されている
もちろんあなた自身に

だからどこまで行こうが
何が起ころうが安全なのだよ
どのような失敗も損害もすべて
「あなたの中」のお話なのだ
そもそも失敗や損害とはなんだろう?
そんなものありやしない
生も死もない
始まりも終わりもない

いいかい

あなたのその世界には
あなたしかいない
この文面が見えるだろうが
これはあなたという空間に浮かんだ
ヴィジョンだ
これを書いている、
というより発生させているのはあなただ

だからあなたはこれを読んでいるし
そもそもこのブログを知っている
あなたに興味がなかったから
「巡り会わなかった」のではないのだよ

あなたが発生させたものは
あなた的には「興味があったこと」
として受け取られる
すべて誘導的であり、同時発生的である

さらにそれらの「関係性」が
同時に生まれるということだ

だから体験などなければ
その対象も実在しない
錯覚なのだ

水の満たされたプールの深い水中で
バケツで水をくもうとしている行為が
「体験」だ

そのバケツは満タンかもしれないし
空かもしれない
だがどちらの事実もなく、
ただあなたという巨大なプールが
ただそこにあるだけである
表現を変えればあなたの正体は
影絵を背後から照らす電球だ
電球はそこでじっとしたまま
スクリーン上の影絵、
つまりヴィジョンだけが動く

あなたはこれを知っておく必要があった
だからこれを読んでいるのだよ
釈迦もイエスも実在しない

そういうヴィジョンを
あなたが発生させたのだ
偉人の記録は「偉人の記録」として
あなたに影響を与えるために
用意されたものだ

あなたがどれだけ本屋を探しても
インターネットを探しても
それなりの情報が手に入るだろう
すべてあなたの自作自演劇である

あなたは日々の出来事、
いわば現実を感じている

なぜ「他の人」とは違う考え方を
あなたはしていると思っているのか

いいかね、
誰もいないのだよ
他人などいない
あなた以外、誰もいない

幸せそうな家庭、
充実した日々を送る楽しい若者達
仲の良いカップル
なんでもいいが

あなたが意識を向けたらそれが生まれる
それらはあなたなのに
あなたはそれになろうとする
だから決してなれない
あなたの性別が男なら、もう男だ
それでも男になろうと憧れて
追い求めるのかね

だがあなたが自らの性別を
特に意識していないとき
そこに男も女もない

じゃあなにがあるのか?
何もないのだよ
ヴィジョンが放映されていない
ということだ

つまり水中でバケツを満たそうとか
カラにしようとか
そういう働きかけに苦労をしているのだ
あなたは単なる光源であり、
単なるプールであり
すべて満たすもの、
ただ「空間」としてあるのだ

あなたはただひとり、ただそこにいる
ヴィジョンが醸し出す風景、
視界や音、出来事、
さらにあなたの肉体すらもヴィジョンだ

笑っても泣いていても
その光景を醒めた目で見ている
自分自身に気付いたら
そこに意識を置きなさい

後編に続く

 


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  1. 愉快 より:

    冒頭の何行目かを読み始めたらきゅうに遠くの車の音や風の音が聴こえて、何故か爆笑しそう

    • 愉快 より:

      送信してから、ああ、読んでないじゃん。と、また笑ってしまった。

      これ以上伝えようがないことを何度も説明した記憶が蘇りました。そんな場面は何度もあって、その都度シチュエーションも説明しようとした内容もちがったのだけど、説明できないものは説明できない。やっぱりコントのようだ。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      いやそれでいい。あなたは世界が自分の単なる観念だということに気付いているのだよ。悲惨な事件が世界のどこかで起きたとする。誰もが「かわいそう」「どうにかしてやらなきゃ」と言った言葉を発する。そしてあなたも同様に彼らと同じ反応を示すことが、ルールとなっている。

      だが「かわいそう」とは一体なんだろう? 実際にはそこで何が起きているのだろうか。

      無論、調べれば調べるほど「悲惨な事件」が浮き彫りになる。だが一体何が浮き彫りになっているのだろう? 自分がそれを在らしめていることをどこかで感じならば、釈然しないその感覚を「やはりかわいそう」という結論で収めてしまう。

      以前にも書いたが、般若心経の内容が官能ポルノであったとしても、仏教徒には有難いのだ。あなたから見たらどう見てもポルノだ。だが真剣な眼差しで彼らはそれを崇めている。

      それは高尚なものでもポルノでもどちらでもない、だがどちらでもある。名もなき「それ」がただそこにあるだけなのだよ。

      あなたが世界をどのように見ているか、ただそれだけのことなのだよ。

  2. komatta より:

    あえてファンタジーな世界があるとするならば。

    世界が私となる前に日本も世界の一部だし。そもそも宇宙はすべてを包括してるのだから。私=宇宙がスケールでかすぎる話ではなく、そのほんの一部の地球の一部の世界の一部の日本でさえ安定ゆらいでるのに。

    よいニュースひとつさえ作れないのに何が私は宇宙で神だと思うときもありますね。それこそ誇大妄想にもちこむエゴの罠なんでないのとかも。
    そうささやいてくるこれこそがエゴなのか、それとも罠なのか。すら判断できない。それで私が神と思うのが笑止千万でとても傲慢な気すらしてしまう。

    単に神の端末の一部に過ぎない。私はセンサーとして極たまに受け取るだけ。感じ取りやすい時があるだけ。だから「わたし」一人が真実でも常に私は二人います。宗教は好きでないが神という表現を使うのは私と表現するのは、この書いてる私が万能と錯覚に陥りそうだから。
    何一つコントロールできない。髪の毛を1センチ伸ばすだけですら。受信のみの端末で、脳内映像を単に眺める鑑賞者であることに気づき自らの死、シャットダウンで設定項目リセットさせて次の映像に変わるを知ることって幸せですか?

    頑張れといわれても知ってしまえば頑張りようないでしょう。実はなにひとつ動かせないのだから。
    それなら錯覚できたほうが努力という概念も有効的に機能するだろうに…。「知らぬが仏」って、そういう意味も含めてたのかな・・・など瞑想しすぎるとこんな考えも浮かんでくるけれど。
    戦えではなく戦いが虚しい…だからすくなくともエゴではない思考だと思います。

    • komatta より:

      それに絡んだファンタジーな体験も一度ある。
      気づく前に、なぜどうなって入ったか解らない航空宇宙の会社に一時いた時、最初の一日目に隣の人に今日、飲み会するからと言われた。そこそこ大きな会社なのに初日に何も社内事項なんて回ってないのに飲み会?と思ったけど「みんな、元気ないから」と。
      ちょうど、景気的によくなかった時かな。
      10年まえほどですが。

      まあ、部署、グループってことかな?で深く考えずに解りましたって答えた。しかし「みんな?」ってと思いながら待ち合わせ場所に行くと誘ったそのグループ長と私含めて3人だった。突っ込まなかったけれど。話も単なる日常会話。一応は歓迎会だったんだろうと。
      してくれるだけで有難いと思って流したけど。
      いまだに「みんなって???」と不思議な体験が多かったとこと残ってる。翌日もそのグループは10人ほどいたけど聞いてたのは、その2人みたいであるし。社内メールも廻ってなかった。
      ?????????みんな?みんな?って?
      ととにかく、他のことも含めて異次元に迷い込んだような不思議なことが多かったような体験でした。

      映像にやたら責任感感じてしまうのも、不思議な体験がある一定の割合で起こったのもある。
      私が実は一人で本当に周りの人が完璧に辻褄合わせてるなら、バリバリ工学な世界のところの話でも納得のいけることは多い。だけどそうだからこそ疑問は抱えきれないほど持つ。みながうそついてるのか単なる妄想か。

      中途半端な神秘体験ならいらないですよね。

    • 愉快 より:

      あなたの書いていることは私の書いていることと同じだ。と、何故か読みながら心で思って、誰が思ったんだろう?わたしは思ってないのにふしぎ!って感じになったー

      わたしも端末だという感覚がある。

      気分と体調によっては、それが素晴らしく思える。

      そしてまさにあなたの言うとおり、一つではなく自分と神、みたいに2つに別れて自分がちっぽけに感じる時もある。

      中途半端に何かを感知させるのはやめてよ!何も知らない虫のようにただ生きさせて、ただ、平穏無事に生きたいだけなのだから。普通に生きていたいだけなのだから。多くを望んでいないのにそれすら不安定な綱渡りなのか?と思うときもあったりする。

      うまくかけないけど、すごく似ている。

    • -自分- 涅槃 より:

      komattaさん

      神秘体験があなたに影響を与えるのではない。あなたがそこで起きている神秘体験そのものなのだよ。スピリチュアルな何かでもいいし、壮大な宇宙の活動でもいい、何かを目の当たりにしたとき、あなたは「さて、これは私の何の役に立つのだろう?」と捉える。だからすべてが虚しいものとなる。

      だがいいかい、なぜ「虚しい」のだろう? あなたは一体何を取り逃がしたのだろう?

      鏡をごらんなさい。自分の顔が映っている。あなたはその顔に憧れて数百万円を貯蓄中だ。なぜならその顔になれるように整形手術をしたいからだ。そして手術が終了した日あなたは取られた包帯の自分の顔を見て、やっと気がつくのだよ。

      「なんだ、最初から私だったんだ」とね。

  3. 愉快 より:

    今朝の夢。階段を駆け上がっていく途中で男を追い越そうとした。登りきった突き当りには鉄製の扉がある。そこを押し開けるとスタジオか何かがあるのだ。

    男をよく見ると、ある俳優だった。このひとは、わたしが中に入る口実にしようとしていたひとだ。

    話しかけようとすると、男は「行きたくないなあ、今日休みたいなあ」みたいなことをブツブツ言っていた。わたしは、「ねえ、あなたが中止の張り紙を忘れたからわたしがそれを知らずにウッカリ扉を開けて中に入ってしまったという設定で、この中に入ろうと思ってたんだけど」

    男「じゃあ張り紙を忘れたことにしよう。そして君は中に入る。僕も中に入る。

    ……、ということを忘れたことにしよう。

    ……、ということを忘れたことにしよう」

    なぜかコントのようなやり取りが続いて、中に入る前に目が覚めた。階段は白いペンキで塗られており、男はブルーに塗られた手すりに捕まって俯きがちにゆっくりゆっくり登っていた。

    脇目もふらずに駆け上がっていったわたしはそこで初めて気がつくのでした。壁の塗り方が雑であること、手すりの淡いブルーの下にはその前に塗られていたピンクが少し見えていること。ここは学校かもしれないこと。

    起きた瞬間、湿布が痒くて、この世で生きることがとても辛いことのように思えた。

    なぜかこのことを誰かに知らせなくてはならないと思った。

    このこと、というのは、つまり、

    わたしは偽りを生きていますということかな。

    それを誰かに言わなくてはならないと思った。

    目の前の家族ではない。

    夢のことを忘れてここを開いたらいつの間にか長文を書いていた。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      眠っている間の夢は、あなたの心に刺さったトゲがそのまま表現される。つまり日常の中で流れるべき光景に抵抗をしているということだ。

      もっと素直に生きてみることだ。わがままになれという話ではない。外部の目を意識せずに「あなたのままでいる」ということだよ。

      誰かと関わっているとき、自分の心の動きを眺めるだけでいい。相手の態度や言動に囚われてはならない。そういう「反応」をせず、自分のままでそこに留まりなさい。

      それらが達成されていくにつれ夢を見なくなるだろう。そしてそれは日常にも現れる。つまり現実の中で苦悩という夢を見なくなるということだ。

  4. 普通さん より:

    常に参考とすべきような「道しるべ」てきな、ありがたい話はあがってきて「サーチ」や「検索」しなくとも、あがってきてくれるのですけどね。

    「実行」「実践」が「とてつもなく難しい」です。

    • 愉快 より:

      普通さんとわたしって似てるなあって思う時がよくあります。

      ネガティブがなんたらーって考えていたら、黒の台紙に白いペンキをぶちまけたみたいな抽象画が視界に入った。

      もし黒い紙だけ枠に飾ってあったら買わなかった。全部白く塗りつぶしてあっても買わない。無地だし。絵じゃないし。

      囚われたくて囚われている。操られたくて操られている。(のではないかな?とふと思った)

      そこから、抜け出したいとワーワーしている。

      が、ほんとうにそうか?

      そもそも抜け出す気がないのではないか。

      そうだとしたら、なんで抜け出したくないのか。

      居心地が良いのか?抜け出すのが怖いのか?

      とりあえずきょうの作業おわたー
      昼寝してきます。

      そして普通さん、やっぱ好きだ。

  5. 普通さん より:

    愉快さんに心の中を見られてるようです。
    >>居心地が良いのか?抜け出すのが怖いのか?
    どちらもありますね。

    でどうしても阿頼耶識に特攻するにしたって、俯瞰するにしたってノウハウを求めてしまう。どうやって?どうして?どのようにして?と。

    周囲の動植物を可愛いと見たり若いカップルを羨ましくとも微笑ましく見れたりはするけれど、カッコいい車やかわいい服があると欲しいと思うし
    他人のパソコンは自らが所有してるパソコンと違うので思った時、自由に使用できない。自らのエゴの好きなように出来ない。そのうち有難みも忘れて飽きる、あって当然になっちゃうんだけど…。

    完全なる諦めと委ねがこんなに難しいとは。
    そしてカルマを白く塗るって前世の記憶も無ければ自らがなんだったのかもよく解らないのに、どうしても「どうやって?」が頭に浮かんできてしまいます。私も昼寝して瞑想してみます。仕事のことや現実のこともしながら(テレビの映像と違い、こちらはどうしても問題解決の概念しか浮かばない)。
    両立しながら「ここ」と「どこか」を行ったり来たり。
    心の雲を突き抜けられたら世界もポジティブと思えば妙な義務感も持つし
    正直に「超難しい」です…。

    • 愉快 より:

      家で宅急便待っている必要があって、待っていてもなかなか来なくて昼寝どころではありませんでした。待っているあいだ家でできる仕事をしていたのですがパソコンで作業しているうちに頭でばっかり考えちゃって、いま、なんじゃこりゃー!状態です。

      さっき書いたのって誰かに向けてってよりも書いてるうちに自問してたみたいなんだけど、今読んだらそんなこと書いたっけ?っていうかわたしもその問いかけに対して正直「超難しいです」と思いました。

      チグハグって別のコメントに書いた気がするけど、いまわたしいろいろごっちゃになってます。

      すっごいイライラしたかとおもったらケロッとしていたり、きゅうに可笑しくなってクスクス笑ってしまったり、気分が一定しません。

      多分天候とかバイオリズム的なアレかねー。でもこうやって書いてることの内容って少し時間が過ぎたらすごいどうでもいいことだったっていう思う気もします。

      ここにバンバン吐き出しちゃってて、それはそれでいいんだけど書けば書くほど頭に血が上ったり思考が暴走しやすいのでいったん離れてみます。

      あなたに書いているうちにわたしもいろいろ受け取っているし、読んでてすごいと思うときが何度もあった。

      このいまが、途中なんだきっと。途中であることはいまだ。だからいいんじゃね?超難しいー!無理ー!ギャー!ってなってるいまはそのなってる自分のままでいることにしてみます。

      あ、書いてたらすっきりした。ありがとうありがとう!

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