パラレルワールドにいる

釈迦の生きた世界と
釈迦の弟子が生きた世界
それらは当然違う
いわゆるパラレルワールドと言われるものだ
同じ場所にいるようで
まったく違う世界にいる

釈迦の世界には弟子がいて
弟子の世界には釈迦がいる

釈迦の世界には釈迦しか実在せず
弟子の世界には弟子しか実在しない

すべては主観的なものだ

つまりあなたが釈迦という人を知る
それはあなたの次元だけの要素なのだよ
つまり釈迦など実在しなかった
他の誰かの次元には「釈迦?聞いたこともない」

だからあなただけのワンマンショーが
今日も開催中だ
あなたの世界に釈迦を信望する人々がいるならば
彼らもあなたの世界の構成要員である

さらに加えれば
1秒前のあなたと今のあなたは 違う世界にいる
これは何を意味するか

あなたは動いていないのだよ
世界の方が刻々と変化している
動くという解釈も人間的だから語弊がある
世界が「ただ浮かぶ」だ

例えばそこに以前買った本がある
本当にあなたが購入したものかね?
記憶ですらその場で浮かんだ世界の構成要素
そこにあるものがすべて
そこにあるものでしかあり得ない

あなたが今からどこかへ出掛けるとき
歩いている「感じ」
見ている「感じ」
聞こえてる「感じ」

それら関係性だけを味わいながら
あなたはどこかへ向かっている錯覚をする
そうして目的地が近付いてきた

緑が生い茂る公園ならば
それらを「感じること」だけが起こっている
色彩、匂い、感触、音、
そういった情報ソースを
脳がヴィジョンに接続する

脳が存在するかはあなたの世界の話だ
大切なのは「感じること」だけが
起こっているその世界

感じることを感じているのは誰か
その誰かはどこにいる?

マハルシは「私は誰か」と問い続けなさいと言う
だが答えは決して見つからない
なぜならば問うていること自体が答えだからだ
不足はあり得ない
不足がそこにあるからだよ

もう少し踏み込んで
二元性のトラップを軽減したいならばこうだ

「私はどこだ?」

いつも「私はどこだ?」と続けなさい
水を触っても日差しを浴びても
それらを感じている私はどこだ?
もちろん肉体でも思考でもない
肉体や思考を感じているまだその先がある

そこを突き止めなさい
するとあなた自体が透明化する
感じていること、感じさせていること
それらは一体のものだということに辿りつくだろう

すべてはゼロなのだよ

 

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