DVDとデッキの関係から安心を知る

最近のコメントでの話だが
手記にしておくよ

DVDの内容が世界とするならば
あなたの本性は再生するデッキだ

DVDは内容を再生するのに
デッキを通じる必要がある
そうしてDVDの映像が起こる
あなたはその内容の中で一喜一憂する

だがデッキはどこにいるのだろう?
DVDの内容には一切関与しない
そして何の関係もない

だがデッキがなければ世界は起こらない

あなたはいつも色々なことを考える
疑問や目標
希望に絶望
そんなことを繰り返している

それらはすべてDVDの放映内容だ

つまりあなたがスピリチュアルの探求をして
その世界の中で答えを探しても
決して見つからない

なぜならば探求自体が
DVDの映像の中だから

どうすればデッキを知ることができる?
それはできない
なぜなら映像内容に登場しないからだ

だがいまそこにあるものを
感じることはできる
誰にでもできる

そのごく当たり前のことに気が付きなさい

あなたは包まれているのだよ
ずっと安全圏の中にいる

好きなことをやっていいのだ
というよりも
あなたのやりたいことが
すでに映像として起きている

ただ素直に世界を認めること
それだけだ
それだけであなたは満たされていたことに
気が付くだろう

願望として
大金を得たいとか
恋人が欲しいとか
いろいろあるのだろうが

それらの先に得ようとしている本当の望み
望み=本当のあなたの姿、
そこに到達する

後ろめたさを捨てなさい
それは世界に背を向けているだけなのだよ
やりたいことをやりなさい
人生をあなたなりにデザインしなさい

繰り返すが
それらはすでに起こっている
「やりたいことを探す」なんてのは必要ない

あなたが波に乗るだけだ

 

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コメント・質疑応答

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  1. より:

    映像の中のジェイソンも、隕石も、ゴジラも、いくら狂暴さを発揮しても、あくまで幻なのでデッキ(実在)を壊すことは出来ませんからね。そう言う意味では百パーセント安全でしょう。
    たとえ、北朝鮮が核ミサイルを撃ち込んできても、東北大津波の千倍の津波が来ても、あくまで映像なので、デッキに傷一つ付けることは出来ない。
    しかし、残念なのはそのデッキなるものが、カントの物自体などと同様、悟れない人からすると認識不能な、形而上的観念でしかないと言うこと。
    ここから出せー、出してくれーと壁をドンドン叩いても、叩いている人を含めて映像に過ぎないので、なにも起こらない。
    なんたるシュールな絵だろうw
    もし、ここから出してくれーと道路や壁を叩いている狂人がいたら、ビビると言うか、戦慄が走るな。出してくれって、お前は外にいるじゃないか。
    そうじゃない、ここだ、この世界から出してくれ!

  2. より:

    正直、悟れないような気がしてきたので、この世で縛られて生きることにします。
    しかし、この世がDVDの映像だと言う視点だけは忘れないようにしたいと思います。
    DVDの中で何回死のうとデッキには何の影響も無いのですからね。
    信長さんなどはいい死に方したよな。死のうは一定 偲び草
    自分がデッキだと気が付いてないと出来ないような生きざまですね。

  3. より:

    思うんだが、死ほど官能的で美しいものもない訳で、もし、俺がデッキだったら、主人公は美しく死んでほしいよ
    主人公に自我同一視しているので、つい、死を避けようとしてしまうが、いや、別に死ななくていいんだけど、デッキだったら、生死を超越して、楽しく、しかも美しく生きたい。
    デッキだったら。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      例えばDVDの中でジェイソンに殺されたとき
      一体誰が死ぬのだろう?

      あなたの「そういう意味では」は
      マインドの解釈となる
      「悟れない人からすると」も同じ

      一度不幸の底を歩いてみなさい
      ずっと抵抗してきただろう?
      その抵抗をやめるのだ

      とことんまで落ちていく

      だが落ちている途中で気が付くはずだ

      状況は何も落ちておらず
      自分の妄想だけが落ちているだけだと

      あなたがその世界から抜け出るのは
      難しいことじゃない

      楽しく生きればいいのだよ

      明日の支払い?
      身体の痛み?
      週末の孤独?

      それが何だというのかね
      世界はあなたのためだけに
      そこにあるというのに

  4. M子 より:

    波に乗るをもう少し説明していただけませんか。
    起こることにまかせておくということですか‽

  5. ワモノ より:

    >あなたのやりたいことが
    すでに映像として起きている

    ここのとこもう少し詳しく教えて下さい

    • 自分 -涅槃- より:

      M子さん
      ワモノさん

      いまあなたの目の前で起きていること
      それはあなたが知っている世界だ

      それは当然わかるね?

      あなたの知らないものは
      そこにはない

      視界があって
      音が聞こえて
      肌の感触がある

      では「あなたのやりたいこと」とはなんだろう?

      お金儲け?
      何かを手に入れる?
      恋愛やセックス?
      健康になって自由になること?

      色々あるかもしれない
      だがそれらは手段のはずだ
      それらを通じて得ようとしてるものを突き止めなさい

      何億という金が手に入ったら
      あなたはどうなのかね?

      金が目的ではない
      金を得たらどういう気分なのか?
      つまり「とある気分」になりたいということだ

      ではその気分とやら

      ここが要点だ

      あなたが欲しているものが
      あなたの生きている世界そのものに投影される
      そこにあるのだ
      あなたはその気分にいつでも浸れる

      だがあなたは
      「まだ大金を得ていないから」という理由を作り
      その気分を感じようとしない

      波に乗りなさい
      そこに「その波」はいつもあるのだよ

  6. より:

    実際はどんな退屈な人生でも、映画として見ると趣きがある。
    映画が楽しめるのは、そこで起きる光景と自分が別次元にいることを知っているから、主人公がどんな悲惨な目にあっても、内容とデッキの自分とは全く関係ないから楽しめる。
    要はデッキと言う感覚的には認識できないものに意識の比重を移せるのかと言う問題。
    死んだ時や熟睡中にデッキの状態、感覚的には無の状態

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      現実の主人公が悲惨なときは
      ただ悲惨なのだよ

      悲惨がそこにある

      デッキは意志を持たない
      そういうものじゃない
      楽しむというものでもない

      私もあなたも
      どんな覚者も
      「内容」の存在だ

      だが自分が「内容」であることに
      気が付いているかどうか
      ただそれだけなのだよ

      痛いものは痛いし
      それは楽しくもない

      だが「痛いがある」とわかる
      それがわかっているとき
      「自分」はいつもいない

      それがあなたのいう「無」なのだろう

  7. より:

    波とは感情のこと?
    私にもやりたいことがあったりしますが、それを通して、安心と誇りと充実感を感じたいからとも言えますね。
    或いは、まずはそれらの感情を感じることで映像化(波)が生じると言うことなのかな。
    現実の社会では、惨めな思いをすることは多いが、残念ながら充実感や安心や誇りを感じられることは少ない。

  8. より:

    惨めや恐怖、不安、不信がある。
    これらを感じるとき、これらを感じることをアーラヤが再現すると自分さんが言ってたっけながある。思い出さないことにしよう。
    充実感、誇り、安心の感情に浸ろう。
    するとDVDの内容がそれに相応しいものになるはずだ…がある。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      >残念ながら充実感や安心や誇りを感じられることは少ない。
      もっとよく眺めてごらんなさい
      自分がそのようにしているのだ

      あなたから「自分」が消えるとき
      それらはただそこにあったことがわかる

      両手を合わせて
      「いま」に指針を向けなさい

  9. より:

    自分さんは今なら、サラリーマン時代によく接待で使ったと言われる「マスターの店」で、やはり、立場はサラリーマンのままで楽しく会話できますか?
    思い出の中では何とかなりそうでも、やはり現実だと浮いちゃいませんか?

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      あなたの話の次元にいるならば
      私は四苦八苦して自説を熱弁しているのだろう
      「私」がいる限りそれはそうなる

      現実はそこにあり
      酒も癌もある

      末期癌に冒されて
      腫瘍に説くのだろうか?

      そうではなく
      ただ「起こり」がそこにあるのだよ

      マスターの店はただそこにある
      そしてそこに
      若い私がいた
      それは私ではない

      いまだからそう見るのではなく
      その当時も
      私ではない若い私がそこにいると
      悟るべきなのだ

      あなたが会社で大変な日々を送る中
      大変なのは誰なのだろう?
      それはあなたというよりも
      あなたを含めた環境そのもの
      なにより、環境とはそこにある「心」のこと

      つまり心がその光景を起こしてる
      そこに気が付きなさい

      現実から浮くならば
      それは浮いているのだろうし
      そうでなければそうではない

      スーパーのレジ待ちからはじめるとよいだろう
      「レジに並んでいるのは
      私と思っている、お馴染みの光景だ」

      意識がその向きにあるとき
      あなたは思考を超えている
      つまり純粋な「いま」に溶けている

      注意しなければならないのは
      「いま」とは時間的な現在のことではないということだ
      入ればわかる
      時間は存在しない

  10. より:

    抵抗するのをやめて、時間の先頭に立ったら、今まで抵抗してきた、様々なネガティブが、現実の事として生じてきました。
    マインド島で休憩をしています。
    ジェットコースターには、長く乗るのは難しい。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      マインド自体が満足をするのは
      思考の水槽の中だ
      あれこれ考え続けることが
      彼の永遠のランチタイムとなる

      あなたがエサを与え続ける限り
      マインドは活性化するということだよ

      「エサを与えない」

      これを意識してみなさい
      5分間からはじめると良いだろう

      心は完全にリフレッシュされる

      また塵が溜まりだしたら
      5分間やりなさい

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