人生の虚しさを超える

達成してもできなくても
何かを目指した数が多いほど
人は虚しさを覚える

学生時代の部活動
就職活動
貯金やら趣味やら

現代なら学生時代には
すでに多くの人が人生の虚しさを知る

釈迦は出家した

この虚しさ
我々は何のために生きているのだろう、とね

すべては過ぎていくのだ
眺めている位置にありなさい

それが釈迦の到達したところ

楽しみも悲しみも
すべては虚しさを伴っている

なぜならば

何も手に出来ないからだ
砂のように
スルスルとおちていく

手にしようとすれば
寂しくなる

すべては通り過ぎていく

車道の真ん中で立っているようなもの
何台もの車が往来する中で
あなたは立っている
ただ眺めているだけなのだよ

いままで自分が何かをしようとして
それを経験したと思っていた

そうじゃない

車が往来しているのだ
それが人生であり
あなたの置かれている様子

まさに置いてあるだけだ
やがて車の流れは変わる
珍しい車も通る
美しい夕日に照らされたりもする

手にしようとしてはならない
それはできない
すべてはショーケースの中にある

昨日の出来事も
目の前の富や美しさも
美味しい食べ物も
そのままを手にしておくことはできない
すべては流れていく

だからたくさんの思い出を
眺めるだけ

それでいいのだよ

いずれあなたが
ショーケースそのものだったということに
気付くときがくる

幸せだったころ、
それは何かを手にしようとしていたのではなく
自分の世界をただ眺めていただけだったと
あなたは悟るだろう

それは死の間際の走馬灯で?
それともいまかね

 

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コメント・質疑応答

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  1. M子 より:

    とてもわかりやすい例えをいつもありがとうございます。

    頭で理解できているのに、実感での理解がない時に、何をしても実感で分るということが訪れないのに、ある時、実感で分る時がきますよね。
    分ると、それ以上もそれ以下もないので、分ろうとするためのがんばりも何もかもがなくなっています。でも、いつも思うのですが、なぜある時、その実感としての理解が訪れるのですか‽、それは、分ろうと探した末の臨界点なのでしょうか、自分では、何かを手放した感覚はないのに、あることが実感での理解に変わっているということについていつもなぜなんだろうと疑問に思います。
    あれだけ答えが欲しくてあれこれ頑張っていたり、頭では十分に答えを理解しているのに消えない問題が、ある時達成するのではなくて、それが問題でなくなっている感覚はなぜですか。
    そのタイミングは初めから決まっているのですか?

    • 自分 -涅槃- より:

      M子さん

      ひとつ教えておくよ
      あなたが事前に何かをわかるとき
      それは実際に起こることとワンセットだ

      あなたが「タイミングはあるのか?」としているのは
      時間の流れを前提としているからだよ

      すべては同時に起きる

      そうだね、
      例えば出かけるときにケーキ店のチラシを見たとしよう
      いつもはそんなことはしない
      どれだけチラシが入っていようが素通りだ
      だが今回は、別の事情、
      つまり先月切りすぎたカードの利用額が気になっていて
      カードの請求がいつも気になっていたから
      ポストを気にしていた、など
      ケーキとはまるで関係のない事情から
      あなたはケーキ店のチラシを見た

      そして出掛けた先で友人と落ち合う
      どこへ行こうか?

      友人は言う
      こないだテレビでやってたカフェに行こう
      あなたはそこへ入ってすぐに気が付く
      「あれ?ここさっきチラシで見た店だ」

      いいかい
      時間という錯覚にいれば
      この出来事はシンクロニシティだ

      だがあなたがチラシを見たことと
      その店に来たことはワンセットなのだよ
      さらにいえば
      カードを切りすぎたという切っ掛けも含まれる
      つまりすべてひとつの塊として
      その出来事が起きている

      こういう話をするとね
      「じゃあ自由意志はないのですか?」となる

      その質問ですら
      そのセット内容のものなのだよ

      植物を見てみなさい
      朝日が出れば
      花が開く
      フルオートだ

      あなたが幸福の世界に到達するには
      ただひとつだけだ

      あなたがいかにして
      「抵抗するだけの自分」を捨てられるかによる

      頭で理解する必要などないのだよ
      起こるがままに任せていきなさい

      最初は恐怖だろうが
      いずれそれが正しい道だと気が付く

  2. M より:

    自分さんありがとうございます。
    植物がフルオートで花開くように、私達もそれぞれのフルオートで気づきが来るのですか。やっぱりタイミングがあるのでしょうか。
    苦しみは、まだ咲く時期じゃないのに、早く咲きたいと思うからですか。

    • 自分 -涅槃- より:

      Mさん

      例えば種は種だ
      決して種は芽でも枝でも葉でもない

      種は枝を目指すのだろうか?
      夢見るのだろうか?

      そうではなく
      種は種として全うしている

      あなたは未来を見ている
      「こうなりたい」という思いがある

      思い

      あなたの現実はその「思い」だ
      思いを捨てると
      あなたは種になる

      禅の美しい話があってね

      ただ寝て
      ただ食べて
      ただ落ち葉を掃く

      あなたもいまそこにある行為に入りなさい
      身体をゆっくりと動かしてみなさい
      その動きに入りなさい

      それが種だ

      あなたを惑わせている不幸は消える

  3. M子 より:

    そこなんですよね。種は種として全うしている、なんですよね。
    なぜ、未来を見てしまうんでしょうか。
    なぜ今の行為に入れないのでしょうか。
    足るを知るがマインドでだけの理解でしかないです。
    そこの実感が訪れない。どうしても思考での理解から実感へ変わらない。

    • 自分 -涅槃- より:

      M子さん

      そのために瞑想がある
      最初は「瞑想をする」という行為になる
      だが瞑想の本質とは
      自分が何かをする、という意識から
      外れることだ

      だから”瞑想をしている”とは
      何もしていない様子のことになる

      これを無為自然という

      誰も瞑想をしていない
      そこに瞑想が起きている

      「瞑想」と書けば
      じっと座って‥のようなことを
      イメージするだろうが
      そうではない

      日常のどんなことでも
      瞑想的に行うこと
      すなわち、行為に入ること
      それが瞑想だよ

      川に行って
      流れる落ち葉を眺めなさい

      彼は
      川の流れ
      せせらず音
      木漏れ日
      それらとひとつになっている

      彼はもはや
      葉ではない

  4. M子 より:

    瞑想についての記事を読みました。
    その意味はよくわかります。
    いつもマインドに引っ張られて、そこでまた時間を作り出してしまうんですね。
    見る行為を意識しなくなるまで、マインドに捕まりながら続けます。
    ほんとにありがとうございます。

  5. ONEPOINT より:

    私も瞑想などのメソッドをやってい

    タイミングというものを考えてしまいます。
    着実に成果は出ているのですが、それがいつ成果が出ているのかよくわからない。

    「この調子なら年内には悟れそうだぞ」という考えが
    よぎることもあるのですが、やめたほうがいいのでしょうか。
    どうしてもメソッドをやった先に「達成」があるという
    考えが捨て切れません。

  6. -自分- 涅槃 より:

    M子さん
    ONEPOINTさん

    いまあなた方がしている試行錯誤、苦悩
    そうしたものがすべて「本番」のワンシーンだよ

    だからそれでいい

    うまくいかなくとも
    それでパーフェクトとなる

    つまり「うまくいく」とは何の意味もない
    成功やら達成やらも同じ
    ハズレもアタリなのだ

    あなたがそこにいること自体が
    すべてなのだよ

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