王国の門

イエスが天の国に入るには
幼子のようでありなさいと説いた

天の門をくぐるとき
あなたは一切の不幸を超越する
超越すること自体が「天の国」なのだ
あなたの王国

前回の続きとなるが
他人と比較しなければ不幸はない
なぜならば
目の前の出来事が「その通りのこと」だからだ

あなたが虫ならば鳥を恐れるだろう
恐れとは不幸のことだ
だが当の虫たちは
「恐れる」という類いの感情は持っていない

彼にとってそれはそういうもの
空は青く
雨が降り
鳥が自分を食べる
どこにも不幸はない

彼は自分の王国を生きているのだ
自分以外には誰もいない
飛ぶことも水を飲むことも
それをしているのは自分だけ

目の前で「動くもの」が
水たまりに口を浸けている
それはなにをしているのかわからない

だけど私は水を飲む
水を飲むという行為とは
喉の渇きが潤されるということ
私は水を飲むが
目の前の動くものは
水に口を浸けて何をしているのだろうか
それを見ていても
私の渇きは潤わない

これが彼の世界だ
あなたは誰かがコップに口をつけているとき
「その人は飲んでいる」と錯覚する
そうじゃないよ

あなたの渇きが潤されるのかね?
だからその誰かがコップに口をつけていることと
あなたがコップに口をつけて飲むことは
まったく違うものだ

理解が難しいだろう
それだけあなたは観念を積み上げている

一般的ならば3歳頃までだ
あなたが王国を生きていたのはね
だがあなたが成長し
あなたの目に映る様々なもの、

例えばあなたが欲しかったものを
誰かが手にしている
そういう光景を目にするほど
「自分は手にしていない」と刻んでいく
それが不幸の種

あなたはかつて王国にいた
すべてが素晴らしく
毎日が発見だった
明日は王国の東を探検しよう
胸を躍らせながら眠りについたものだ
あなたの王国に王女が来た
とても綺麗な女性で
あなたは嬉しくなった
彼女がそこにいるだけで
あなたはさらに輝きを増した
自分のものにせずとも
彼女は最初からあなたのものだった

いまも王国の近くだが
離れた村で暮らしている
山の日陰だからいつも暗い
王国に向かう旅人たちが捨てるゴミを拾い
それを生活の糧にしている
昨日は可憐なドレスを纏う王女を見た
美しい白馬に跨がる王子
いまのあなたにとって憧れの暮らし
本当は自分もそこにいるはずなのに
私もあのようになりたい
羨ましさと努力の日々
いつかああなりたい
いまのままじゃダメだ
何で私はこうなのか
何であの人は美しいのか
また彼女に会いたい
彼女を奪い去りたい

もう不幸のまっただ中だね

いいかい
あなたが望めば望むほど
それは世界に現れる
だからあなたの世界の誰かが
それを手にしたのだ
あなたが欲しかったから
誰かが手にしたのだよ

なのにあなたは
彼は持つのに私は持っていない
そう考えてしまった

そうして王国を追放される
追放されたその世界もあなた
だけどもそこは恐怖と不安の世界

いますぐ他人と比較するのをやめることだ
この言葉の意味をよく考えてみなさい

あなたが借金の返済に
追われる毎日があるとき
借金のない人を見ようとするから
不幸があるのだ

そんなものわざわざ作り出さなくていい
あなただけが世界に生きているとき
その起こっているすべてが基本事項であり
ただその通りのもの

風で揺れ
雨で濡れ
太陽で乾く
その世界にいるのだ
どこに不幸があるのかね

あなたに起こっているすべてのことが
ごく当たり前のことだ
空が青いということと何の違いもない

そこに気付くとき世界には
あなたしかいなかったことがわかる

そうして王国の門に入りなさい

 


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