大切なひとと永遠に結ばれるために

失恋したときや死別してしまったとき
どうして悲しいのか
考えてみたことがあるかな

大事なひとがもうこの世にいない
もう自分のそばにいない

それは失恋も死別もおなじことだ

だがそこでわき起こる悲しみは
その相手に発端があるのだろうか?

たとえば親しい誰かを亡くしてしまって
「もっと楽しいことができただろうに」
そう思えてくるかもしれない

でもそれって変な話だね

楽しことができたはずと
後悔するそのひとはもういない

じゃあ誰が後悔しているのだろう
誰が嘆いているのだろう

それは自分なのだ

どうしてもっと楽しませてあげることが
できなかったのだろうか

これが本当のところなのだよ

自分のなかで何かが邪魔していて
素直にそれを表現することができなかったこと

その苦しみが
その罪が

いま背負っている十字架の重さなのだ

 

「意味」が隔てをつくる

いま親しいひとがそばにいて
そのひとと「離れているとき」は
とても大事に思うのに
素直な気持ちで相手を思えるのに

顔を合わせたらついつい小言をいってしまう

夫婦や親子なんかそうだね
どうして素直になれないのだろう

それはその関係のなかで
「無意味さ」を受け容れられないからだ

人は常に意味のあることを求めてしまう

つまり相手がそこに存在していることよりも
その相手と何かをすることばかりに
頭が働いてしまう

その意味がつねに自分を焦らせて
そしてうまくいかないことを
相手のせいにする

離れているときは
その「意味」を作りようもないから
素直に相手の存在だけを感じ取れるのだ

だが顔をみた瞬間に
また焦りだしてしまう

 

いつも溢れているもの

もう二度とそのひとと同じ時間を
分かちあえないとわかったとき

自分はいったい何を見ていたのだろう、
真実はすぐ目の前にあったのに
ずっと逃し続けていたのだと気づく

そこには何があったのか

取り繕った「自分」の外側には
その重たい甲冑の外側には
いったいどんなに澄み渡った空気が
溢れていたのだろう

あのひとはもういない
だが本当は「」がいなくなったのだろう

己に向き合ってみればその澄み渡った空気は
いまもここに溢れているのではないだろうか

この素直な気持ちは
そう、あの頃に
まだあのひとがいたときに

「これを買ってやったら喜ぶかな」

賑わう街で
大きな流れのなかで

買い物袋を片手に家路を歩いていた
あの純真な気持ちと同じじゃないだろうか

 

愛について

理解をはるかに超えた
崇高な何かがいつもここにある

それはあまりに巨大すぎて
それを直にするとき
人はたちまち恐れてしまう

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