幸せのサングラス
女の子が自分のブログの見え方を変えようと
ウェブブラウザの設定をいじっていた
かわいいフォント、ブラウザの外観
好きなように変えていた
それをみた彼氏
彼は少しばかりインターネットに詳しい
「そんなことしても他の人にはわからないよ」
彼女がどれだけ彩ろうと
それはそのパソコンだけの話だ、という
彼女は疑問に思う
この人はいったい何を言っているのだろう?
これは彼や彼女の知識の話ではなく
どこに意識が向いているかの話だ
彼は外から見た自分を意識している
彼女は内から見た自分を意識している
青いサングラスをかければ
世界は青く染まる
彼は青いサングラスが
自分に似合っているのかを気にしている
他人の世界で生きている
だが彼女は知っている
世界はこの小さな覗き穴に映るのだ
世界は私の中にあるのだと
わかっている
世界は広くない
あなたがいまそこで
察知している範囲でしかない
東京にいるならば
北海道もなければ沖縄もない
アメリカもドイツもない
バスルームにいるならば
その室内だけが世界だ
そこで響くシャワーの音だけが世界
そこで感じる温度だけが世界だ
どこに流氷があるのだろう
どこにライオンがいるのだろう
見渡してみなさい
そんなものいない
世界が広いのではなく
あなたが無限なのだ
だから彼女のように
覗き穴を彩るだけでいい
ハッピーなデザインを施しなさい
たったそれだけで世界は変わる
彼のように途方もない幻想に
振り回されることなどないのだよ
そこは無限に広がっているゆえに
終わりがない
だが覗き穴はとても小さい
だから簡単に花を満開にできる
あなたが歩けば
いつもそこに豊かなガーデンがある
いつも愛の庭を持ち運ぶことができる
つまりあなたは
いつも幸せになれるということ
それはどこから自分を見ているか
それだけの違いなのだよ
幸せのサングラスをかけて歩きなさい
世界はあなたの手のひらにある
Notes あなたの世界, 世界を変える, 他者, 充実感, 幸せになる, 幻想, 生き方, 自由
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マルコヴィッチの穴みたいなものですね。
あの映画の主人公みたいに穴に振り回されるかそれとも捨てるかだけです。
もうすぐ世界を他人という自分の目に映る形で好きに彩るのでしょうけどかつての疲れ果てた日々が今は何となく懐かしい感じ。
それもまた暇潰し。
五月雨祭さん
似たような話はどこでもある
いや、この世のすべては
「よく考えたら結局こうだった」というオチに至る
その納得とは
当初エゴが抱えていたものとは正反対のものだ
つまり世界の流れの中で必死に抵抗していたが
流されていくことこそ「流れ」だったということに気が付く
なぜエゴは流されたくないのか
今回の手記でいえば、
なぜ自分の主張を表現したいのか
そのあたりについてのメカニズムは
次回の手記に回しておくよ
「何か」を認識した時点で、それはもう過去。
本当の「今」は認識することが出来ない。
だから、何もない。
だけど、「何もない」がある。
「何か」がある。
そこにあるエネルギーの翻訳の仕方によって、それぞれに姿を現すことになる。
現したように見えている。
不幸な私は、翻訳が下手すぎるという事。
「幻想」とはこういう事か。
岩窟王さん
その通りだ
今は認識することはできないが
何かがある
それについて
論理的な解釈のできる手記を書いている
もちろん、その解釈ですら
すべてのすべて
そこに溶けてしまうのだがね
おはようございます。
目が覚めてここを開いたら勢いがすごいので笑ってしまいました。
単にたくさんのコメントに自分さんが返信していて、その後にさらにいろんなコメントが付いているからそう見えるのだ。と、思考はあとづけ解釈をしますがぱっと見た時の印象ではなぜか面白かったのです。
浮かんだのは、「せんせー!黒板が見えません」「トイレ行ってきていいですか?」「あ、こいつサボりだ〜」「サボりじゃねぇよ腹がいてぇんだよ」「ちょっと男子〜静かにしなさいよ」みたいに複数の子がワーワーしているところを「せんせー」であるとされているひとがなにか言ったらぱっと雰囲気が変わった。
でもすぐにまた「せんせー」とあっちこっちから声が上がる。
涅槃小学校。クスクス笑いました。
ところで、女の子のパソコンフォントの記事、これだったのですね。たまたま出てきたので読みました。
わたしから見える世界が素敵ならそれでいいじゃない。
わたしが涅槃小学校と見立てているならそれでいいじゃない。
そうして面白おかしく朝のひとときを過ごしました。
良い休日を。
愉快さん
私は私に応対しているだけだよ
それが数万件だろうが
やはり同じことだ
この世で最も愛すべきものとは
トラブルだよ
トラブルはすべてを打ち砕いてくれる
「せっかく作ったもの」を
木っ端微塵にしてくれる
まさにダイナマイトだ
すべてが崩壊したときに
無限の平野が広がるのだよ
だから「そこ」から目を背けるのではなく
「そこ」に向かうことだ
なぜならば
目の前にそれがあるからだ
つまりそれが「私」なのだよ
いつもありがとう
わたし、前からなぜか「ぶっ壊す」ということをどこにいてもやるのです。まるでそういう係りを担当したかのようにそうなってしまう。
若い頃、それは自己嫌悪を呼びおこしたり誰かと決裂したりと、ネガティブな側面ばかりが目立ったので直そうとしました。
でも、そういう性格は変わらなかったのでいつ頃からかひと目を気にしてもいまさら手遅れだよハハハと開き直りました。
あるとき「ぶっ生き返す」という曲名のロックバンドの歌が流れてきました。若い人向けの音楽だけどなぜだか気に入って、聴いているうちにぶっ壊してから生き返らせればいいじゃん。と思いました。そしてなにかあるごとにそんなの関係ねえぶっ壊すなどと言いながら自分の好きなようにやっていたらいつの間にか友達がいて、家族と仲が良くて、毎日楽しいです。
>だから「そこ」から目を背けるのではなく
>「そこ」に向かうことだ
>なぜならば
>目の前にそれがあるからだ
>つまりそれが「私」なのだよ
これを読んでまだ少し残っていた恐れと迷いのしこりがぶっ壊れました。
わたしもトラブルでもなんでも目の前に来たものにそのまま対応して行きます。トラブルも、楽しいことでも些細なことでも、なんでも。
ありがとうございます。
愉快さん
>ぶっ壊してから生き返らせればいいじゃん。と思いました。
>そしてなにかあるごとにそんなの関係ねえぶっ壊すなどと
>言いながら自分の好きなようにやっていたら
>いつの間にか友達がいて、家族と仲が良くて、毎日楽しいです。
とても素晴らしい点が2つある
まずひとつは
思考的なメリットを除外した生き方、
それを実践したということで
循環が起きたことだ
あなたは自分の中で湧き起こる感情に
素直に従った
それは受容だ
受容は集合を意味する
ゆえにすべてがそこに集まってくる
逆にいえばあなたが”溶けた”から
ひとつという集合に加わったのだ
そしてもう一点、
そのコメントを
あなたは勢いのまま書いていることだ
そのフローな様子は
多くの人に影響を与えるだろう
仕事も人間関係も
何に於いても
そのように在るべきなのだ
ありがとう
受容という言葉のイメージから、もっと穏やかで静かな感じだと思っていました。だから、ぶっ壊すなんて物騒なものの言い方してるわたしってなんなの、と「思考が「あとで」起こったかもしれません。
そしてフローということについて、自覚がありませんでした。そうなってることに気づかないのですね。その最中は。
「仕事も人間関係も
何に於いても
そのように在るべきなのだ」
他のことをしている時にもこの感じになってみます。ありがとうございます!
愉快さん
そうだね、思考は理解の後に来る
だが人は思考が己だと思っているから
その先にあった「起こり」に気付かない
それは「あなたのいない世界」だったが
それはいつもそこにある
だが無意識のことではないから
注意しなさい
「自分が不在の世界」を”見てしまった”とき
世界はひっくり返るだろう
そういえば、無意識になっているときと、わたしがいないとき、のちがいはイマイチわからないです。熱中しているとき幸せな気がするけどこれは違う気もする。
フローなのか、それとも楽しさに浮かれているのか、あとから思い出してもどっちなんだろう?と。まあどっちでもいいや、と、すぐに忘れるのですが。
世界にじぶん一人しかいない状態でもその行為を楽しいと思うか?と自問してみた時、一人きりでもこれはやる!と思うことが幾つかあります。
そういうことが手がかりなのでしょうか。
いまは楽しさの中にいるのでよく分からないようです。
自分が不在の世界を”見てしまう”なんて、とてつもない感じがして、体験しないとわからないですね。
とりあえず、わからない今を楽しんでおきます✩
書いた直後にどうでも良くなりました。
何か質問みたいな言い回しをした気がしますが、あれ?なんだっけ、と。
ねむぅい。と大あくびが出ました。笑ってしまった。
ありがとうございます。
愉快さん
今回の記事を書いている間に
あなたのそのコメントがあったようだね
深い意識レベルでは
互いが共鳴し合うが
それは本体がひとつだからだ
フローとは
「頭を落とす」ことで起こる
ゆえに解釈も判断もないから
“どうでも良いこと”となる
無意識とは無明のことであり
つまり意識が内に灯されていない
だから外に支配される
誰かと話すとき
自分から話しているのではなく
話をさせられているようになる
対人関係がうまくいかない人は
意識があちらに引っ張られるからだ
常に「こちら」に置いておけば
関係がうまくいくとかどうか
そんなレベルは超越して
“どうでも良いこと”となる
つまり、相手も”自分”も消えている
ただ「話していること」がそこにある
自分のことをするために
ここがあり
すべてがある
ここがあり
すべてがあるゆえに
自分のことができるのだ
そうなのでした。
上のを書き終えて寝る直前に最新記事を読んだ時、コメントを読む前に書かれたものだろうに、妙な一致があったりするのであれ?と思いました。
これは今に始まったことではなく、2年前に書かれた記事をなにかの拍子にタップしても同じことが起きていましたし、どんな人のコメントも他人事ではなく自分のことのように連動していることがわかったので途中からは驚かなくなりました。
誤送信、誤変換、誤タップしたときほどなにかがある。今無意識だよね?誰かの目を気にしているね?など、わかりやすいシグナルみたいに感じます。
たまたま流していたアニメの主題歌を耳にして、それが「さとりのしょ」というタイトルだったこと、ほかの事象や娯楽作品の中にもそれを見つけることができることなどを思い出しました。
同じものを見ても無意識になっている時、身体に意識が戻って思考のない時、行ったり来たりがあるようです。ここの記事もそうです。読むたびに違うものを読んでいる。
言葉、なかなか捨てられないらしくて多いなあと自分でも呆れる時があります。
でも深い層のなにかが当たり前のことになったら自然に減るのかもしれません。
愉快さん
私は常に瞑想状態にある
あなたが内側を覗き込むと
世界の表層は無関係となり
ひとつの本流にアクセスされる
だがそれは意志を超えたものだ
意志がそこにある限り
表層のレベルとなる
竹笛のように
己の空洞の中に
インスピレーションは流れるのだよ
鉱物も植物もリンクしている
すべてがエントリー済みだ
あとは頭でっかちな人間だけだね
そうなのです。
いちいち頭に浮かぶ知識とか理屈とかが邪魔?になっている時が多いです。仮にそれがポジティブな内容だったとしても、主張したがる思考が身体、いま、を変な色に染めてしまう。しかもその最中には自覚がない。
忘れることだ、というのはこういうことだったのでしょうか。
前に試してみてよかったメソッドをするのもいいけど、「どの瞑想法を試そうかな〜」と思案している時点で未来なにかを達成しようという意図があります。
ただ身体と思いつきで生活してみます。内側にライトを向けて。
愉快さん
そう、それがどれだけ
純粋な考え方
純粋な行動であろうと
能動的である時点で
不自然なのだ
循環はそこにあらず
受動的なものなものだよ
受信者であることだ
先日もどなたかにコメントしたが
「事が起こってから行動する」が
最もスマートなのだ
あらゆる瞬間も
「ハプニング」でありなさい
それが生という贈り物だよ