釈迦は踊らない

人生が楽しく満ち溢れ
躍動したものかどうかは
あなたが自然な状態で
過ごせているかどうかで決まる

本書では特質という言葉をよく使うが
そもそものあなたの生きている世界が
「あなた自体を象徴とした世界観」
である以上、
すべての善し悪し、すべての美醜は
あなたが判断しているのではなく
それが前提の上に
世界が成り立っているということだ

酷い有様があればそれは酷いのだろうし
美味しい食べ物があれば
それは美味いのだ
あなたがそうならば、そうなのだよ

どこかへ行くのに歩いたりするが
なぜそうするのだろう?
そもそも「どこかへ行く」ってなんだ?
そして「どこか」という概念はなんだろう?

このように
普段疑問にすら思わない当たり前のこと
その「あなたの世界というテーマ」に沿うとき
何の苦悩も努力も必要がなくなるのだ

逆に言えばあなたにとっての
ごく自然なことは
探すと見つからないようになっている
それはいつもそこにあるからだ
それをやっているとき
それはあまりに自然に溶け込み過ぎて
あなたはそれに気が付いていないからね

 

特質を知る

古の覚者も各々の世界観の中で
「自然」と触れあっていた
ミーラは歌い踊ったし
釈迦は静かに座っていた

だがミーラには釈迦が理解できない
神が実存の扉をノックしているのに
こんなに祝福で溢れているのに
「なぜあなたは座ったままなの?」とね

ムハンマドは音楽を嫌い香りを愛した
ゆえに彼はミーラが理解できない
「神とは芳香であり騒がしいものではない」

だが、香りは鼻で聴く音楽であり
音楽とは耳で嗅ぐ香りなのだ
つまりミーラもムハンマドも
己の世界観の中で
神の息吹を通していた

それらは彼らにとって
「ごく自然」なことゆえ
マインドの介入はなく
あるがままに神を顕現させていたのだ

 

神と現実

特質とはマインドの外側にあるものだから
現実生活を「思い通りにしたい」
という算段は木っ端微塵となる
大切なのはマインドが捨て去ったときに
「それ」がそこに起きているということだ

ゴッホは生涯、絵が一枚も売れなかった
食べるお金を絵の具やらに充て
病気になりやせ細っても絵を描き続けた
だが彼は絵が売れようが売れまいが
“画いているとき”はどうでも良かった
キャンバスに色が置かれていく様子に
彼は神の息吹を感じていた

もうそれだけで良かったのだ
彼は世界とひとつに在った

だが絵を描いていないときの彼は
精神病患者だ
いまでいう統合失調症
神が毎晩降臨する絶頂感と現実への絶望
つまり覚醒とマインドの狭間で
ニーチェやカフカと同様、
彼もボロボロだった

 

幸福とはなんだろう?

歴代の覚者をあげてみたが
それぞれがそこに神
つまり本来の自己を見出していた

イエスは演説が特質だった
恐れる以前に
完全に流れに身を捧げていた

神を説いて八つ裂きにされた聖者もいるし
伝説のバレエダンサーと呼ばれた
ニジンスキーも不遇の現実を生きていた
だが彼らは不幸だったのだろうか?

無論、マインドが立ち起これば
瞬時にあなたは不幸に”なれる”
あれとこれを比較して
自分の境遇は悲惨だと騒ぎ出す
だがそれはまやかしの不幸だ
騙されちゃいけない

あなたが求める幸福とはなんだろう?
束の間の安心と約束を得るために
いまを捨てて未来に生きる
追って追って追い続けて
空っぽの人生だったことに気付いたとき
そこに本物の不幸があるのだよ

野心を持てといってるんじゃない
それはマインドの檻の中だ
そうではなく”気付くこと”なのだよ
あなたにとって自然な世界をね

 

自然なものとは気軽なもの

あなたが事務処理に向いているならば
それはそこに実存が見えているのだ
スキルレベルが低くとも関係がない
あなたの世界なのだから

もっと流せそうだと感じるならば
資格やらを目指しても良いだろう
それはプレッシャーではなく
楽しいものとなる

金を稼ぐ手段として
資格に追われているならば
あなたはマインドの人だ
未来志向であり、
決して至福を掴むことはできない

私は作家業でもなんでもなく
文章を習ったことすらないから
正しい書き方など知らない
ただ書くことだけが思考を通さずに起こる
書く前に何かを悩んだりなどしないし
焦りも不安もない
ただスーッと何かが流れていく

だからといって話すことは得意ではない
釈迦がダンスをしないのと同じ
もしやってれば何だか滑稽に見える
それは彼にとってナチュラルではないからだ
私が本書と同じ内容を口頭で話せば
それは途端に私自身への偽りとなる
そこに神はいないからだよ

クリシュナは踊りの中に在るが
釈迦は踊らない
ムハンマドには多くの妻がいたが
釈迦は1人の妻からも逃げて
後生独身だった

その個人自体が世界の象徴するものゆえに
正しさや間違いを超えて
すべてが正しいのだ

剣の世界に生きた武士に
人命がどうとかいうのはナンセンスだし
マネーゲームの覇者に「金は汚いもの」
なんて話をするのは論外だ

それは魚に泳ぐなと言ってるようなもの
あなたは自分の世界を楽しめばいいのだよ

 

世界との関わり方

あなたが誰かに間違いを指摘するのは
この世で最も愚かな行為となる
彼の世界は彼のものなのだ
そこにあなたの本質はない
あなたの中に彼の世界の窓が
見えているだけだ

つまりあなたの世界で生きているのは
あなたただ一人であり
そこにいる他者は実在しない
だから自分自身だけを
見つめるだけでいいのだよ
頑張って家族を幸せにしなきゃ、とか
私が戦わないと誰かが犠牲になるとか
そんなことは考えなくていい

あなたの世界にとって何が自然なのか
ゆえにあなたはどう在るべきなのか
己に瞑想しなさい

覚者カビールが織物職人だったように
何かを売ることが特質かもしれない
何を売るかは重要ではない
世界との関わり方は何でもいいのだよ

見たら見えるし
触れたら触れている
あなたの見ているすべてが神だ
だから常に何かと関わっているんだ

マインドを介することなく
それが自然に起こっているかどうかを
いつも気にかけておきなさい
そこにあなたの流れがある

自然でありなさい
あなたがそこに流れてはじめて
あらゆる”不自然”が自然となる

釈迦は静かに座っていたが
しかし彼は生命のダンスそのものだった

 

 

 


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  1. より:

    ゴッホは自分であり続ければ良かったんですかね? ニーチェも、自己超克みたいな事を哲学のテーマにしていましたが、自己受容しようとしながらも、自己を憎み、別の何かになろうとしているようなところがありますね。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん
      彼らは完全に覚醒していたわけではなく
      芸術を通じてそれを見ていた
      だから余計に現実とのギャップに苦悩したのだ

      グリム童話などにも儚い物語は多いが
      その多くは「神を垣間見ている話」だ

      現代はスピリチュアルが世界中で解放されており
      「それが何なのか?」を理解する機会が
      当時の彼らよりも与えられている
      そういう意味では幸運な時代なのだ

    • より:

      ヒトラーを悪魔のように言う人もいるが、彼はマインドを越えていた面はあったでしょうね。さもなければ、あそこまで流せない。
      と、同時に彼の破滅の中に、マインドへの執着が関係しているのかもしれませんね。
      あるときからうまく流れなくなった。
      例えば、ユダヤ人性悪説や潔癖過ぎるほどの反共主義などの観念が身を滅ぼした面は多分に有る。
      これらの観念を流せたら、彼は世界と対立しなかったでしょうからね。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん
      そうだね、彼の世界では
      あの姿が自然なものだった
      だが苦悩の面も残されているから
      神とマインド(悪魔)とのギャップに挟まれた
      ひとりの被害者だったともいえる

      だが最も大切なのは
      鯤さんの世界に彼らや私がいるということだよ

      あなたは彼らについてどう考える?
      それがそのままあなたの一面なのだ

  2. 色即みっちゃん より:

    涅槃さん、こんばんは~。
    みっちゃんの上に色即をつけました。
    まだまだ空ではありません…。(笑)

    他を基準とする時に特質は埋没する…。
    鮮烈に我を生きる時に不幸はあらず…。

    今回の手記を拝見しまして登場する覚者、各々に共通する部分を感じました…。

    世間などは気にせずに自分の生き方を貫いた…。です。

    それぞれの生き方…。

    それが特質を最大限に生かす手段…。

    涅槃さん御指導お願いします。

    • -自分- 涅槃 より:

      色即みっちゃんさん
      あなたが何かに没頭するとき
      「あなた」は消えている

      だが人はそれを現実的に有用なものに
      変えたがる
      そこで苦悩が生まれる

      ゴッホの末路は自殺だ
      説は色々あるがね、
      そのプライドの高さゆえに
      明らかに苦悩していた

      絵画にはあれだけの才能がありながら
      世間に対しては反発していた
      芸術家によくあるパターンだ
      もし彼があらゆる固執を捨て
      流れゆくままに在ったならば
      絵を描く環境を中心として
      自然とすべては整っていたのだろう

  3. 色即みっちゃん より:

    苦悩とは自尊心…。

    その通りだと想います…。

    仏陀も彼岸に渡り自らの役割を終え、シッダッダに還った時に、きっとダンスを踊ったでしょうね…。

    • 色即みっちゃん より:

      ゴッホは求めていた….

      執着心…。

      それがあるゆえゴッホはゴッホを苦しめた…。

      天才の一つの姿ですね…。

  4. 困ったさん より:

    こんばんは。

    ちょっとタイムリーで眺めきれませんでした。
    たまに頭混乱します。こういうときはマインドどっぷりという自覚はあるんですが。怖いし戸惑うし、嘘だろ?とか。私の世界は世界大戦寸前で。

    止めたくて止めたくて神にすがりたくてすがりたくてで穏やかな優しいイメージが浮かべません。
    緊張でカチコチと、あまりにシンクロとうかピンときて調べて予想したことが起っちゃうので…。

    マインドでは変えることは出来ないって思ったら、とてもとても楽しめるものでも。。。今のような状態で何かアドバイスできることがあればよろしくお願いいたします。

  5. 困ったさん より:

    私生活に不幸も不満も今はありません。
    お金も裕福ではないけど今は無茶苦茶、困ることもないし寂しいと思うときはあっても、家族仲が特別悪いこともないし順調とまではいきませんが、まあ平和かなと
    ボケーという感じです。年齢のせいか若い時ほど食べ物食べるたびカロリー計算もしなくなったし、割と容姿もどうでもいい。資格とかも今は切羽詰まってないせいか別に…。特にストレスってのはないんだけど。
    この前は同じ種類のちょっと都会じゃ珍しいたぐいの茶色のまだら蝶が何度も見れて、雨で弱ってそうだったから道路側から植物側にはらってよせてやろうとしたんですが、何度も戻ってくるので当然、逃げるだろうなと思って指を近づけたら乗ってくれました。
    ちょっと離れた植木のところまで移動されたけど飛んで行った。

    なんか別に関心もって検索かけたわけでのないことが
    太平洋戦争とか神様とかに繋がり、ええ?ちょっとそんなの関心ないし、思ってないよね?と内省しても、なんでなんというくらい緊張した今の中東地域、世界情勢と繋がったり。いやべつに、いや本当。
    もうそっち側はパニック状態で。

    流石にちょっとした人間関係の辛さや家族関係、貧乏の辛さはそこそこ軽く考えられそうですが(てか、今は別に問題は特にない)。やっぱり肉体の苦痛は超えられないし、これは怖いし越えられないです。どうしたらいいか状態で眺めて楽しめる風景でもないです。
    ごめんなさい、長文で。あんま変なシンクロでかなりテンパってて。

  6. より:

    昔からゴッホの人生に警戒感を感じていたし、ニーチェの人生や思想に自分自身の悲劇的な運命を感じ、嫌だった。
    そして、カフカさんやヒトラーさんもそうだが、皆、独身者と言う共通点がある。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      そうだね、彼らはマインドの人たちだ
      ゆえにプライドも高く
      理不尽を世界に投影していた

      あなたが彼らに何かしらの感情が起こるならば
      それは自分自身をそこに観ている
      逆にいえば
      同じ性質を持っていなければ
      彼らを認識することはできない

      そして彼らのイメージとは
      あなた固有のものとなる

      木を見るとき
      あなたが木になっている
      そうでなければ
      木はそこに起こらないのだ

      木もヒトラーも
      己の創り出した概念だということだよ

  7. 素人 より:

    自然な流れに身を委ね、流れに抵抗しない

    何が流れなのか何が抵抗しているのかどう理解したら良いのでしょうか?

    • -自分- 涅槃 より:

      素人さん

      >何が流れなのか何が抵抗しているのか
      それを考えている時点で
      掴むことはできない

      あなたが思考を介すまでもなく
      ごく自然に起きていることを探してみなさい
      無論、探すと見つからない
      呼吸とかけば
      あなたに呼吸が起こり出す
      そしてその呼吸は自然なものじゃない

      だが探しなさい
      部屋で静かにしているだけで
      何百という動きの中にあることがわかる

      探せば探すほど
      すべては不自然となっていく
      あなたが「不自然」を探し尽くすとき
      その背景を悟るのだよ

      つまり野球というゲームで勝敗を競い合っていたが
      あなたは野球をやっているという実感はない
      最初からずっと
      いまも野球をやっているからだ

      思考を向けることができるのは
      野球というコンセプトの中のものだけ
      どうやって勝つか
      どうやって変化球を投げるか

      だが野球は野球という限界がある
      そこに到達したとき
      あなたは「野球をしていた」ということに
      気が付くのだよ

  8. ONEPOINT より:

    昔は芸術家の生き様を見て自殺するような人でないと
    いい芸術家になれないと思っていました。
    しかしそのようなことは一切関係ないと知って
    自分を制限しないようにしたいと思いました。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん
      >昔は芸術家の生き様を見て自殺するような人でないと
      >いい芸術家になれないと思っていました。

      その話について
      新しい手記を掲載してみたよ

      ありがとう

  9. 瑠璃 より:

    自分さん はじめまして。

    何十年もの間、苦しみは嫌で…ずっと続く至福が欲しくて探究を続けてきました。
    自分さんの記事に出会い読み進めていくうちに不自然な事を続けていた事に気づき、あっ〜疲れた!!!と何かが崩れていきました。

    今回の記事を読んで私にとっての自然な世界を感じてみました。
    ゆったりと生きる
    静かな世界
    がキーワードのようです。
    ゆっくり観ていきたいと思います。

    すぐに分からない!どうすればいいのかな?と疑念がわきますが、その時はまた自分さんの記事を読ませていただきますね。
    自分さんいつもありがとうございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      瑠璃さん
      はじめまして

      あなたが経験する人生の苦しみとは
      すべて自分で創り出しているものだ

      つまりあなたの見方、在り方が変われば
      世界はガラリと変わる

      もっと極端にいえば
      いまと180度違う捉え方をすれば
      不幸は幸福になり
      幸福は不幸になる

      だがそれじゃ同じことだね

      大事なのは
      自分の見方を変えようとするのではなく
      自分は「いまこう見ているから、そうなのだ」と
      悟ることにある

      現実の毒はあまり強烈で
      誰もがマインドにドップリ浸かってしまう

      だが「じゃあそこから抜け出そう」とするのは
      同じループになる

      そうではなく、ドップリ浸かっている、ということを
      知るだけでいいのだよ
      それを”気付き”という
      そしてあなたが気付き始めるとき
      現実がオモチャの世界に見えるようになる

      それが目覚めだ

      旅の目的地は
      旅をしているいまなのだよ

      ありがとう

    • 瑠璃 より:

      >誰もがマインドにドップリ浸かってしまう
       だが「じゃあそこから抜け出そう」とするのは
       同じループになる
       そうではなく、ドップリ浸かっている、ということを
       知るだけでいいのだよ

      意識してやってみます。
      自分さんありがとうございました。

    • -自分- 涅槃 より:

      瑠理さん
      何でもそうだが
      そこから自由になろうとするのではなく
      その中で自由を見つけることだ

      例えばいま不幸ならば
      幸福を探し求めるのではなく
      その不幸に歩調を合わせてあげるのだよ
      思考での妄想はしてはならないよ
      それは歩調を外している

      そうではなく
      もっと感覚的にその様子に合わせてあげるのだ

      すると不幸はあなたの手をとって
      自立できるようになる
      あなたが合わせてくれるのを
      ずっと待っていた

      あなたが不幸そのものになるとき
      不幸は消える

  10. 爽やかハンサム より:

    「空=わたし」の“意識”が、形として現れたのが「現象世界」である。

    その現象世界の中に「私」がいる。

    だから「私」が「この現象世界」に文句を言っても何にもならない。
    「私」は単なるそこの登場人物なのだ。
    むしろ悪口を言えばその世界が汚れるだけだ。

    わたしは、「私」のすぐ“後ろにいる者”である。
    それが「本当のわたし」、すなわち“神”である。

    「私」は、今まで「誰かさんが作ったマトリックスの世界」にいた。
    そこから出たくて出たくて仕方がなかったけど「出方」が分からなかった。
    だからその世界を変えようとしていた。

    でもそれは無理なのだ。
    「私」はその世界のパーツになってしまっているのだから。

    しかし、“後ろの神”に気が付いたならば、
    「その道」が開通して、確定したならば、
    後ろから前へスコーンと貫けたならば、

    ここで初めて「わたしの世界」が現れる。

    そこに“わたしだけの世界”が現れるのである。
    と同時に「今までの世界」は消えるのである。

    そしてそこで「天上天下唯我独尊」となる。
    これがお釈迦様の言ったこの言葉の意味である。

    その世界は「全てがわたし」である。
    だから「安心して任せうる世界」である。

    だからブレーキは必要ない。
    アクセルもいらない。
    ただ「流れ」に乗っていくだけである。

    するといつの間にか「わたし」が「流れそのもの」になっている。
    「わたし」は、その「流れ」エネルギーである。

    そこに「私」はいない。

    ――――――――

    *自分さん、お久しぶりです。
    「作文」が出来ましたので、またお邪魔しました。

    • -自分- 涅槃 より:

      爽やかハンサムさん

      久しぶりだね

      >するといつの間にか「わたし」が「流れそのもの」になっている。
      >「わたし」は、その「流れ」エネルギーである。
      >そこに「私」はいない。

      何もなくなったそこには
      すべてがあなただという「無」が広がっている
      雲が過ぎ去った後の夜空のよう

      それはサイズを測れるものではないし
      何かと比較できる対象にもならない

      すべての大前提
      それだけが残る

      あなたが生きながらに死ぬとき
      それは無を携えているということを意味する
      生は雲であり
      月明かりは動きを照らし
      すべてはあなたという夜空の下で流れていく

  11. aslan より:

    この記事にシンクロしました。

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