探し物の世界

これだけ広大な宇宙で
地球だけが文明があるのはおかしい
どこかに知的生命体はいるはずだ

私たち人間は当然そう考えるわけだね

ところがいまだに宇宙人みたいなのは
はっきりとは見つかっていない

これはフェルミのパラドックスなんて
呼ばれているものだけども

宇宙生命体が自らの姿を
人間にはみえないように隠してるとか
あまりに遠い距離に点在してるので
交信ができないだけだとか

そうした「相手の立場」からみた原因、
つまり人間の観点での理由が述べられるけども

結局それは宇宙人を探してるつもりが
自分たちと同じ人間を
宇宙に探しているようなものだろう

むしろ真のパラドックスはここにあって
探し物をしているとき
その探されているものは
探している己の想定や認識を超えることができない

言いかえれば
探そうとしていないものを
探すことはできないんだ

宇宙のどこかにいる知的生命体が
どんな姿なのか
どんな存在なのか
そもそも知らないのであって

たとえこれまでの常識から飛躍した想定をして
それを探そうとしたところで
それもまた想定の枠組みのなかに
その存在を押し込めようとしている

だがそれをはみ出るぐらい大きかったら
目の前にいても何もみつけられていないし
もしかすると最初からずっと目の前にいるのに
それに気づいていないだけなのかもしれない

もちろんこれも”想定”だから
じゃあ枠組みをもっと大きくしたら
それがみえてくるのかといえば
そうでもなかったりもするのだろう

どれぐらい大きかとか
可視的であるかどうかとかが
問題ではないかもしれないからだ

つまり知的生命体がいるかもという
“考え”を浮かべている私たち人間が
そもそも何者なのか

パスカルはたしかこう言った

人間は自然界では風に揺れて
いつかは簡単に折れてしまう葦のように弱い
広大な宇宙のなかではちっぽけな存在だ

だけども「考えること」ができるゆえに
人間はとても偉大である

彼は人間を「考える葦」と表現したけども
これをフェルミのパラドックスに重ねてみれば
ちっぽけな人間と広大な宇宙の関係が逆転して
なぜ宇宙人がみつからないのか
その理由を”みつけること”ができるかもしれないね

つまり宇宙は本当は”どこに”あるのだろうか

あなたを包み込む巨大なものなのか
それともあなたのなかにあるのか

そのように逆転させてみるとき
知らないものをそこに知ることができる

たとえばいま周囲を見渡してみれば
机があって窓があって
窓からは朝の光が差し込んでいる

これらはなんだろうか

家族の声が隣の部屋から聴こえてくる
扇風機の風が肌に触れている

これらはなんだろうか

私はどこにいるのだろうか?
むしろこれらの光景が
私のなかに現れているならば

知っているつもりのこれらは
本当はなんなのだろうか

昼からの用事も来月の予定も
これまでの過去もこれからの未来にしても
私はわかりきった世界のなかで
それらと関わっているつもりでいるが
そもそもこの私こそが
みつからない宇宙人そのものじゃないだろうか
ということだね

もちろんこれも”想定”だということもできる

ただひとつ異なるのは
探そうとしている己がいるからこそ
探されるものが想定されているという視座にあること

つまりひとつ外側の観点から
解けないパズルを眺めていることにある

これはあなたのこの人生も同じ

あなたは幸せを探し続けてきた
人生の意味を探し続けてきた

素敵な出会いや嬉しい気持ちや
優しさや温もりや充実感や愛を
ずっと探し続けてきた

だけどもなかなかみつからない
これだと思えてもすぐに消え去ってしまう

まるでオカルト雑誌の
捕獲されたエイリアンの写真みたいに
それをみたときは驚くけども
本当にこれがそうなの?とだんだん疑問になる

じゃあエイリアンはどこにいるのかと
とんでもなく広大な夜空を見上げても
きっとあのキラキラしてる星にいるに違いないとか
そんな想定しかできない

人生の探し物はいつもそうして
深い霧の向こう側にぼんやりみえてるだけで
結局はお馴染みでありきたりの
平凡な光景に取り囲まれてるだけ

ときどき神秘の本を開いては
そんな探し物に思いを馳せたりするだけ

だがこの平凡な光景はなんだろうか
その本はなんだろうか

その本を支える腕や
ページをめくるその指はなんだろうか

それを探したいと思う気持ちは
どこから湧き起こってくるのだろうか

つまり本当にみつけなければならなかったのは

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