心というBGM
映画やゲームにはBGMが流れるけども
自分の味気ない日常風景に
もし軽快な曲や疾走感のある曲や
おっとりしたお洒落な曲なんかが添えられるなら
映像は同じままでも印象は大きく変わるだろう
あなたが好きな人と過ごしているときも
なんらかのメロディが流れているかもしれない
だからその時間を
より素敵に感じているのかもしれないね
さて映画やゲームのBGMはもちろん
映像に奥行きを与える演出として使われるわけだが
つまりそれがなくて
ただ映像が連続しているだけでは
単調になりがちとなる
味気なく思えてるときの日常の風景みたいに
動きのない絵や写真のようになる
だから映像に添えられるBGMというのは
心によく似ているんだ
心が躍動していれば
以前はつまらないと思えていたことも
楽しくみえてくるし
心が緊張感を保っていれば
しまりのない生活も凛としてくる
そうして無味な風景に”演出”が入る
なんでもなかった物事に奥行きが生まれる
もちろん焦りや悲しみもまた
心の演出によって強調される
むしろ”心がなければ”それらもないだろう
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そのように捉えてみると
ひとつの真理に達することができる
たとえば宇宙空間では星が軌道に乗って
回転し続けている様子だけがある
それは気の遠くなるような永遠において
淡々と同じことが繰り返されているが
私たちの体もまた自然そのものゆえ
ひたすら同じことを繰り返している
細胞の生滅が繰り返され
やがて体そのものも滅していく
この自然界において
いまもどこかで赤ん坊が生まれ
いまもどこかで誰かが死んでいく
しかしこのような宇宙や自然の様子というのは
心を介さなければ
味気ない光景が連続しているだけであって
だから退屈に思える日常風景や
親しい人と過ごしている時間にしても同様に
そこに心という名のBGMが添えられてなければ
もはや静止した絵みたいになる
動いているがそこにはなにもない
宇宙や自然は動いているが死んだ風景になる
つまり心をこめて何かをすることや
なにかを大切に思うということは
それは自らで演出を生み出しているのであって
灰色の部屋に色のある花を一輪飾るだけで
素敵に思えてくるように
むしろ”そう感じたい”ように
本当はなんでもない永遠回帰のなかで
Notes あなたの世界, あるがまま, いまここ, 宇宙, 幻想, 悟り, 意識
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