時間の錯覚を見破れば世界はあなたの遊び場となる

思い出も辛いことも
そして大切なものも
何もかもが過ぎて行く

掴んでいたはずなのに
指の隙間から流れ落ちていく

人生という路上で、
ふと後ろを振り返ってみたら誰もいない
慌ただしかった日々が嘘のようだ
気付けば途方もない孤独感に
襲われている

「自分はこの先どうなるのか」
「このままじゃ取り返しの
付かないことになる」

そんな感じかね?

 

時間という錯覚

あなたは自分は動いていなくとも
世界はどんどん流れていくと思っている
だから置いてけぼりにされないように
必死にしがみついている

それは完全な錯覚だよ

まったく逆であり、
あなたが変化するから
周囲が動いて見えるだけだ

模型の街にいるようなもの
いつもその中を
あなたは歩いているのだよ

すべては止まっている
人々、動物、雲、すべてが静止している
あなたの動きに応じて
それらは「別のコマ」に切り替わる

パソコンでやる映像編集と同じ
タイムラインはそこに固定されており
再生ヘッドが移動することで
映し出されるシーンが
変化しているように見える

つまり変化しているのは
シーンではなくあなたの方である
あなたが時間そのものであり
すべてはあなたに対応しているに過ぎない

そしてあなたが時間であるということは
時間は存在しないということを意味する

再生ヘッドがあなたで
それに示されたソースが光景となる
両者は対の関係(二項対立)だから
どちらか片方だけでは
その存在性は立証されない

再生ヘッドは常に変化する
だがそれを受け取る「光景」は
同時に変化しているゆえに
無変化だと言える
常に完全な静止(無時間)にあるのだ

音もそう
ヘッドが移動することで
ソースから音が起こる
すなわちあなたが音そのものであり
そして完全な静寂の中に
あることがわかる

すべては変化しているようで
何ひとつ動いていないのだよ

例えば時速100kmで走る車と
同じ速度で並走して走るバイクは
時速0kmのコミュニケーションがある
相対性の内側には絶対的なゼロがある

そのゼロこそが
あなたの人生を静かに眺めている
「本当のあなた」なのだ

「人生は時速100kmで過ぎていく」
あなたはそう思い込んでいる

就職やら結婚やら
楽しい旅行話など
誰もがあなたを置き去りにする
応じる笑顔の裏側で
いつもあなたは途方に暮れていた

だが実際に過ぎていたのは
あなたの方なのだよ

よろしいかな?

さあ、時計の針先となって
模型の街を歩いてみよう

あなたが「時間」だ
それを忘れぬよう
世界を楽しみなさい

すべてはあなたの変化に
紐付いているのだよ

 

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コメント・質疑応答

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  1. オレンジ より:

    こんにちは。
    昔から「時間と空間はない」という意味がさっぱり分かりませんでした。
    最近になって、私が老いるということが…物質が時間をつくっているんだな…とは分かりましたが、まだよく分からないです。

    >あなたが変化するから
    >周囲が動いて見えるだけだ
    これはなんとなく分かる気がします。
    逆に、私が変わらない部分は環境が変わっても
    内容は同じことを繰り返していたからです。

    >そのゼロこそが
    >あなたの人生を静かに眺めている
    >「本当のあなた」なのだ
    これは瞑想のとき、「私が椅子を見ている」と「椅子が私を見ている」の視点が重なるときのことですか?
    顕在意識が潜在意識とスピードが揃うってことなんですかね?

    >「人生は時速100kmで過ぎていく」
    >あなたはそう思い込んでいる
    そう。そうなんです。勝手に時間だけが進んでいくと思っていました。

    >だが実際に過ぎていたのは
    >あなたの方なのだよ
    これは私の顕在意識が生き急いでいたとか…
    そういう意味ですか?

    • オレンジ より:

      連投失礼します。
      分かった…と思います 笑
      見ると観る 二つの目で一つのものを捉えたとき
      顕在意識と潜在意識が交わる
      そのとき
      私と世界が見つめ合う感じがします。

      私が、「人生は時速100kmで過ぎていく」と感じていたとき
      それは私の方がそうであり、世界が私に合わせてくれていた…のですね。
      大人になって時間が過ぎるのが早く感じるのも、私がそうだからだったんですね。
      なんか泣きそうです。

    • -自分- 涅槃 より:

      オレンジさん

      >そのとき
      >私と世界が見つめ合う感じがします。

      その関係性は「中空」にあり
      そこに実存がある
      逆いえば、あなたと世界は
      実存が便宜的に起こしているものであり

      その姿なき中空こそが
      真理なのだよ

      あらゆる時間の感覚は
      思考が生み出した幻想だ

      「焦り」を持てば、時の経過を速く感じるが
      それは「いま」が速いのではなく
      過ぎ去ったこれまでが
      「速かった」ということになる

      だが過去とは
      いまここで「思い出していること」であり
      すべては幻想の産物だ

      結局は時間など
      思考が悩み事を作り上げたいためだけに
      用意した材料に過ぎない

      意識的に生きるとき
      すべてが自分の動きに
      応答していることがわかる
      コマ送りで世界が動いているようになる

      手記で伝えたように
      模型の世界を歩いているようになる
      あなたが「静止」すると
      世界も止まる

      身体の動きではないよ
      意識のことだ

      意識が静まれば
      世界は静寂となる

      あなたが一歩前へ進めば
      世界が一歩前へ来る

      あなたが眠れば
      世界も眠る

    • オレンジ より:

      見ると観るが重なるとき、空が分かりました。
      3秒ほどです。
      思ったのですが、これは右脳と左脳の超越ではありませんか?
      よく考えてみると、右脳と左脳も陰陽で
      対局にあるものですよね。
      この3秒ほどしか見えない瞬間を広げていけば良いのでしょうか?

    • -自分- 涅槃 より:

      オレンジさん

      >右脳と左脳の超越ではありませんか?
      脳科学もそうだが
      本書で提案しているような
      食生活の改善などもすべて概念だ

      私たちの生きている世界は
      何から何まで概念であるがゆえ
      あなたの中で納得があれば
      それはそれで良いことになる

      マハラジが言ったが
      自分は悟ったとすれば悟りであり
      悟ってないとすれば
      「悟っていない」を悟ったのだ

      つまりすべてはあなたという
      背景の上に起きている

      つまり「答え」はあなたが決めるのだよ

    • オレンジ より:

      自分さん こんにちは。

      確信とまでいってなく、悟ってなどないです。
      「男と女」「昼と夜」もそのまま意味を持っています。

      ただ、物の見方が偏っていたことだけは
      はっきり分かりました。
      「椅子が私を見ている」の視点の瞑想をして
      すぐに視点が大きく変わるのが分かりました。
      今までその視点を忘れていたから
      はっきり分かったんだと思います。

      この瞑想を続けていこうと思います。

    • -自分- 涅槃 より:

      オレンジさん

      >悟ってなどないです。
      悟っていないということを
      悟っているのだよ

      人は己の体験の中で生きている
      すべての体験は仮初めのものだが
      その背景は永遠のもの、
      つまりそれが「悟り」と呼ばれるものだ

      だからあなたがどんな体験をしようと
      それが「私は悟っていない」ということでも
      それはすべて悟りの中に起きているのだよ

      どんな失敗や間違いをしても
      すべてOKとなる

      なぜなら
      それが可能だったからだ

      >「椅子が私を見ている」の視点の瞑想をして
      >すぐに視点が大きく変わるのが分かりました。

      瞑想は固定概念を崩してくれる
      なぜ崩れるのかといえば
      それは妄想だったからに他ならない

      あなたが体感として感じたことだけが
      事実だ

      瞑想はそれを教えてくれる

    • オレンジ より:

      >だからあなたがどんな体験をしようと
      >それが「私は悟っていない」ということでも
      >それはすべて悟りの中に起きているのだよ

      瞑想をするとき、私は天井の電気を見ながらするんですね。
      そのとき、二つの見る…の視点を重ねていくと
      電気じたいがフッと見えなくなる瞬間があるのです。
      これは目の錯覚とかそういうものだと思うのですが、
      何度かそれを繰り返して、もう瞑想をやめようと
      目を閉じたんです。
      そのとき、身体中にすごい変化がありました。
      目の錯覚によって起こったことだと思ったので、
      これは脳が関係してると思いました。
      でも、脳のことなど実際どうなってるのかなんて分からないんですよね。
      見ることもできないし…
      そのとき「空」だと思ったものも、証拠もないし
      時間が経つと分からなくなりました。

      自分さんは今のようにいろいろなことが分かるように
      なるのに、たくさん本を読んだり学ばれましたか?
      私はそういう学びをほとんどしたことないのですが、
      ある程度知識は必要なんじゃないかと思うんです。
      自分さんの書などで出てくる方の名前なども
      だいたいが知らない人なんですよね。
      お釈迦様は分かりますけどね 笑
      そういう哲学?や脳科学なども学ばなくても大丈夫ですかね?

      体験と学びが結びつくとき、自我が納得するような気がするのです。
      これもやはり概念だから、自分しだい…なんですよね。

      すみません。長くなりました。
      いつもありがとうございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      オレンジさん

      いつもみんなに伝えていることだが
      本書に「内容」を捉えてはならないよ

      もちろん、あらゆる物事もそう
      月をさす指は月ではないのだ

      そこに面白い漫画があるなら
      その漫画を求めるのではなく
      自分の中で引き出されたものを感じなさい

      恋愛も同じ
      誰もが相手に依存する
      だが自分のハートに火が着いているのだよ
      相手が燃えているのではない

      この世界は言葉でできている
      だが言葉は「あなた」を
      分割する識別記号のようなもの

      脳科学もスピリチュアルも
      あなたの世界に起きた概念でしかない
      なぜなら知らない時期があったからだ
      いま、あなたが作り出しているのだよ

      すべて自分自身であるということ
      ただそれだけを感じなさい

      分析にこだわってはならないよ
      目の前のそれには、何の意味もないのだから

      対象も行為者もおらず
      体験だけがそこにあるのだ

      「いまネットを観ている」という主体を
      探してみなさい

    • オレンジ より:

      >すべて自分自身であるということ
      >ただそれだけを感じなさい
      瞑想中は本当によく自分自身を感じることができます。
      ただ、その後誰かと話したりしたら一気に分離が
      起こります 笑
      でも、瞑想を続けて習慣にしていきます。
      できる気がします。

      >分析にこだわってはならないよ
      >目の前のそれには、何の意味もないのだから
      >対象も行為者もおらず
      >体験だけがそこにあるのだ
      >「いまネットを観ている」という主体を
      >探してみなさい

    • オレンジ より:

      すみません。途中でボタンを押してしまいました。

      >分析にこだわってはならないよ
      >目の前のそれには、何の意味もないのだから
      >対象も行為者もおらず
      >体験だけがそこにあるのだ
      >「いまネットを観ている」という主体を
      >探してみなさい

      分析は自我の習性ですね。考えだしたら止まらなくなります。
      探しはじめると探さなくてはならないような現実が
      また起こるんですよね。
      探すことを諦めます。できるか分かりませんが…
      最近は、主体を意識すると戻せるので
      やはりこれを習慣にしていきます。

    • -自分- 涅槃 より:

      オレンジさん

      >その後誰かと話したりしたら一気に分離が
      >起こります

      分離が起きていると気付いているなら
      それは俯瞰の状態にある
      つまり「分離を見ている」であり
      主体に意識が置かれている

      >探すことを諦めます。
      「探さないこと」すら探しているという行為になる

      あなたの言う通り
      主体に意識を置くことで
      すべては「手放し」となるから
      対象に囚われないことだ

      常に自分を後ろから見ていればいいよ

    • オレンジ より:

      >分離が起きていると気付いているなら
      >それは俯瞰の状態にある
      >つまり「分離を見ている」であり
      >主体に意識が置かれている

      今日またそんな状況があったのですが、
      「あ、私出来てる…」とか思ってしまうんですよね。
      「主体に意識がちゃんとある」ということを認識して、ちょっと喜んだりしたら足元すくわれました。
      一喜一憂しないことだ!と思いました。

      >「探さないこと」すら探しているという行為になる
      >あなたの言う通り
      >主体に意識を置くことで
      >すべては「手放し」となるから
      >対象に囚われないことだ
      >常に自分を後ろから見ていればいいよ

      探すも探さないもマインドで
      探さないことと手放しとは違うことなんですね。
      マインドがあるから対象ができる…
      常に自分を後ろから見るよう意識します。
      ありがとうございます!

    • -自分- 涅槃 より:

      オレンジさん

      よろしい
      大切なのは自分自身を
      自覚していることだけだ

      我を見失うとき
      ネガティブが起こる

      だが自分を観ているとき
      苦悩はその意味付けを捨て
      単なる出来事へと変容される

      さらに深く意識的であるならば
      すべてはポジティブなパワーに変わる

コメント・質疑応答

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