苦しい自分をやめたい

毎日多くの相談メールが寄せられる

特にいまの時期なんかはそうなんだけども
多いときで週に100通近い回答をしているが
ある傾向があってね

当人が自らを顧みるヒントを添えて届けても
「自分をやめたい、苦しい」という相談者ほど
さらっと読み捨ててしまい
ものの数分で返答をしてきてしまう

そしてまた同じことを求める
というわけだ

しかしこれは”必然的”なことでね

たとえばいつも話していることだが
釈迦やイエスでさえそうだったように
そしてあなたの親しい友人や家族も同じであるように
私もまた誰かを救うことなどできない

その人が自らで抜け出せる手伝いをしてやれるだけだ

ところが私の話であれ
他の人たちからの親身な声であれ
すぐに言葉を返してしまうとき
それはいったい誰が返しているのだろうか

そこにまず気づかねばならない

反応で生きないこと
そもそもそれがすべてのはじまりなのだから

言いかえれば
それが「自分をやめたい」への答えであり
つまりそのすぐに反応する”自分”から抜け出すための
いろんな助言をみんながあなたに伝えている

だがそれを聞いたところで
地面に映る自分の影から自分は逃げられないように
その自分が思考して反応している限りは
自分から離れることはできない

日頃の人間関係や物事が苦しいのは
それらが苦しみを与えているからではないんだよ

そこに気づかないかぎり
誰からなにをアドバイスされても納得がいかず
結局は同じことばかりを
聞かされるはめになるだろう

むしろ「やっと納得いくアドバイスがもらえた」
というときこそ”自分”はより強固になっているんだ

だから拒絶にしろ肯定にしろ
それが反応的であってはならないということ

反応する心をぐっと監視ながら
その”監視する者”とひとつになることだ

そうして私の回答にしても
親しい人からの言葉にしても
さらには日常のなんでもないやりとりでも
すぐに”言葉を返す”のではなく

何度も読み返し何度も心で復唱し
そうして三週間でも三ヶ月でもかけて
そこでみえてくる「反応ではない何か」を
この現実を透き通らせた向こうに
発見しなければならない

もうそのときあなたは
苦しい自分ではなくなってる

 

ん?いまも反応しようとしてるね

なにもせずに

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