これからの時代を生きていく準備(3)

金持ちはさらに金持ちになり、貧乏人はさらに貧乏になる。よく聞く話だろうけどもまさに「その通り」だ。この社会はそのようにできており、いわば真面目な勤労者からすれば、この社会とは欠陥そのものであるといえる。

だが彼らはこのタチの悪い構造に気づいていない。気づけないのだ。なぜなら彼らは「じゃあ自分も頑張って金持ちになろう」と、この社会のなかで考えてしまうからだ。

前章までに話してきたように、私たちが備えているどのような知識や感覚も「すべて社会の刷り込み」である。たとえば「いまの苦しい現状を解決しよう」という発想でさえも社会の刷り込みとなる。

つまり論理的に発想される何かではなく、まったく別の領域の視野が必要となる。

そのためには、社会という構造を理解しなければならない。本来人間の道具であった「政治性」が巨大化し、その道具が人間を操るようになった。道具に考え方を支配されているからには、その支配に反発する発想はすべて「矛盾」となる。だから、道具そのものを理解し、道具の外側に立つことが大前提となるのだ。

ほぼ金持ちになる方法

連載後半となる今回からは「ほぼ金持ちになれる話」を書いていこう。ほぼとしているのは富の原理を説明するための基本的なモデルであるからだ。自分なりの応用は必要とされる。だがこうした話から本当に理解しなければならないのは、これを学ぶことで、社会の構造を「外側」から知ることにあるのだ。

この「ほぼ金持ちになれる方法」を聞いてあなたは世の中に幻滅するかもしれない。なぜならこの社会で永続して金持ちであり続けるには、この幻滅する方法しかないからだ。それに気づいて実践した人々が金持ちなのであり、あなたの雇い主もそうであるということだ。

だから大事なのはこうした社会の仕組みを理解していまの自分の状況を見直すこと、そしてこれまでのように盲目的に振り回されなくなることにより、人生を自分自身の脚で正しく歩むことにある。

私は別に金持ちになる必要もなく、つまりその幻滅した方法を行うこともなく、この富の原理を知っているからこそお金に苦しむこともなく、別の次元で人生を創造し楽しんでいる。あなたもそうであることだ。

経済学というまやかし

たとえば商売を始めるとき、人は経済学の観点から物事を考える。経済学というのは、需要や供給がどうであるとか、人々の心理をみた行動理論であるとか、機会費用だとか、景気の動向であるとか、言葉にすると専門的にみえるが、実際は私たちに馴染みの深いごく一般的な社会の見方のことだ。スーパーに買い物に行って商品を選ぶ様子が、経済学の全てを語っている。

だからその染み付いた経済観をもとに商売をはじめるわけだ。自分はウェブデザインの学校に通ってきたし、実務経験もある。いくつか資格も持っている。そしていまはインターネットの時代だ、貯めたお金と金融公庫からの融資とでウェブ制作会社をはじめてみよう、最初は安い料金ではじめて知名度優先でいこう、ってな具合だね。

だがそれが「社会という道具」に使われている典型的な失敗の一歩なのだ。社会の支配のなかでどれだけ考えをめぐらせたところで、アップダウンの波に揉みくちゃにされ続ける。

経営が悪い時は、やはり経済学の見地でその対策をしようとする。「いまの流行はなんだろう」「価格競争に打ち勝とう」「もっと宣伝費を投入しよう」さらには「追加の融資を申し込もう」なんて流れになる。

セミナーなどでせっせと名刺を配って歩き、偉そうな顧客にも笑顔を絶やさずへこへこ頭を下げて「お持て成し」を続け、いつからか周囲に感化されて欲望に飲まれ出し、人生はどんどん泥沼化していく。あげくには帳簿を誤魔化さないと「社会的な顔」を保てなくなり、やがてその綱渡りの細い糸は切れてしまう。

仕組みのなかの仕組み

もし経済学、すなわち論理的に社会を「計算」できるのならば、そこに誤りは出ないはずだ。だがなぜこんなに景気が悪いのだろうか。なぜみんな「足りない」のだろうか。国がどれだけ経済政策をしたところで好転する兆しは見えてこない。まるで騙されているみたいだ。

じゃあ経済ってなんだろう? 経済の語源である「経世済民(世を治めて民を救う)」はホリスティックな意味を込めてつけられた当て字であり、そもそも経済(=エコノミー)とは古代ギリシアの「家計」という言葉から出発している。あなたの家のやりくりのことだ。何が足りないから補充するとか、そのためには手持ちの何かと交換をしてもらってくるとか、それが全世界に拡大したものが経済(エコノミー)の原理となる。

だから経済とは「生み出すものではない」のだ。「歯磨き粉が足りないから買ってこなきゃ」という結果のデータでしかない。だから経済学を商売に生かすというのは結果をもとに予測していくことに他ならず、それは単に社会という巨大な生き物が起こす波を、経済という名で読み込んでいるだけにすぎない。ゆえに誰もが一寸先は闇で、いつ落とし穴に落ちるかわからない状態で歩いているといえる。

あなたがいま会社員ならば、その会社はすでに綱渡りをしているかもしれず永続する保証はないし、たとえ業績が順調であったとしても、いつか給料が10倍になるなんてことはまずない。

つまりいまの暮らしですでにカツカツならば、今以上のことは何も望めないということだ。それどころか子供が生まれたりなど様々な「社会的な要素」で支払いが増えてもっと悪くなるだろう。人生の終着点はすでにそこに見えている通りとなる。

あなたの人生の主は誰なのか

いま何かの商売をやっていて、それなりに顧客も掴んで安定した収益があると言っても同じことだ。それは「社会の様子がたまたまそのようである」だけで、いずれ何らかのタイミングで収益のバランスは必ず崩れてくる。

そうして収入が不安定になってくると、以前に組んだローンやクレジットカードの返済が首を絞めつけはじめる。あなたもよく知っている重苦しいあのムードを味わなければならない。

「確かにそうだけど、でもこれまで何とかなってきたし」というだろう。だがその「何とかなってきた」というのも、社会の波なのだ。つまり良いも悪いも、あなたのコントロールを完全に離れていると言っているのだ。ここが大事だ。なのに「自分の人生は自分の意志で生きている」なんて錯覚している。ゆえに苦しむのだ。

そしてここがさらに重要なんだけども、その錯覚がある以上は、どれだけ熱心に瞑想やスピリチュアルに励んだところで、大波がきたらまた一からやり直し、つまり社会の拘束から抜け出させてくれる神聖なる分野でさえも、社会が生み出した模造品と成り下がってしまうことにある。

人はそれに気づかず、いつか社会を攻略できると目論んでいる。だがあなたに毎月届くその月刊スピリチュアルの発行元をよく見てみるといい。「社会」だ。

働いてはならない

だから収支に四苦八苦しないためには、つまり「金持ち」になるには、働いても商売をうまく回そうと努力しても「ダメ」なのだよ。まして手に職をつける必要もないし、情報収集に走り回ったり、専門分野の受講に大金を叩く必要もない。そうしたことのすべてが、あなたを「金持ち」から遠ざける。

よくネットなどで「働いたら負けかなと思っている」なんて厭世的な言葉をみるが、その通りだ。働いたら負けなのだ。

だがそれだけじゃダメだ。なぜならその選択は社会支配のなかの選択のひとつでしかなく、働かないだけでは結局は社会のなかで苦しむことになるからだ。

つまり社会が両手をひろげて提案する「正攻法」のどれもが罠であり、それらのカードから離れなければならない。つまりこの社会に使われるのではなく、この「社会という財宝の塊」を外側から使うことにあるのだ。

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