わからず屋をわからせるには
自我というのは
自分の言い分がすべてであって
なぜなら何かを言い張ることそのものが
まさに自我そのものだからなんだが
だからこそ
あることをないと言ったり
ないことをあると言ったりする
つまり物事が正しいかどうかは
二の次なんだね
これは家族や他の人と口喧嘩をしてるとき
あなたのなかの自我もそうだし
その相手にしてもそうだろう
たとえばあなたが自らの心を観察して
自我の主張としてではなく
物事の正しさを念頭において伝えようとするほど
相手の自我がよくみえてくる
「ああこの人は物事が正しいかではなく
自分の言い分を通したいだけなんだな」
という具合だね
実際どこであれなんであれ
言い争いというのはそんなものなんだけども
じゃあその場を「収まらせたい」なら
Notes ワンネス, 人生, 人間関係, 心, 思考, 愛, 神, 神秘, 自分, 苦悩
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