すべては素晴らしかった

キャンプがブームになると
問題になるのはゴミの放置なんだけども
当然ちゃんと持ち帰らなければならない

だがここでひとつ気づくのは
そもそも自然には
ゴミなんてものは存在しないということだ

これはよく言われることだね

たしかに落ち葉や生き物の死骸は
たくさん転がってる
だがそれがゴミだとは思わないだろう

それどころか自然の風景に必要な彩りであり
それがなければ”不自然”になってしまう

つまり山や海や動物の世界にゴミなんてのは
その概念からして存在しないわけで

だから廃棄物や余計なもの
いわば何かをした代償みたいなものは
人間だけが生み出すものにある

 

何かが生まれる場所

人間は生活の豊かさを作り出すと同時に
廃棄物を出し続ける

エアコンで快適さを得るかわりに
CO2を排出し続けるわけで
家を建てれば廃材が大量に出たり
仕事をすればゴミ箱は紙屑だらけとなる

そうして人間はなにをするにしても
“ゴミ”がつきまとう

もちろん木彫りの作品も
削りかすがあってこそ生まれるものだ

だがときに芸術は
その”余計なもの”を含めてこそ
なにもないところからそれが生まれた
という示唆を与える

むしろそれが芸術であり
ミケランジェロのピエタもそうであるように
一個の大理石からあの姿が生まれた

そうした製作の過程がどこか伝わってくるからこそ
私たちは作品を前にしたとき
なにか深遠なものを感じ得るわけだが
しかしそれはもはや人間的な見方ではなく
ゴミなど存在しないほうの自然界の眼差しにある
といえる

その意味でより正確にいえば
「なにもないところ」に生まれたのではなく
「すべてがあるところ」にその形が生まれたのであり

つまり作品に深遠なものをつかんでいるとき
私たちは人間の見方を超えている様子にあるんだ

 

心の廃棄物

その観点を保ってみるとき
つまり利便や快適さだけをみて過ごすのではなく
人生をひとつの”芸術的な作品”としてみてみれば

それまで抱えていた日常的な問題
いわば「ゴミ処理の問題」が
解決の兆しをみせるようになる

なぜならゴミなどそもそも存在しないからだ

もちろんそれは
リサイクルなどの物理的なこともそうだが
そうした取り組みはまた別の機会に譲るとして

今回は心の問題もそれと同じである
ことに気づいてみよう

たとえば現代人は
生産性や効率性を重視するけども
それは有用な結果ばかりをみているからにある

有用な結果、つまりどれだけ得をするかとか
どれだけ成し得たとかそんなところだが
当然ながらそれは
大量の廃棄物を生み出すことになる

その廃棄物こそが
まさに人間の世界に潜在している
虚栄心や妬みや恨みといった負の感情であり
それが他者への優越を求めるようになったり
逆にそのゴミにまみれて
生きる気力を失ったりするわけだ

 

本当の富をみつける

だが繰り返すように”ゴミ”は
人間のみている世界にだけしか存在しない

つまりゴミなんて本当はないのだと気づいたとき

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