人生の本質

人生というのは
なんでも叶う場にある

だが間違えてならないのは
じゃあ何億円が突然に振り込まれるとか
そういうことではなくて

たとえばあなたが
家族や知人や街の人々に対して
言っちゃいけないようなことを
言ってしまえたり

やっちゃいけないようことを
やってしまえるということだ

どんなに親しい間柄でもね

だから「親しき仲にも礼儀あり」なんて
昔から言われたりするのは
単に交友関係のことだけを言ってるのではなくて

あなた自身の人生について
とても重大なことを述べていることになる

 

何もないところに楽園は現れる

どういうことかといえば
彫刻が「何でもない木」から
“作品”を削り出していくように

人生とは何かを付け加えていって
作り出すのではなくその逆にある

つまり「何でもない総体」から
部分部分を除外していった末に
現れてくるのが人生なんだ

「言ってしまえる」
「やってしまえる」
だけどもそれをあえてやらないとき
そこには独特の秩序や世界が浮き上がるだろう

たとえばいまもあなたは
いろんな欲望や欲求がある

しかしそれを”実行”してしまえば
築かれていた関係が崩壊したり
犯罪者として捕まってしまうかもしれない

つまり人生が破綻するわけで
そんなことになってほしくないから
あなたは自らを自律するわけだが

しかしそうであるからこそ
「何でもないところ」に
素晴らしい作品が現れてくるんだね

 

己の人生に法を定めるとき

逆にいえば
じゃあ「何でもない総体」とは
どんなものなのかが見えてくるわけであって

要するにそれは
人間の世界としての統制がまったくない
混沌した世界のことだ

たとえばあなたの嫌いな虫があちこち走り回り
カビや病原菌が蔓延するジメジメした密林や
肌を焼き続ける紫外線なんかで
埋め尽くされてるカオスな世界であり
さらには私利私欲に塗れた餓鬼のような人々が
その無秩序な世界を往来してる様子にある

そのような混沌を
あなたは”自制”において
望ましい作品として削り出していた

つまりそのような地獄から隔てられていたのは
自らで秩序ある楽園を生み出していたからなんだ

実際そうだね
部屋の換気やお風呂掃除をちゃんとやるから
カビの発生を抑えることができる
快適な暮らしが現れる

それは心のあり方も同じ

その意味で
犯罪者になる人や欲望で自制が効かない人と
そうならない人の違いとは

混沌とした総体のなかで
自らの作品を生み出しているか否かの
違いにあるわけだが

しかしそんな無秩序な世界を生きるのは
当人にとっても過酷だろう

実際それが過酷ゆえに
やっちゃいけないことをやって
鬱憤を解消するしかないのだけども

しかしそもそもそうして
解消しなければならない混沌を生きてるのは
結局はその鬱憤解消からはじまってるんだ

ゆえにいつも別れ道がある

片方は相変わらずの無法で無秩序な世界
もう片方は
ちゃんと”法整備”がされた人間らしい世界

ゆえに世界が過酷かどうかはあなたがどれだけ
“余計なもの”を除外しているかで決まるわけで

余計なものとは
たとえば他人への過度な期待だったり
自分と他人との比較だったり
外のものばかりに魅了されていることだったり
まあいろいろあるけども

つまり余計なものとは自分のなかにあるんだ

 

人生の本質

さて冒頭で
「人生とは何でも叶う場にある」と言ったけども

それはつまり
はじめからすべてが叶っているからに他ならない

だからあなたがその気になれば
いくらでも強盗犯になれたり
横柄な態度やわがままを言い放って
他人を暴力的に支配できるが

しかしそうした「何でも叶う世界」に
つまり混沌とした奪い合いの世界に
いずれはあなた自身さえも飲み込まれてしまうわけで

それゆえ何を言うかが大事なのではなく
むしろ何を言わないかが大事なんだね

あなたの秩序ある楽園は
そうやって築かれてきたんだ

そうして楽園を維持管理する努力を続けてれば
あなたの彫刻の腕前もさらに上がっていくわけで
より美しく豊かな世界になっていくだろう

禅寺なんてまさにそのお手本であって
“余計なもの”を極限まで省くことで
あの静寂と揺るぎなさが表現されている

つまり人生の本質とは

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