福の神

元旦は世間が休みということもあるが
“空白”な印象を感じる人も多いだろう

真っ白でなにもないような感覚だね

それはいわば
これまでの時間が終わって
新しい時間がはじまるゼロ地点

たとえばパソコンみたいに
“記憶の集合”のような構造のものは
調子が悪くなったら
一度電源を落として再起動を試みたりすることで
リフレッシュしたりする

もちろんデータが失われるわけじゃない

あなたの日常や人間関係のように
それらとの関わりがスムーズではなくなるとき

いつの間にか入り込んでいた
余計な”思い”なんかを見直すことで
同じデータのまま無理のない組み立てができるわけだ

だがそうして不整合を正すためには
起動中のパソコンの内部からでは不完全であり
一旦そこから離れて
外側からシステムを点検しなければならない

失恋で落ち込んでる友人を
客観的にみつめられるのは
その人を外側からながめてるあなたであり
「なんだ簡単なことじゃないか」と思える

ところがあなた自身が失恋で落ち込んでるとき
心を平静に保つのはとても簡単なことじゃない

なぜならそれを正そうとするそもそもの自分が
恣意的な判断に囚われているからであり
どこか都合のよい解釈になってしまう

だから一旦再起動をして
再び立ち上がってくる構造の”直前”に
つまりまだゼロの地点に戻る必要があるんだね

ゆえに人生を変えたいなら
持っていないものを求めたり
なっていない自分になろうとする前に
いまあるものを見直してみることが大事で

つまり”記憶の集合”であるあなたは
それがどのように組み合わさるかだけなんだ

するとなにを手に入れる必要もなく
抱えている問題が別のものに変わったりする

そしてそこから”本当に新しい活路”が開くんだよ
モーセが海を割ったように
ありえなかった道が現れたりする

だが失恋話のように
すでに組み上がってる体系のなかからは
たとえ新しい方向を目指したところで
それは無理してる自分を抱え続けることになるだろう

そうではなくて一旦リセットするんだ
データではなくて”構造”をね

そしてその空白の感覚を取り戻すために
私たち人類は自然の周期に合わせて
こうした基準日を取り決めた

つまりそこから”他の世界”を眺められるような
参照点をつくったんだ
それがなければどこまでも同じ世界が
連続し続けてしまうからだ

だから現実に囚われてる自分に気づいたとき
その枠組みの外に出るには
こうした元旦を過ごす経験が生きてくるわけでね

「元旦なんて店も開いてないから退屈だし
掃除をしたら福の神が逃げるなんて
変な迷信にみんな”囚われてる”し・・」

なんて言ってはならないんだよ
囚われているのはそう言うあなたのほうであり
その迷信は必要なものとして設定されてるんだ

そう、再起動のためのね

つまり福の神とは
枠組みの”囚われ”から救い出してくれる
ありがたい神様なんだ

あなたに幸多き一年となりますように

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