現実という感染症

世界史でよく語られるひとつに
たとえば西洋人が
古代からの文化が続いていた南米や
太平洋の島々を次々と征服していったのは

武力や進んだ文明だけでなく
現地の原住民たちには存在していなかった
ウイルスなどの病原菌を持ち運んだこと
その大きな要因だったとされる

当時の西洋社会の過密で不衛生な環境のなかで
蔓延していた天然痘やペストなどだね

それらは航海や上陸とともに持ち込まれ
免疫のない人々を襲い続けた

だからもし現地の人々に
それらの免疫があったならば
西洋の支配はいま知られているほどには
広がらなかったと推測されたりもするわけだ

 

歴史から学ぶべきこと

さてこうした人類の歴史からは
いろんなことを学ぶことができるのだけども

それはこうした話が
いまのコロナ禍に置きかえるのかといった
早計なことではなく

むしろそういった社会問題が
煽り続けられている”蔓延する情報“こそ
まさに”蔓延する病原菌”に
置きかえられるということにある

ところで南米や南太平洋の民族が
もし西洋の征服を防いだならと仮定するには
そうしたウイルスに関する知識もまた
必要な条件のひとつだったといえるだろう

だがそのように何かに対する知識を持つというのは
それ自体に巻き込まれずに距離を置いて
静かに観察することでもあり

つまり物事に対する姿勢そのものが
“感染”を遠ざけることになるんだ

 

“現実”という感染

だからこういうことだね

いろんな情報が押し寄せてくるなかで
「どれが正しくてどれが誤っているのか」と
その渦中に飛び込んで吟味している時点で
もう感染しているのであり

より身近な例なら「あれが欲しい」けども
手に入れたほうがいいのか
それともやめたほうがいいのか
そうしてどちらを選ぶべきかと考えてる時点で
すでに正常な判断はできていないということ

欲望に感染してしまっているからこそ
どちらかを選ばなければならないのであって
ところが私たちはそのように
すでに”感染”していることに気づかず

「あれが正しい、あっちは間違ってる」と
本当は選ぶ必要もない選択をしながら
やがてはその自ら選択したものに征服されて
支配された民のように人生を送っている

 

本当の答えはどこにある?

ゆえに大事なのは何を選ぶにしても
選ばなければならない時点で
すでに何らかの枠組みに立たされているのだと
気づいていることにある

だから「何も選ぶな」という話ではなく
“この世”という枠組みのなかに立っている自分を
少し遠目から眺められていることであり
そしてそれは
この世をあなたの”なか”にみている
ということでもある

ならば欲望そのものに感染はせず
つまり選んだものに縛られる人生は回避できるだろう

なにが目の前にあるとしてもね

たとえばSNSで飛び交う”正論”はいくつもある
そのなかで自分の選んだものは
たしかに筋の通った意見かもしれないが
しかしその正論に支配されている自分
気づいてなければならない

わかるかい
そうやって正しいものを”選ぶこと”が
あなたの人生の道ではないんだ

本当に正しいものは
選ぶなかにあるのではなく

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