未来の自分を救う
以前に自分が反省として書き留めていた日記やメモが出てきて、今日の自分を助けることがあるだろう。「前もそうだったな。また同じ誤ちをするところだった」みたいなね。
明るく前向きだった頃の自分の姿を思い出して、いまの自分を見つめなおしたこともあるはずだ。
そしてこのように「以前の自分に助けられた自分」を思い出している今日の自分もまた、助けられている。
あなたは自分を救える
ここで気づいておくべきは、以前の自分は未来の自分を知らないということだ。
今日の私は明日の私を知らない。
つまり今日の私がした前向きな行為が、“知らない他人”である明日の私を救うかもしれないわけだね。
もちろん明日の私を助けるつもりで、今日の私はなにかをしているわけではない。
だが自分なりに善いと思える1日を過ごせたならば、それはきっと未来の自分を救うのだろう。
“みんな”
ところで釈迦は「”みんな”で彼岸に着かなければならない」と言っていた。つまり彼は自分ひとりだけ救われようとはしなかった。
この”仏法”は二重の意図がある。
というのは彼がみんなで一緒に行こうとした話を、私たちの”各々”がいまこうして聞いているということだ。
つまり釈迦の”みんな”とは、彼が彼の世界そのものを救うということであり、ゆえにあなたもまた、あなたの世界を救いなさいという示唆が込められている。
間違えてはならないよ、釈迦に彼の世界があったように、あなたにはあなたの世界がある。
ならばあなたの世界に現れている”みんな”とは何者なのか、ということだ。
それは誰なのか
同じく聖書では「善い羊飼い」が語られる。
──
私はよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる。
(ヨハネによる福音書10:11)
──
イエスは迷える羊たちを導くわけだが、ではあなたの人生において羊とは誰であり、羊飼いとは誰なのか。
言いかえれば、
Notes あなたの世界, 世界を変える, 他者, 因縁生起, 奇跡, 存在, 愛, 時間を超える, 生きる意味, 生き方
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