1秒前はどこにある?

落ち込んでるあなたはいう
「嫌なことがあったんですよ」

つまり嫌なことがあって
落ち込んでるわけだね

当たり前だね

だが教えてほしいのだけども
たとえば1秒前はどこにあるのか

私にみせてくれないかな

それがどこにもないのだとわかったら
あなたは「現在いまの過去」から解放される

つまり過去は過去にあったのではなく
落ち込んでる現在の自分が存在するため
“いま作られた記憶”なんだ

1秒前に割れたコップも
それはいま現れているものであり
1秒前にぶつけた足も
いまここにジンジンする痛みがあるだけ

私と交わした”これまで”の出来事も
いま作られた記憶としてある
もちろん記憶の糸をたぐるときの
あの感覚もセットだね

家族と過ごしたあの夏の日や
学生時代の休み時間の光景
そんな懐かしい思い出も
“いま”思い出されているものであり
窓辺に飾ってある当時の写真も
やはりいまここにあるものだ

つまりあなたの”現世”とは
まさにいまここに現れているもの「だけ」だから
それゆえにたとえば
「目の前を〇〇が横切ったら不吉だ」とか
「〇〇がみえたら好転の兆し」みたいな
そんなジンクスがよくいわれるわけでね

あなたにとってそれらが
いまここに描かれる絵の”部分”であるならば
当然ながらジンクスは的中することになる

 

あなたは歳をとらない

ここには一枚の絵しかない
あなたは一枚の絵を眺めている
もちろんこの”いま”がそうだ

“この絵のなか”に過去が描かれているわけで
過去が描かれているからこそ現在がある
(実際そうだね、いま部屋を見渡してみよう)

そして現在があるからこそ
未来は”確定”していることになる

というのは
いまの自分が想像できる将来は
現在や過去を必ず前提としているからだ

逆にいえば
そうして”いま”想像する将来への計画や対策に
支配された現在があるのであって
つまり予定調和を崩さないかぎり
未来は現在という枠組みの延長にすぎない

そもそも”未来”とはなんだろう?
それはすでに描かれているものなんだ

現在いまの過去
現在いまの未来

だからあなたが過去や未来と捉えてるものは
いまとは隔てられた
“過去”や”未来”にあるのではない
むしろ隔てられた世界などそもそも存在しない

そんなわけがないと
あなたのなかの”自分”はいうだろう

だけども1秒前はどこにあるのか

つまり予定調和が崩れるというのは
絵が(現世が)ごっそり描き変わるのであって
そのとき未来は変わり
そして”過去”も変わるんだ

するといろいろ明らかになっていくけども
たとえばあなたは
本当は”何歳でもない”ということだね

 

魂が浄化されるということ

とはいえ
未来と過去に挟まれた現在に描かれた”自分”は
そうして絵が変わったことを知ることができない

どうしてモナリザが
自らが描かれた同じキャンバスに
以前は貴族の男性が描かれていたことを
“彼女”は知ることができるというのだろう?

というわけでね
嫌なことがあって落ち込んでるとき
1秒前など実はどこにもないとわかったら
もうあなたは因果の法則から自由となる

1秒前を信じてるのは”自分”だからであり
ゆえに間違えてはならないのは
自由なのは”自分”ではなく

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