現実の法則を超える

あなたの”奥”から
あなたを通じて世界を眺めている
意識の存在を発見してみよう

自分の顔は「お面」であって
そのお面を被ってる何者かがいるみたいにね

よいかな?
そこから神秘の旅がはじまるんだ

たとえば意識そのものに注意を向けるほど
あなたが東京から大阪へ移動しても
意識は少しも動いていないことを知るだろう

また右や左を振り向いても
意識はどちらにも向きを変えることはない

つまり意識というのは
三次元世界の常識とはかけ離れた
まったく異質のものだということ

さらにいえば
幼少の頃から大人のいまに至るまで
己の外見がどのように変貌しようとも
意識はなにも変わっていない

あなたをその奥からみつめている”それ”は
決して年齢を重ねない

どのような知識を得ても
どのような経験をしても

意識そのものが成長することもない

意識は大きくなったりしないわけだが
むしろ大きいとか小さいとか
そういう概念さえも意識の前では無効になる

 

意識と現実

そして先日コメント欄でも話したことだが
意識には性別もない

たとえば「人間の世界」というのは
古来から男性中心主義な思想が
文明の根底に敷かれてきた

これは西洋だけでなく
各地の土着文明も大半がそうだ

聖書を開いてみれば
神は土からアダムを作り
そのあばら骨で女を作ったとある

男(アダム)を支えるためだ

もちろん聖書は様々な解釈が可能だが
とはいえその字義通りに人々が解釈して
それに倣った世界観を
築いていてきたのは明白だろう

その解釈が基盤となり
その上に西洋社会が生まれた

ところが繰り返すように意識に性差はない

それはつまり
私たちは”根源”のところで
常にこの現実に違和感」を感じている
ということなんだ

 

現実というジレンマ

他にもたくさんあるね

生まれながらの境遇や
経済的な格差や
どうしてこんなに生き辛いのか
どうしてうまくいかないのか

だからこそ常に議論が繰り広げられる

しかしあっちを持ち上げれば
こちらが持ち上がってしまう

さらにばつが悪いことに
たとえば女性が男性との性差を
なくそうと主張するほど
女性は自らが女性であることを
より強めることになるというジレンマがある

その主張の先には
どのような解決があるというのだろう?
今度は男性が権利を主張するのだろうか?

となれば女性は
自らが女性をあることを”訴えず”に
“それを訴える”には一体どうすればいいのか?

ここにジェンダー問題のパラドクスがある

もちろん性差は一例にすぎない
人種やナショナリズムの問題も同じであるし
あらゆる”平等”の問題がこれと同じ

すでに存在しているもの
“すでに区分けされているもの”を
なかったことにするのは
困難を通り越して”原理的に”不可能に思える

みんな人生に苦悩しているし
その苦悩をどうして解決しようかと
手探りで生きているが

つまりこうした問いは
この現実のなかでは解決できない」んだ

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