夢想家と現実家

愛にしても神にしても
スピリチュアルにしても
さらには「幸福」もそうだが

そうしたものを
深く信じている人たちというのは
当然ながら
そのように信じられる体験をしたからだろう
誰もが考える

だからこそいまいち信じられないわけだ
自分はそんな体験をしたことなどないからね

無償の愛なんてとても信じられない

「単に居心地よい相手と出会えたからでしょ?」
「結局お金じゃないの?」

神や仏にしても
物質的ではない”真の幸福”とやらにしても

「そりゃ自分だって
奇跡みたいなことがあれば信じるさ」

といった考えにある

まして「私は信じている」という人を
単に思い込んでいるだけじゃないのかと
怪訝な目で疑ってしまう

 

 

現実的なわたし

だからひとつの結論に至ることになる
それはこんな感じだね

 

幸せになれる人とか
夫婦仲が永遠に続く人とか
夢を実現する人とか

そういう人たちは
“夢想家”でないとだめなんだ

いつも頭のなかはお花畑であり
さんさんとお日様が照らしている

幼稚園児の描く平和な絵のように
なければならないのだろう

でも私はとてもそんな気持ちになれない

この生きるか死ぬかの現実で
そんなことしてたら命取りとなってしまう

だから夢想家なんてなれない
あの人たちはネジが外れてるから
愛や神や夢が信じられるのだ

むしろそうだからこそ
大したことのないことでも
奇跡だと騒いでいるのかもしれない

そのおバカな勢いで
“たまたま”うまくいったりするのだろう

そして壁にぶつかってもお花畑の脳みそが
単にそれを認めないだけなのかもしれない

でも現実的な私にはそんなの無理

絶対無理

人生を成功させたひとたちが
若い頃の武勇伝を話したりするけども

だいたいは裸一貫で
何のアテもないところに
飛び込んだというものだ

あなたもそうしなさいと背中を押す
断崖絶壁をダイブしろという

でもそれって
たまたまどこかに引っかかったから
そうして豪語しているのであって
今頃海の底で
朽ち果ててたかもしれないじゃないか

永遠の愛とか言ってる人も
たまたまそういう相手と
巡り会えたからこそではないのか

つまり彼らはそうして
奇跡が起きたからこそ信じているだけなんだ

私は”現実的”な人間なので
そのように結論する

 

 

“現実的に”奇跡が起こるということ

ここであるパラドックスを話してみよう

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