それはカブトムシ?いいえ、銀河です。

この世界にある「すべて」が
そもそも何なのか、
説明をすることはできない

人間が区別のために名称を付け
区別されたそれを観察した結果
「このようである」と
定義したデータがあるだけだ

区別しなければ総体がある
あなたの親指と小指は形状も違うし
機能も違う
だがあなたの指だ
あなたの体だ
「あなた」というものを分解して
区別した結果「指」が出現する

あなたはカブトムシを見て
「これはツノだ」と言うかね?
カブトムシを見るときは
カブトムシだ
ツノとは言わない

ではあなたがもっと抽象的に
物事を捉える視点に立つとき
カブトムシを見たら何というだろう?

「虫だ」
「生き物だ」
「物体だ」
「地表だ」
「惑星だ」
「銀河だ」
「空間だ」

どんどんマクロ化していく
だがどれも正しい

カブトムシを見て
「これは銀河だ」

銀河単位で物事を見るあなたなら
当然そのように答えるだろう
そのときカブトムシらしきものは
見えていないかもしれない

銀河が包括するすべてが銀河なのだ
誰かはカブトムシを指差して問うが
答えるその人は、
その総体を見て答える
だから「これは銀河だ」なのだ

カブトムシを見て「これは原子だ」とも
言うかもしれない
原子単位で物事を見ている

だからカブトムシを
「カブトムシ」として見るには
その尺度で見ているということだ

つまりどのレベルで物事を捉えるかで
すべてはいくらでも変化する
見え方がまったく変わるのだ

 

すべては尺度

ではカブトムシとは一体何なのか?
本当にカブトムシという奴はいるのか

ここに実在と真理がある
「あなたとは何か」
「日々起こる出来事とは何か」
ただそのポジションで
見ているだけなのだよ

日々の悲劇も
歴史単位で見れば秩序となる
つまり平安である

社会の教科書に
「これこれこういう出来事がありました」
小学生はそれを覚えれば百点だ

実際に起こったであろう人々の悲劇は
今や小学生のテストの一問だ

あなたが「トラブル」として捉える出来事も
尺度を変えればトラブルではなくなる
その位置から見るからトラブルなのだ
別の位置から見れば
単なる出来事に過ぎない

それどころかどこかの位置から見れば
「ハッピー」かもしれない

 

意識は無限に視点移動できる

どちらにしても位置を移動しているのは
あなたの心だ
心は無限に移動できる
なぜならば意識そのものだからだ
すべてを包括し、
すべてそのものであるものが意識だ

今、部屋にいる
今、家にいる
今、東京にいる
今、日本にいる
今、アジアにいる
今、地球にいる
今、太陽系にいる
今、銀河にいる

どれも正しい

誰かから電話がかかってきて
「今どこ?」と言われたときに
「今、銀河だよ」と答えている姿を
イメージしたとき
あなたは日々の問題から解き放たれる

日々の問題はマクロ化することで
その捉え方を変えられる

すべては「意識」なのだよ

あなたの視界に映る他人、
あなたが区別するから他人と認識するが
「あなたの視界」という総体なのだ

つまりあなたであり、
あなたは視界そのものなのだ

だから
「あの子可愛いな」
「あの男怖そう」
そういう対象すべてが
あなたの中だけで起こっている
総体の一部であり
「あなたという完全体」を
わざわざ区切って見ているだけである

「あなた」という意識がただ在るだけ
だから自由に楽しさも苦しさも
感じることができる

好きな感じ方を選べばいい
出来事はコントロールできないが
感じ方はあなたの心次第だ

問題を生むのは心であり
問題を解決するのも心なのだよ
決してその出来事が
起こしているのではないのだ

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