素晴らしさ

生きてるって素晴らしい
死んでるって素晴らしい
どちらも素晴らしいものだ
つまりあなたには「素晴らしい」しかない

「死」はエンドではない
本来の状態、ニュートラルだ
そして肉体的な感覚を生みだし
それを感じ取れるステージ
それが「生」だ

我々は完全な至福、包まれた喜び、愛を求めて
生を努力しようとする
だがそれはつまり「苦のない状態」、
ニュートラルを探し続けているということだ
あなたは死を探している
生にいながらにして死を探し続けている
答えの中にいながら
答えを探し求めているのだ

生は死をベースに湧き立つ立体映像のようなもの
死はスクリーンであり
生は投影される映像だ
「生」や「死」という言葉を使っているが
言葉のイメージに翻弄されてはならないよ

車に例えるならば
生はエンジン点火の起動状態
死は車という機械そのものだ

パソコンに例えるならば
生は電源オンで画面が立ち上がっている状態
死はパソコンそのものだ

生活に例えるならば
生は日常だそれを認識している状態
死は熟睡だ肉体も出来事へも認識はない

どちらとも言えるのは
素晴らしいということだ
自ら何もかもを生みだして
自らそのすべてを体験する
だからワンネスなのだよ
あなたの体内であなたは生きている
あなたの心の中であなたは生きている
すべてあなただ
生について、
あなたは自分が自分に騙されているに過ぎない
あなたは騙しているつもりはないけども
あなたは錯覚している

だから睡眠というニュートラルに戻ることで
バランスがある
熟睡はヒントとして受け取れる唯一の手がかりだ

明るい窓際に腰掛けて
窓の外から列車の走る音が聞こえる
窓も椅子も光も列車も音も実在しない
「見えること」「聞こえること」を
感覚として生みだしたあなたのマジックだ

何があるのかというと
空間に生みだされた感覚、
ただそれがあるだけなのだよ
それは姿形はなく
色も音も匂いも実はなくて
ただ「あなたが感じ取っていること」だけが
あるのだ
歩くも立つもなく
ただそのように感じられていることだけが
あるのだよ

どんな出来事も対象も
「感じられていること」の部分だけを捉えなさい
誰かに腹立たしい思いをしたなら
その誰かという対象に
妄想を膨らませるのではなく
その「思い」だけを捉えなさい

そこには腹立たしさはなく
ただただ、神々しい創造性、
そして何よりも温かく包まれたような
喜びが溢れていることに
気付くだろう

何かを得ても良いし失っても良い
何かが与えられても良いし
失われても良い

起こっているのはその対象ではなく
心に生みだされた感覚である
何かが失われても
それは素晴らしいことなのだよ

いつも自分の胸の中を意識しておきなさい
「頭」は思考するが
「胸」は感じ取る

 

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