人生というドラマ
あなたはこの世に生を授かり
何かしらの意味や意義を見出そうとしている
いまでもそうだろう
目的だらけの毎日だ
支払いとか試験とか
趣味とか恋愛とか
今日のご飯とか
次のカットの予約とか
いまそこにいるだけでも
どれだけの予定があるんだろうか
明日しなければならないこと
いまからするべきこと
風呂ひとつでもいい
歯磨きでもいい
大きなものなら願望実現というやつかね
これから書くことはよく吟味しなければ
単に生きる活力を奪うだけかもしれないが
そうではない
これが本当に理解できればあなたは自由になる
自由にやりたいことをやっていける
だから言葉に囚われず
その先に存在するものを見ること
そしてマインドの欲に飲まれないように
注意して読みなさい
まず根本から間違えていることを理解しよう
その人生を野球だと例えようか
あなたは一生をかけて野球をしている
だが野球とは何かね
野球を知らない異星人が見たら
「棒を振り玉を跳ね返す
その動作のことだろう?」
そう言うに違いない
その通りだ
どこにメークドラマがあるのか
だがその棒にバットという意味を与え
ボールやルールという意味を与え
野球が概念化される
つまり「野球」とは思い込みなのだ
人生、日々の暮らしといわれるもの、
実際あなた方が日頃やっているのは
棒を振り回しているだけだ
あなたはそれを人生としている
馬鹿みたいに棒を振っている
もうずっとだ
死ぬまで棒を降り続けるのだろう
そうしてその仕事を終える
そりゃ確かに
次世やら無念やら
そんな思いに駆られるのも無理はない
事実、あなたは一生かけて
棒を振り回していただけなのだから
異星人から見れば何と滑稽なのだろう
そこに苦しみや希望、努力、ドラマを見出していた
人生を棒に振るとは
よく言ったものだね
では本題に入ろう
つまり「この世に目的などない」のだよ
あなたの「大切さ」とか「優しさ」すら
概念なのだ
確かにそのドラマを体験するために
生まれてきたのだと言われれば
その通りだ
その話すらドラマの演出だ
あなたの感じられることだけで
その生は出来上がっている
生とはあなたが知っている生死の生ではない
感じられる状態が生
感じられない状態が死だ
感じているか感じてないか、
そのどちらをも察知しているベースがある
理解しやすい例ならば
目を開けているとき視界がある
目を閉じているとき視界はない
だがそのどちらもあなたは知っているだろう
だから死は消滅ではない
ただ眠りに落ちて何も感じられない状態のこと
でもあなたはいる
眠りの間、識別回路はオフだが
あなたは眠っていたことを知っている
起きてからオフだったことを知るわけだ
視界の例でいえば
「視界」が識別オンだ
同じことが生死にも当てはまる
つまりあなたは消滅しない
死にたくても
そもそも消滅という死ははない
人生の間、何度でも朝が来る
それと同じ
何度でも生誕が来る
エンディングなどないのだ
あなたが生まれる前
あなたは生まれていなかったことを
あなたは知っているだろう
それは知るというより
物を退けた先に見えるもの
いまの生を違う場所に置いたとき
そこに残っているものを見ているのだ
視界があって
視界がないことを知る
視界が独立した存在と仮定したとき
視界がない状態をどうやって視界が知る?
つまりあなたの生は死を理解できない
だけどもあなたは
視界があるとき
視界がないとき
それぞれを知っている
なぜだい?
簡単だ
生とはマインドだからだ
死とはマインドの消滅を意味する
マインドを「視界」と置き換えてみる
そうすればあなたはマインドのオンオフを
別のエリアから眺めることができる
だから葬式だの、涙だの、人生の悔いだの
悲壮なお別れシーンを盛り上げておきながら
何食わぬ顔でどっかの胎児に転生して
「ママ、こんにちは」だ
例えばオリンピックでもいい
選手達はオリンピックをゴールとしていた
それがすべて
その為に頑張ってきた
オリンピックという人生の晴れ舞台
己の人生はオリンピックのためにある
そしてオリンピック出場、猛烈な数日間
手にしたメダル、歓喜と大歓声
絶頂の瞬間だ
だが平凡な次の日はやって来る
ご飯とみそ汁、トイレにバラエティ番組
さあこれから何をすればいいんだろう
無情にも「次の日」はやって来るのだ
すべては循環している
細胞分裂や呼吸、
食べ物と排泄、自然現象
天体、時間、さらには出来事、
あなたのハッピーやマネーやラブも
すべて循環中だ
そしてあなた自体も循環する
日本で生まれたならば平均80年、
それがサイクルだ
生すらも循環している
円還だ
巡り巡って同じ位置に戻る
あなたが不幸をスタートさせたならば
不幸が巡り巡って戻ってくる
何もかもが循環する
だけどもそこに意味はない
不幸を不幸とするのは
あなたの判断
それが最高に興奮するならば
不幸ではない
興奮も不幸もあなたの定義、
つまりそのドラマの設定となる
暴力が蔓延るドラマが
最初から最後までサザエさんのような
展開だけで進むことはない
あなたが「暴力が蔓延るドラマ」と
認識した時点で
それは”あなたの知る”バイオレンスに満ちていく
感じられる状態、
テレビがドラマを放映しているのが生だ
テレビの電源を切った状態が死だ
だがテレビはあるし
電波も常に届いている
電源をつければ別のドラマが放映されている
あなたはそれを80年ほど付けっぱなしにする
すると放送時間外で砂嵐になる
それが死だ
砂嵐も死としておこう
そうして早朝の放送時間がきて
朝の番組が始まる
それが次の生、
つまり新しいドラマだ
ドラマを自分だと思い込む
それは必ずそうなる
なぜならば認識という作用は
ドラマ内の演出だからだ
ドラマが放送されている中で
「これはドラマ(幻)だ」と察知するのは
とても難しい
ドラマの設定の中であなたの心は生まれ
あなたの思考回路はドラマにより育てられた
だからドラマがドラマだと知る由もない
魚が水を知らないのと同じ
最初からそのように
その通りのままにそこにあり
それを離れた視点で察知することは
何らかの飛躍が必要だからだ
仮にそのように言葉で教えられても
それすらもドラマの中の風景でしかない
「ドラマはドラマらしいよ」と
描かれたドラマのワンシーンだ
魚に水のようなものがあると教えたところで
別の生物や海流などのようにイメージするだろう
魚という存在自体と一体となっている「水」を
彼らはどのようにイメージしていいかわからない
念のため書いておくが
人間の場合は「空気」ではない
魚にとっての「水」のようにごく当たり前すぎて
感じ取ることすらできないもの
それはあなたにとって何かよく考えてみなさい
考えても出てこない
それは名称がないからだ
名称がないということは言葉を超えている
つまりドラマがドラマであること
そこに到達する
あなたがドラマをドラマであると察知するには
あなた自体から離れる必要がある
なぜ熟睡を知ることができる?
それは熟睡以外からの憶測だ
確かにその間は意識も記憶も消えていた
完全に消えていたのだ
つまり消えているときに
「いま私は消えている」と察知することはできない
悟りも何もすべては認識が前提となる
だが認識を超えた感覚それは確実にある
あなたが昔からよく知っている
知りすぎて見えなくなったりする
あなたのその「存在感」というやつだ
あなたの「存在」はドラマを超越する
なぜならば、
ドラマはあなたの「存在の中」で放映されるからだ
ドラマがマインドとすれば
常にあなたはあなたの中にある、そういうことになる
あなたは自らの存在感を察知できているだろうか
あなたが「存在」を思い出したとき
すべてがひっくり返る
大きな駅に中央改札口がある
地下鉄などが交わる駅ならば
何層にも重なっているから
大きな階段を見下ろす場所がある
もし時間があるならば
通り過ぎる人々を見下ろしてみなさい
ラッシュ時ならば少しの時間で千人近い人々が
あなたの下を通っていく
彼らは何を思い込んでそこを歩いているのだろう
それぞれ思い込み方が違う
つまりドラマが違う
生まれた場所、育った環境で
性格が決まる、好みも生き方も思考も決まる
決まる、というのが思い込みだ
その各々の思い込みの背景がドラマとなる
そしてその通り過ぎる人々
それは千人かもしれないし
もっと見るかもしれない
だがね、彼らは実在しない
あくまであなたのドラマにだけ登場する
風景の一部だ
あなたがこの記事を読んで
そのように行動するために
そういうシーンが出てくるのだよ
つまり最初から最後までドラマの中だ
必死に生き抜こうと
死闘を繰り広げた一生を遂げたところで
何事もなかったように次の生(ドラマ)は放映される
だから認識が大前提
それ自体がドラマ
あなたの認識するもの
見えたり聞こえたりはもちろん、
あれが好き、これが嫌い
そういう色づけも
あなたが察知する何もかもが認識
ドラマ=認識世界
あなたの認識したものだけが
ドラマに現れる
ドラマに現れたものだけを
あなたは認識する
ドラマは人間ひとり分という単位だ
10人の友達の人生の話を聞いたら
10人分の小説を読んだようなものだ
あなたもただのひとつ
役柄を演じてるといえばそうだ
あなたもそう
ではあなたの本性とは何か
その実在しない他人
その実在しない風景
それらすべてだ
だから最後はみんなで乾杯なのだよ
役を終えてね
どんなにあなたに憎まれた役であろうが
最後に映画撮影はクランクアップ、祝杯だ
だが実際はクランクアップは来ない
すべては循環するから
ドラマがまたリスタートしてしまう
だから役割を与えられている時点で乾杯なのだ
最初からわかっていてみんなやっているから
わかっていないのは
あなただけ
すべては思い込み
そして役を演じているだけ
だから、これはこうしなきゃならない
なんてことは何一つない
困っている人を見たら助けなきゃならない
そんなことはない
助けたければ助ければいい、
それだけのことだ
成功しなきゃならない
前に進まなきゃならない
守り通さなきゃならない
いいやそんなことない
そうしようとしているのは
あなたの心
出来事は純粋に循環していくのみ
最も美しいその循環を見るためにそこにいる
支払い、結婚、命、
あなたにとって大切なことなのだろう
だが「大切なこと」それすらドラマだ
自由になりなさい
見ているだけでいい、ということだ
たちまち成功も失敗もない世界に
あなたは到達する
あなたがただ「やりたい」だけの世界だ
それはドラマの中に違いはない
だけども
あなたはドラマであることを知っている
だから自由なのだよ
債務も
病気の家族も
孤独も
背負っている責任も
それが重いとあなたが思い込んでいるだけだ
その単なる風景を
重苦しく捉えているだけに過ぎない
あなたの思い込みと真逆に進んだらどうなる?
いまのあなたは
「それは最も恐れていること」になるのだろう
そう思えばそうだ
だがそう思わなければそうではない
ここにヒントがある
心とは何か
それは経験の蓄積である
つまりあなたの意思ではない
見てきた風景の貯蔵庫だ
出来事が巧妙にあなたを騙し続け
その蓄積が心を形成する
マッチ売りの少女
それは儚く悲しい話
あなたはそう記憶する
だが本当にそうなのかね
そのような演出が「あなたのドラマ」に
登場しただけのことだ
あなたにとって残虐とは何か
例えば幼児や動物への虐待
だけどもあなたは肉を食べる
日夜ニュースを騒がせる児童虐待の現場にも
向かわない
それともどこかの国の無差別殺人かね
なぜ動かない
なぜ食べ物を食べる?
いいかい
あなたは肉を食べても
動物虐待には関係ないとしている
あなたは児童虐待の現場へ向かわなくても
それは「児童虐待」だったとしている
すべてはその程度のことなのだよ
あなたがそうならばそうなのだ
ここに幻想の神髄がある
あなたが幼き子供を抱えていて
懸命に働いている
だが働くのが辛い
ならばなぜ働くのをやめない?
子供を里子に出せばいい
実家に預ければいい
だがあなたは良心というものがある
それは心だ
つまり過去の経験の蓄積
そのデータから現状を見る
だからあなたは我が子を手放せない
それがドラマだ
もしあなたが本当の理解の上で
「その子」も「あなた」も
その生が終わったところで
何食わぬ顔で転生することを知ったら
そこに何の重みがあるのだろう
常にすべてはひとつであるということ
それを知ったら
物理的な距離感に何の意味があるのだろう
ここだよ
あなたに生きる活力を失わせるかどうかのラインだ
これらの話にあなたが絶望するならそうだ
だが人生には何の重みもなかったのだと理解できれば
あなたは自由になる
あなたが子供を抱えながら日夜働こうとも
楽しくて仕方がなくなるだろう
すべてが最高となる
この世に目的などない
あなたは目的でいっぱいのようだが
それはすべて幻想だ
何のために人生は自分を悩ませるんだって?
それはあなたが勝手に悩んでるだけだよ
物事は「怖い」と思わなければ
どれも悪くない
素晴らしい体験となる
だから自由になりなさい
毎日大笑いできるほどに自由になれる
循環とは何か
それが存在だ
自己は循環から発生した単なる現象に過ぎない
これが真実だ
もう一度この記事を最初から読み直しなさい
Notes あなたの世界, 生きる意味, 生き方, 自由, 観念
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お陰さまで最近一番の懸案以外は上手く行ってます。感謝してます。
何故だか分からんが上手く行く、正に勝手に出来事が起こるという感じです。
ただ、一番の懸案(恋愛)は何の動きもありません。それについて考えたくないのですが、考えてしまいます。
そればかり考える「私は異常!」だと分かるのですがその「異常な思考(不快感)」が消えません。
自分さんに安心して良いと言われても安心出来ません。相手に対しての重要度が下がりません。
完全に縁が無くなれば諦めになれるのですが不思議と完全に縁は消えません。
やはり相手は私の中で生きているのでしょう。
自分さんは何もしなくて良い、出来ないと仰ると同時にやりたいことをやれとも仰います。この矛盾が悟りでしょうか。
某覚者が「待つ、何もなくただ待つ。」と言っていました。私は今の精神状態のまま待てば良いのでしょうか?
「あなたは永遠の存在だ。」と言われても今の精神状態のまま待つのは辛いです。
お陰さまで彼女以外との人間関係は良好で表向きはきちんと社会生活を送れています。ただ内面はいつも憂鬱です。
釈尊の「人生は苦」の教えを受け入れられていません。
恐れを克服したいです。恐れを消すには恐れをただ観ているしか方法はありませんか?
自分さんの教えを体得できずまた書いてしまいました。申し訳なく思います。
>>情けない男さん
その彼女はどこにいるのだろう?
仮に別の男性と一緒になっていたとしても
それはあなたの中ではないのかね?
彼女に限らず、全て自分が命(存在や意義)を与えていると思います。
私は私の中であり、他も全て私の中です。
いつもありがとうございます。拝
>>情けない男さん
すべてあなたの中にある、
あなたが、
あなたを含めたすべてを許すことができれば
今度は、世界すべてが自分だったことがわかるようになる
理屈を超えた部分でね
街はあなたにすべてを提供する
例えば
コンビニにパンを買いに行けばパンが手に入るのだ
その素晴らしさに気が付くだろう
あなたの知っているものは
その世界には全部存在している
あなた自体が自由そのものとなる
あなたが世界なのだから
あなたのためだけにすべてがあるのだ
所有する必要もなく
最初からすべてあるのだよ
いつもありがとうございます。どんどん世界を許して行きます。
自分さんのお陰で状況は変わりませんが、少し心身が軽いです。「私」が無いと本当に世界が軽く感じます。
私は今「私」を捨てざるを得ない様な状況にいます。
自分さんは覚醒されたきっかけはあったのですか?ずっと探求やご修行をされて目覚められたのですか?
それとも覚醒とか全く興味がなく、ある日突然目覚められたのですか?
意図して覚醒するということは出来ますか?
今は本当にお任せ感覚で生きています。流れて生きています。自分から流れに乗るという感覚ではないと本当の覚醒ではありませんよね?
自分のエゴというものはハッキリと認識出来る様になりました。
自分さんから観て私は少しは出来てきていますか?今「私」がいない感覚なのでよく分かりません。
いつもありがとうございます。拝
>>情けない男さん
>自分さんは覚醒されたきっかけはあったのですか?
私は幼少の頃から面倒事が多くてね
だがそれは私が面倒事だとしていたからだ
そうしなければそうではなかった
それは何を意味するかといえば
幼少の頃からマインドが支配を始めていたのだ
だから私の生きていた世界とは
完全に私が思う「不幸」の世界そのものだった
要はそこに気が付いたのだよ
つまり自分がすべてを生み出していたのだとね
覚醒
そうだね、
空が晴れた日があった
目にかかっていたモヤが落ちたのだ
それまでモヤがかかっていたとも知らずに生きていた
だが「落ちた」ことでモヤがあったことを知った
そうして景色は完全に澄み渡っていった
いまもそうだよ
肉体に関することが多い
例えば自分の重さを知った
地面vs肉体だ
その相互関係
その依存性
重力は概念に過ぎないが
意識的になることで
肉体を俯瞰できるようになる
つまり自己観照だ
肉体は観照を始めるベストな環境なのだよ
私は日常の中、可能な限り
自らの動きを見ている
無意識を起こさないようにしている
「している」というよりも
もう自然とそうなっている
身体が勝手に動いていることも知っているし
すべては起こるがままに流れていくことも
いまは知っている
だから何の憶測もない
ポジティブであることもネガティブである必要もない
再度質問させて頂きます。
最近読んだ本で「夢は現実にはならない。」ということが解れば歓喜に至ると書いています。
普通の感覚だと「夢は現実にはならない。」と解れば落ち込むと思うのですがどう解釈すれば良いですか?
否定的な空虚は人を退化させ、肯定的な空虚は人を生かす。という話の一部です。
夢や希望が実現しないことに表面(振る舞い)だけでも喜んでいれば肯定的な空虚(空虚の極み)と言えますか?
最近はポジティブなことばかり期待しなくなりました。ネガティブも受け入れるというかもっと高い視点で観ています。
幸も不幸もない視野です。
毎度、すみません。拝
>>情けない男さん
あなたが理解すべきことはその本の「内容」ではない
その本があなたの世界に「起こった」ことだ
ハズレもアタリという表現を本書ではよく使う
人は「アタリ」に固執するが
それは内容を見ているに過ぎない
そうではなく
そういう出来事が己の世界に起こったのだということ
そこが大切なのだよ
見落としがちなポイントだ
いいかい
「内容」は捨てなさい
そんなものはどうでもいい
「夢は現実にはならない、という本」があったこと
それがビューティフルなのだ
素晴らしい解説ありがとうございます。
凄く分かりました。
出来事は「只、起きている。」だけですね。
それを概念というフィルターを通して観るから悩むのだと分かります。
思考や感情が悪なのではなくフィルターが邪魔なのだと思います。
フィルターを通さず見れば、どんな出来事も素晴らしいです。もっと言えば素晴らしいも素晴らしくないもありません。
フィルターを外そうとしているのですが上手く行ったり行かなかったりです。
若し、私の見解があっていればフィルターを外す方法などありますか?やはり観照でしょうか?
本当に助かっています。ありがとうございます。拝
>>情けない男さん
あなたの思考ですら
「只、起きている。」だ
肉体も思考も感情も
水が凍り、そして溶けて水蒸気になるように
ただ循環している
そこに熱がくれば溶け
そこに冷気がくれば凍る
あなたはあなたをもっと観察する必要がある
その観察している者ですら
流れの一環なのだよ
それら一部始終が起こっている様子
その「様子」が観照というものだ
どこにあなたがいよう?
どこに意思があるのだろう?
記事に関するコメントでなくて自分さんのレスに関するコメントで申し訳ありません。
私も幼少期より何かおかしいと思いながらもマインドに支配されるようになり
気づけばすっかり抜けられなくなってしまっていた。
そしてワンネス意識で生きている自分さんがまだ自己観照を続けていることに
驚くとともに最近探求することに疲れてきた私に励みになりました。
ありがとうございます。
>>ONEPOINTさん
私はすべてに意識の光を照らしている
風になびく髪一本から
止めどなく流れ去る思考の一部始終まで
それが生なのだ
どこに不幸があるのだろう
そしてどこに幸福があるのだろうか
そんなものは必要ない
どうでもいいことだよ
あなたや私
そうした世界はここに在るのだから
おかげさまで長時間の観照も可能になってきたのですが
人前で話すときや忙しい時などは途端に崩れてしまうのですよね。
ここは結構厚い壁になっております。
ひたすら続けていくしかないのでしょうか。
>>ONEPOINTさん
崩れていることを知るのは
その瞬間かね?
それとも崩れてからしばらくしてから
「あ、忘れている」かね?
もし「崩れ去る瞬間」を見ているならば
それは素晴らしいことだよ
つまり崩れていない、ということだ
続けなさい
いずれ24時間維持できる
しかも自在に切り替えられるようになる
つまり24時間観照しているということだ
やはりわずかながらにタイムラグがあると思います。
同一化までのスピードは本当に速いので・・・。
24時間てすごいですね。
寝ている間も観照しているというブログを見て驚いたことがありますが。
>>ONEPOINTさん
あるカラクリがあってね、
あなたは常に観照にあるのだよ
誰もが同じ
それに気が付いていないだけだ
だから観照はするものではなく
なるものでもない
ただそこに起こっている「様子」なのだよ
だからあなたは”やり方”を間違えている
何もする必要はないのだよ
毎度ご厄介になります。
私を含め周りを見ていると自信過剰だったり凄くラッキーなことがあったりすると事故や思わぬ不運に見舞われています。
私はそういう目に遭うのは自然の法則に反しているからでは?と思ってしまいます。
また「運」という作用もあるのでは?と考えてしまいます。
神仏や自然の法則等、自分を生かしている存在に気付いたことで人間は宗教を作ったのではないか?と思います。
私はそういう物を意識すると「自分は本当に小さな存在だ。」と思うと同時に生かされて生きていると分かるので謙虚になります。
私の様な人間が「己が世界の創造主だ。」と思うと傲慢になってしまいませんか?
自分さんは神仏や自然の法則等、そういったものをどうお考えですか?
そういったものも己が作った一つの概念でしょうか?
自然の法則等があるとするならそれに則った生き方をしたいです。
「私=世界」なら今のままで世界は調和している。解決すべき問題はなにもないと思っています。
>>情けない男さん
あなたがそこでそのように書いていること
それすらも流れの中だ
つまり
今日は良いことがあった
今日は悪いことがあった
これは運命かもしれない
そういうことを「書いている」こと
そういうことを「思い出している」こと
それがすべてなのだよ
それら一連がワンパッケージだ
出来事は原因と経緯、そして結果として
あなたは受けとってしまう
そうではなく
すべてがひとつの塊であると理解してみなさい
あなたが今日街を歩く
都会ならば数百人もの素性の知らない人とすれ違う
だからひとりひとりに生い立ちや暮らしがある
それは「聞いてから」初めて知ることだ
だが知ったことも、知らずにいたことも
それらがワンパッケージなのだよ
すべて「あなたの中」で起こっている夢物語だ
>自分さんは神仏や自然の法則等、そういったものをどうお考えですか?
そういったものも己が作った一つの概念でしょうか?
その通り
もしあなたが神仏や法則などに興味がなければ
そういうことを書かないだろう
そもそもここに来ていない
これでわかるかね?
解説有難うございます。
何かを察したら全部エゴの投影だと思えます。今周りを見回すと幸せに近い感覚になりました。全部あるという感覚です。
五感で感じる物は全てエゴの投影だと認識すれば負の思考のスパイラルから少し抜けれます。
私は「己の在価値が無くなる恐怖があるからそれが脅かされる目に遭う。」という概念を持っています。
その恐怖を克服しようと色々なことをやりましたが上手く行きません。
観察している者も観察するということで観照の意味が分かりました。
まだ「求不得苦」の苦しみから抜けれませんが、自分さんの教えを灯にやります。
導きに感謝してます。
ありがとうございます。拝
>>情けない男さん
思考がそこにある
あなたはそれを自分だと思っている
さっきは別のことを考え
そして今はまた別のことを考えている
あなたは考え事が変化したと思っている
柔軟に連続的に変容したと思っている
いいかい
さっきまでの思考と
いまの思考は
まったく別のものだ
そこになにがある?
目の前にグラスがあるとしよう
場所を移動しなさい
そこになにがある?
目の前に洋服があるとしよう
場所を移動しなさい
そこになにがある?
その場所に置いてある思考
それを見破りなさい
あなたではない
だがあなたが考えたりするのは
思考がそこにあるからだ
つまり思考するために思考がある
それは置き換わるものだ
そこにあるもの
それを見破りなさい
お世話になります。
思考をどけたら何もありません。言葉で言うと無です。無の状態だと本当に気持ちいいです。
いかに今まで己が己を苦しめていたのか分かります。
今までは願望をどけようとすると「嫌だ!」と絶叫に近いものがありましたが、それこそがエゴだと見抜き手放せています。
まだ欲求や願望はありますが以前程、重く感じません。
今後は観照しているだけで良いのでしょうか?私が思う観照は「只、己も含めた様子」です。何の努力も苦もありません。
他の法話も読ませて頂くと「コトを起こす」ということも述べられていますが、今はこの状態を楽しみたいので何もしたくないというのが本音です。
何かしなければならない時は勝手にそうなる、起こる。その時に合った行動を取る、取れるのでは?というのが今の気持ちです。
状況に慣れてしまったのもありますが、自分さんのお陰で少しずつ楽になっています。
有難うございます。拝
>>情けない男さん
よろしい
無はスペースだ
あなたの本来の姿のことだよ
目の前にグラスがある
本がある
それらを生かしているのは
あなたというスペースだ
目の前に思考がある
感情がある
それらを生かしているのは
あなたというスペースだ
では目の前のグラスを電子レンジに変えたい
それはどういうことかね?
目の前の「怒り」という感情を抑えこんで
「怒らない」ということに変えたい
それはどういうことかね?
そこにあるものを
あるがままに流すこと
それが「スペース」の使命だ
つまり循環の場
人はスムーズに物事を流そうとしない
だから淀んでしまう
ご返答有難うございます。
浮かぶ思考や願望は本来の己ではないというのは分かります。
浮かんだらすぐ無にしてます。
これだと現実逃避しているだけですか?
思考や願望と同一化すると不快感が生まれ、無になると開放される感覚です。
例えばある人と親しくなりたいという思考が浮かびます。。
親しくなるにはどうすれば良いかと思考が浮かびます。
そこで何も思考せず行動することが自分さんの説く淀みのない行為なのでしょうか?
私の現状はある人と親しくなりたいのですが、向こうの都合もあり会ったり出来ていません。
私は向こうからアプローチがあるのを待っています。コトが起こるのを待っています。
エゴは自らその人にアプローチしたがっています。「こちらからコトを起こさないとマズイんじゃないの?」というエゴの声です。
何かコトが起こるのを待つか、こちらからコトを起こすか?
どちらが淀みない行為でしょうか?
>>情けない男さん
>何も思考せず
それは思考していることと同じことだ
そうではなく
日頃、思考が光源に居座っていることを悟るのだよ
いまのところ、あなたは思考だ
いま何かを考えている
そして1分後、別のことを考えている
つまり別の思考があなたに居座った
あなたは自分の頭の中が切り替わったと捉える
もう充分に思考の奴隷となっている
あなたがある人と親しくなりたい
その思考も乗ったられたものだ
相手の都合を考えていることもそう
いいかい
あなたは思考の世界で生きている
だが思考を超えた動きがあることは知っているね?
例えば心臓の鼓動、あなたの意図しない出来事
つまり「思考以外のすべて」だ
あなたがある人と親しくなりたい
だが「その思考の外側ですべては動いている」と
あなたが悟るとき
あなたは単なる動きを眺めているだろう
あなたが足し算や引き算をするのは
思考の話であって
いま突然雨が降ってきたことや
「その人」がくしゃみをしたことに
あなたの思考はまるで関係がないのだよ
思考は歯止めをかけることしかできない
あなたのその悩みはまさに思考そのもの
つまりあなたが書いているのではない
そこに気付きなさい
いつも有難うございます。
これに書かせて頂いていたのも私ではなかったのですね。私なんていません。
以前、世界を許せと言われましたが理解が半分でした。
「世界にどんどん物事を起こらせろ。」という意味に解釈しました。
そう考えると「世界」は今この瞬間に物凄いエネルギーを放出してますね。それを感じます。
この解釈も勿論、そう思うだけです。
「生」は楽しいですね。
マインドの罠に引き込まれない様にします。
常に気付きつけるしかないですね。
「これは私の思考ではない。」と。思考や感情を疑うのが気付きのメソッドかな?と思います。
これもそう思うだけです。(笑)
なかなか覚醒出来なくてすみません。
でも上手く「生の大河」を泳ぎます。
いつも有難うございます。拝
追伸
私は何処にもいないけど何処にも居ました。全部、私の中です。拝
情けない男さん
文章にすればそうなる
だが、私への返答を超えなさい
私はあなたの中にいる
つまりあなたが作った存在なのだ
あなたが釈迦を知った時点で
あなたがスピリチュアルを知った時点で
それはあなたの中に起こったことだ
あなたの無限性の中に
「悟り」が起こった
悟りという要素が起きた
それは
火を触ったら熱かったと同じこと
何もかもあなたの中で起こったことだ
単なる「起こり」なのだよ
了解しました。
ありがとうございます。拝
平時では観照の視点に立てても有事では
途端に「何とかせねばならない」という
根深い観念が頭をもたげてくるのだと思います。
「何もしない」って結構難しいですね。
>>ONEPOINTさん
>「何とかせねばならない」という根深い観念
もしそこで何もしなければどうなるのかね?
もちろん、我慢して耐えて、
「何もしないことをする」のではなく、
完全にあなたがそれを放棄して諦めて
もうなるようになるしかない
そのような境地になったとき
つまり、流れそのものに従うと覚悟を決めたとき
その有事はどのように流れていくのだろう
ひとつ大事なことを覚えておきなさい
いつも言っていることだ
すべてはあなたの中で起こっている
もちろんエゴに都合の良い展開は
いつも起こるわけではない
あなたがエゴに囚われていれば
不幸という不幸を体験していくだろう
だがエゴを超えたとき
あなたはいったいどこに不幸があるのだと
不思議に思う
これは極論ではなく
本当にそういうところに降り立つことになる
私はあらゆる「有事」を諦めてきた
その結果、いまに至る
「何もしない」とは
あなたが自分を放棄することだよ
それは自暴自棄という意味ではなく
主義主張、こだわり、自分自身
そういうものを捨て去ることだ
あなたが自分よりも世界を優先するとき
その扉が少し開く
あなたが守るべきものを手放すとき
その扉が少し開く