宇宙の視点で人生を見る
朝や夜がやってくる
あなたはいつも感じているね
風景が刻々と変わる
人生が刻々と変わる
地表に立っているあなたには
あらゆるものを体験する
出来事はあなたの意思とは無関係に起こり
それらに翻弄される
そのレベルを「自我」としよう
では地球の自転
あなたが「地球」という視点に立つとき
朝や夜はやってくるものではなく
自らが進んでそれを
起こしていることに気がつく
つまり自転により周囲が変化するのだ
人生はあるがままであり
変化とは自分の見え方が変わることで起こる
時間は過ぎているのではなく
場所は移り変わっているのではなく
いつも同じ場所にいて
己という諸行無常が
すべてを変容させていることを知る
そのレベルを「いまここ」とする
そして次
宇宙という視点で見たとき
地球、太陽、月
それぞれが宇宙という空間の中で
配置している
地球は勝手に廻っており
その周囲を月が周回し
さらに太陽の周りをそれらが廻る
どこに朝や夜があるのだろう?
地球は単に回転しているだけだ
宇宙の視点からは、
そこに置いてある、となる
つまりすべてはあなたの中にある
このレベルを「超越」とする
何が言いたいかわかるね?
あなたの人生を宇宙の視点で見てみなさい
どこに幸(朝)や不幸(夜)が
あるのだろう?
マインド(地球)ですら
そこに置いてあるオブジェクトだ
あらゆるものは
あなたの存在なしには活動できない
何も過ぎ去らないし
得ることも失うこともない
あなたの見ている世界とは
あなたが生命を与えているのだよ
Notes あなたの世界, いま, 幸せになる, 循環, 無為自然, 生き方, 真実, 観念
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初めまして、いつも記事の更新を楽しみに読ませて頂いております。
今回は思い切って自分さんに質問させて頂きたく、コメントを残させて頂きます。
まだ私では理解が浅いかとは思うのですが、
この「現実」だと思っている世界は全て自分の心が反映されて創られたものだから、つまりのところ幸(朝)、不幸(夜)など無く、むしろ幸せしかない。私がいなければこの世界は存在さえ出来ないし、この世界で唯一できる事は、目の前に現れたその状況の中に溶けるように身を任せて状況を楽しむ事だけ・・・
という事でしょうか。
目の前の世界は自分だと腑に落とすことが出来れば、何にも臆することなく全てを楽しめるのに、今一歩惜しいところで腑に落ちない感覚です。
>>丸の内さん
はじめまして
早速だがあなたは
「こうすれば良いのだろうか」と解釈している
宇宙の視点とは
すべてが空間中に浮かんである、
そこに置いてあるという状態だ
マインドが識別する最上位の抽象概念となる
もちろん、抽象性にはもっと上がある
完全なるエリアとは
涅槃と呼ばれる境地であり
そこでは自意識が消える
だから何も認識できない
熟睡中にしろ
死にしろ
いまあなたが完全に忘れていること、にしろ
すべて涅槃だ
大事なのは
熟睡していたということを「知っている」ことであり
100年前にはいなかったということを「知っている」ことであり
完全に忘れているということを「知っている」ということだ
なぜ知っているのだろう?
あなたは今思い出せないことがあることを
知っている
思い出せないから
内容もわからない
何のことか見当もつかない
だが思い出せないことがあるのは確実だ
それは確率論ではなく
いまあなたを包み込んでいるもの、
それをどこかで感じている
人間的な解釈をすると「忘れていること」となるが
別の言葉を当ててみなさい
涅槃としよう
「いま涅槃がある」
「だがそれが何かはわからない」
「ここにあるのは確かだ」
覚者と言われる人々は
何も煩悩が消え去ったということではない
熟睡した後に「熟睡が起きていた」ということを
後付けでマインドが解釈すること、
それが習慣付いているだけのことだ
何かを食べる
おいしい
人はそこで止まる
それは無意識だ
食べるという行為も
おいしいという味覚も
すべて無意識に流れていく
釈迦ですら同じだが
唯一、食べているという行為を眺めている
これは何を意味するのか
眺めることが先にこないのだ
動作が起こり
そして動作を「観照」する
そうすることで
動作を起こしているのが自分ではないことを悟る
だが人は自分が食べて自分がおいしいと感じているとする
それが無意識
長くなったが
すべては宇宙に浮かぶ星たちのように
ただひとりでに回っているのだ
世界を見てみなさい
あなたの視界に映るその光景
どこにあなたの制御があるのだろう?
すべてひとりでに動いている
どこに腑に落ちる必要がある?
それはあなたが起こすのではなく
腑に落ちるという動きが「起こる」のだよ
だからそうなろうがなるまいが
一切関係はなく
あなたはその世界を眺めているだけでいい
それは文字通り
「眺めているだけ」でいいのだ
「私」は、「目の前の世界 あるがまま」のタイムラグなので「目の前の世界」には追いつけない
さらに「目の前の世界」すらもタイムラグだったのか。
だから「幻」
となると「私」の役目は、見る事と、体験する事になる。
体験というのは「あるがまま」を一時止めるという事ではなかろうか。
となると「私」の役目は見る事となる
となると、やっぱり思考から創造なんて無理ですね。
と思考が言っている。
フィールグッドです。
「わたし」の無から「目の前の世界」が誕生している(タイムラグとして)。
その生まれた「目の前の世界」から、さらに「私」が誕生している。
「目の前の世界」を見ているものが「わたし」と「私」の2人いる。
>>岩窟王さん
だがその話で登場する「私」は
実体がないことがわかるだろうか?
私という多面的な鏡があり
世界という多面的な鏡がある
互いに映し合っている
世界という鏡に映された、鏡像の「私」は見えたとしても
そこに映っているのは「私」という鏡だ
そこに映っているのは「私」を通した世界の姿
そして世界に映っているのは「世界」を通した私の姿
だがそれぞれのその姿もまた、互いを通じた姿
つまり永久にループする
ただ「私」と「世界」をカテゴライズしているに過ぎない
明確な境界線などないのだ
真実としては映ったもの、ではなく
「映していること」がただあるだけであり
それがあなたのいう「私」だ
「無」はそれらが起こる様子のことを指している
>>岩窟王さん
その通り
すべて結果の世界だ
結果といえば原因があるとしてしまうが
そういう意味ではない
そこに突如、完成形が起きている
あなたはそれを見ているだけなのだよ
それについて思考していることすら
その思考がそこに起きているのだ
笑いたくなるくらい上手くいかないことが増えました
スピリチュアルのおかげです。
早く死ねということですかね。ありがとうございます。一気に窮地です
>>罪悪感さん
あなたがそうならばそうなのだ
それがハッピーであるとすればそうなる
そこにあるマインドを受け取っているに過ぎない
なぜ連休直前の勤務と
休み明けの勤務では気分が違うのか
勤務は同じであり
そこにあるマインドと単に同化していないだけなのだよ
いまその瞬間に発生するマインドの数は
宇宙にある星の数だけある
その数だけ
あなたはポジティブもネガティブも選べるということだ
だがそのどれも選んではいけない
そういうものが無数にそこにある
つまりあなたの脳裏に過ぎる思考
それはそこにあるもの、と静かに見つめなさい
するとあなたは超越する
苦も幸せも
すべてがただの茶番だったのだとわかる
自分という世界の中にどうして『涅槃の書』が起こったのだろう?リマインダーかな?
私は鬱と診断され、多くのものを失いましたが、自分さんの記事から多くの気付きを頂きました。心から感謝しています。
有難う
と言ってもまだマインドに囚われているんですけどね(笑
今は自分という宇宙の中から私と思っている人間を選んで眺めているんだなーぐらいに思ってます
そう考えると私というのはただの視点ですね
>>ワモノさん
>自分という世界の中にどうして『涅槃の書』が起こったのだろう?
あなた自体もそうだ
それを「己」という名称にしようか
つまり「己」も「あなたの世界」に起こっている
さてどこに、あなたはいるのだろう?
これはあなたへの宿題だ
この話を突き詰めてみなさい
われわれのように現実に振り回される人間が、淡々と望み通りの現実だけを選択していくメソッドはないのでしょうか?
そもそも願望はなぜ生まれるのでしょう。
>>労働者さん
>淡々と望み通りの現実だけを選択していくメソッド
望みとはなにかね?
いずれあなたは
望みが何かを見失うだろう
そうなると
なぜ生きているか、という普遍的な問いを抱えるようになる
多くの哲学者たちと同じ
そして答えを求め出す
だが決して見つからない
「望みとは何か?」
あなたはその問いを抱えて
年を取っていく
やがて体も動かなくなる
寝床で天井を見上げながら
「望みとは何か?」を繰り返す
もしかしたら気がつくかもしれない
「望みとは何か?」(1+1=?)
あなたは2という答えがあるものだと思っていた
だがそうじゃない
そこにあるのは、答えを導くためのものではなく
「望みとは何か?」がただ単純に置いてあったのだ
さて、
望みとはなにかね?
●●が欲しいや●●になりたいといわれるような、願望系の望みを持っていても、引き寄せの法則では、
●●になりたいは、なっていない状態を信じているからダメだから、●●になるという言い切りがたにしなさいとか
真に信じている思考や信念が実現するとか
太りたくないとかだと【ない】は潜在意識では認識できないとか言われていますが、
アファメーションで何度も潜在意識にすりこむとか
こういった自己実現系メソッドの有効性を自分さん的にどうお感じになられますか?
願望ですら、単なる出来事であるなら願望を実現する為にやたらメソッドを求めたり、この場で自分さんに解決策を求めてコメントをすることはやはり意味をなさないような気がします。
労働者さん
ひとつ教えてあげよう
あなたの得たその知識は正しくもあり間違ってもいる
つまり正解はないのだ
それはどういう意味か
聞いたこと知ったことは
すべてあなたの中のものなのだよ
よく方便として使うが
「1+1=」とは2ではなく
そこに「1+1=」があるだけなのだ
だがマインドは「=」に固執する
言い換えれば、「=」こそがマインドの可視化された姿だ
「=」これ自体が何かを導く物と錯覚するが
「=」すら「=」だ
つまりマインドは「思考をしている」のではなく
「思考という絵柄」なのだよ
あなたはスピリチュアルに助け船を求めているね
金持ちになりたい
健康になりたい
恋人がほしい
幸せになりたい
そういうものを
「スピリチュアル=」としている
そうじゃない
あらゆるスピリチュアルの書物、
最近のものはあまり知らないが
あなたの世界に「願望実現ができるという話」が
ただ起こったのだよ
その本を読んで‥
例えばそれがガラスコップだとしよう
ガラスコップは白い鳥を呼ぶというのは
あなたの思い込みだ
ガラスコップはガラスコップだ
白い鳥がやってくるのは
単に白い鳥がやってきたのだ
大事なのは
そこにガラスコップがある、という事実を認めることだ
決して「これは白い鳥を呼んでくれる物」とするのではなく、ね
そうしてあなたの関わるすべてを認めていきなさい
そのあるがままを認めていきなさい
自分がいま不幸ならば
それも徹底的に認めなさい
それまであなたは何も認めず生きてきた
だから心に重さがあるのだよ
いつも何かが引っかかっている
それをやめるのだ
やめた途端、
あるがままの世界が起こり出すだろう
それも洪水のように流れてくる
だがいいかい
不幸とやらも洪水のごとく起こってくるし
幸運もドバドバと流れてくる
最初からそこにいたのだよ
あなたは選ぼうとしていたから
それが不幸となり幸運となっていた
目の前から不機嫌なおばさんがやってきて
あなたに悪態をついても
それをそのまま認めなさい
我慢をするというのは、認めていない
そうではなく
不機嫌なおばさんに溶けてしまいなさい
それを見たり聞いたりしている自分はいないのだ
そこに到達するとき
あなたはすべてを超越する
願望実現の本は
ただそこにあったのだとわかる