自分の嘘を暴いて輪廻から抜ける

考えることが不安やら焦りを生み出す
考えることが欲望を生む
考えることが「時間」を作り出す

例えば性的な欲求は唐突に沸き起こらない
起点は想像力だ
色々な妄想、思考の積み重ねで
あなたは性欲をそこに作り出す
それは一方通行であり
主体と客体の次元を前提とする

さて今回はマインドから脱する法と
それが実際どういうことなのかを伝えよう

瞑想などでもよく言われるが
思考から離脱するには
思考を俯瞰したポジションに
意識を置く必要がある

つまり何らかの喜怒哀楽があるとき
自分が感情に同化せず
それらを眺めているのならば
俯瞰しているということになる

「何かを言われてムカついて仕方がない
何て言い返してやろうか!」
これが同化だ

「ムカついている自分がここにいる」
これが俯瞰だ

だから目の前で愛らしい赤子の姿があっても
子猫の可愛い姿があっても
それ見てニンマリしている自分を「見ている」
だからニンマリしている偽善性を
あなたは見抜いている

誰かに悲劇が起こる
あなたは悲しんでいる自分をただ静かに見ている
感情のないエリアから
感情を感じているあなたを見ている
その偽善性

あなたが思考を俯瞰するとき
なんと自分は心の冷たい人間だろうと
最初は思う
誰もが思う

あなたはいままで
感情に振り回されてきたホットな人間だ
目の前の情事が疑いようのない現実であり
あなたは興奮し落胆し
喜び、悲しんできた

誰かとのコミュニケーションの中で
「私の感情」こそが絆だと考えてきた

友達が困っている
こういうときは助けるもの
友達が泣いている
こういうときは一緒に悲しむもの

だけどもあなたが一歩下がった場所から
あなた自身を見つめるとき
友達と一緒に悲しむ自分が
マインドの計算の上にいたことを知る

その偽善性にあなたは愕然とする
なぜならば
すべてが「嘘」だったからだ
あなたは何もかもに嘘をぶち撒けてきた


声援
笑み

あなたから発せられるそのすべてが
思考を通じて計算されていたものだということ
過去の経験というデータベースから
「これは涙で、これは顔の筋肉を緩めて良い」
そんな指令が送られていた

瞑想的にあると
そんな自分の偽善者システムが明瞭化する

だから最初は愕然とする
子猫を見るあなたは”考えの上”で
可愛いとしていたのだ

あなたなりの「可愛い像」を創り上げてから
その猫を可愛いとしてきた
だから何一つその子猫を見ていない

あなたは友達など一瞬とも見ていなかったのだ
それなのに友情?絆?

笑わせる

さらに、いまここで書かれていることが
何かが起こる度に解説されるようになる
あなたのマインドの中でね

たとえば美味しい食べ物を食べているとき

「これは美味しいというものだから、美味しいのだ
そんな思考を考えて美味しいとしている私は
本当にこの食べ物が美味しいと思っているのだろうか?
そもそも「美味しい」ってなんだ?
感情ってなに?ただの意味付けじゃないの?」

その通り
すべてあなたの解釈により世界は成り立っている
だから子猫が可愛いとか
赤子が可愛いとか
友人が悲しんでいるから辛いだとか
すべて「嘘」だ

嘘だから幻想なのだよ
あなたの創り上げた幻想世界
そこにあるそれを見ることなく
ただあなたの記憶だけでそれを見ている
記憶とは過去のこと
そこに起こっている「まさにそれ」ではない
あなたは過去を何度も繰り返している
一日の中で何度も何度もだ

これがサムサーラ
輪廻、カルマ、
言葉は何でもいい

過去を何度も繰り返し
本当の世界を見ない
本当の生を生きていない

その女性は本当に綺麗なのかね
その本は本当に素晴らしいのかね
いいかい、すべては美しすぎる
すべては素晴らしすぎる

だが綺麗でないもの、
素敵でないもの
そういうものが
あなたの世界にあるのはなぜだい?

あなたは何度も繰り返している
本当の世界を見るには
その思考を俯瞰しなさい

赤子があなたに微笑んだとき
あなたは本当の喜びに満ち溢れる

赤子に愛想するあなたは嘘だったことを悟り
赤子の美しさそのものが
あなただったことを体感するからだ

 


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  1. 困ったさん より:

    すみません。長文を何度も。ターニングポイント?
    偶然、また疑問に答えてくれるようなの上がってきたから素直に書くけど本当に分かれません。
    マインドで理解も直観的に理解も。輪廻抜ける?
    ほど遠いわ。と思って開いたら感覚の事だから
    「あれま」と開いただけなんだけれど・・・。

    高価なフォアグラを買ってきてもらって「うわあ、ブルジョア気分」と気分もいいしもちろん美味しい
    。が…生きてて良かった感までは美味しくはない。
    そもそも結構な空腹でなければどれも究極美味しいとまで感じないので・・・。
    空腹も通り過ぎればどうでもよく通り過ぎて食べた一口目は
    そんなにだけど少し何か入ると食欲が暴走する。

    そして小さい時からのもので味覚が変わったの幾つかの種類もあるけれど
    焼肉は大好きだったが食べ過ぎて吐いて何年か嫌いだった。
    が今は平気(これは記憶からのものだと思います)
    けれども小さい時からいつか山葵が好きになると思ってたけど
    未だに唐辛子は好きだが山葵も練り辛子も受け付けない。
    弟なんかは山葵が大嫌いだったが一生美味しく思わないと思ってたらしいの
    に意識せず何時の間にか美味しく感じたらしいです。

    そして涙、哀しいも。自分が辛い状況に同一してる時は確かに冷静な自分もいます
    (涙はストレスの浄化作用もあるというし。本当はそんなに哀しくないんだろ。
    そんな大層と思ってないんだろ)とか冷静な自分もいるけど取り合えず吐けば、
    しばらく楽になるし幸せでもないが辛さも緩んで後で本当に落ち着いて冷静になれるから、
    まあいっかって思ってるようなとこもあります。友達の助けも
    (面倒くさいなあ、知らんやんと思っても、結構、切羽詰ってでないと
    友人も軽々しくは助けてといわれないので)
    ほっといてもなあ、後で後悔すんのもなあ・・・。
    しょうがないかなあ。見返りなさそうなのになあとか打算はしますが
    偽善は偽善でも気持ち悪くて仕方ない。
    ほっといたほうがいい結果がでるようなこともあるんだろうけど。

    一時、脳の思考回路がコンピュータと似たようなもんと知り、
    単なる電流流れてオンオフと回路の組み合わせ。
    保存してしまった記憶を読みこんで読み込んでやってるだけだ。
    しらける。下らない。そんなもんだ…と虚無主義にも陥いりました。
    死ぬのもたいしたことは無いが痛い苦しいの刺激反応がなぁ・・・。
    そりゃちょっと怖いな。痛いのと怖いのが嫌だから別の方法探すか…。
    のような事を繰り返した時期も。

    実際に単なる知人ですが同じように合理的に
    考えすぎて自ら亡くなった人もおられました。

    だけどその後20代の時の話しですが、気管支炎拗らせて死に掛けて救急で運ばれた
    入院先で知り合った人格者の婦長さんに出会って話し聞いてもらえた時は

    閉ざされた箱が開く感覚。当時、40代くらいの婦長さんで見た目は優しそうだけど
    地味で初対面は特に印象も強くない。その前に鬱気味で時間を気にしながら事務的に
    話しきいてくれた心療内科のカウンセラーさんには
    お世話にはなったけど事務的にしか感じなかった。
    最初は大きな期待もってたんですが。所詮は仕事だなあ・・・。と。
    心理学にも詳しくなって甘えを無くす為にと
    アドラーの甘えの心理学の本も薦められて読みました。
    人間は意志の力で最後まで自律的に生きられるを、
    高名な右翼の会長さんが骨がボロボロの状態で死ぬ間際、
    車椅子で朝日を迎えて天皇陛下に深く礼と敬礼をして亡くなった話を例として
    出して人はどんな苦しい状況でも自律的であれる感銘を受けたと著者である医師が書いてました。
    正直、ちょっと、しんどかった・・・。

    だけど婦長さんは心療内科でなく呼吸器科なので畑違いだし、
    もちろん心理学の知識も精神学の知識もありません。動けるようになって、
    ただ横に座って話を聴いてくれて本当に理解してくれたので勝手に涙あふれて
    (その時は甘えてたかったんだなとか冷静な自分もいなかった)
    翌日、羽が生えたように身体は軽い。青空は突き抜けるようで
    勝手に廻りの人に愛想笑いではなく、にこやかにしたくなって
    勝手に口角があがりスキップ感覚(特に何も状況は変わらない。花は綺麗で皆がにこやかに見えた。
    生きてるって素晴らしいと感じた。

    30分ほどで売店いった時は引き戻されてたけど、あの感覚は
    次元が違ったとしか思えないような感覚で記憶として残ってます。
    あの感覚が妙に引っかかって自らの意思と俯瞰と合理的に考えることで、
    あれは、でるのかなぁ・・・。という疑問も...。
    婦長さんも幻想なのでしょうが・・・。先入観まったくなかったので・・・。
    どうしてもあの感覚を基準としてしまうし憧れてしまう。

    このところ妙なシンクロも多いし状況的にもよろしくないのか
    疑問が馬鹿みたいに沸いてきて気持ち悪くて長文ばかりすみません・・・。
    お返事は今までの記事からまた見つかるかもしれないので放置でも結構です。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん

      遠いとすれば遠くなる
      言葉での理解は
      より深い罠にかかってしまう

      だから技法がある
      メソッドがある

      それらは言葉を帯びていない
      ただ行為があるのみ、だ

      だからあなたは技法をいくつかやってみると
      良いかもしれないね

      ヴィパッサナーという瞑想がある
      ごく単純なものだ

      いろいろやり方はあるが
      私が教えるのはさらにシンプルだよ

      1,息を止めなさい
      2.止めているのをやめなさい

      それで終わりだ

      この小さな技法にも
      いくつかの気付きのポイントがある

      止めた瞬間に何が見えたかね
      そして止めるのをやめたとき
      なぜ勢いよく息が流れ出たのかね?
      そして止めているとき
      一体誰が苦しいのかね?

      それらを感じながら
      もう一度やってみなさい

      理屈を求めてはならない

      息を止めた瞬間に感じるもの
      それがあなたの知りたいものだよ

  2. cube より:

    前にコメントした者です。
    お返事したのですが名前を入れ忘れてしまい、匿名になってしまいました。
    申し訳ありません。

    私は子供がいるのですが、他の人のように可愛がれないのが気になっていました。
    勿論大事なんです。
    虐待なんて絶対しないし、普通に話したりしてます。
    叱ったりもしますが。
    でもどこか冷めた目で見てるんです。
    この記事を読んで少し楽になりました、ありがとうございます。

    前の方へのコメントに、息を止めた瞬間に感じる物ってありますが、ここ最近息を止めた時の感覚が気になって気付いたらやっている感じでした。
    続けてみます。

    いつも素敵な記事を本当にありがとうございます。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>Cubeさん
      >可愛がれないのが気になっていました。
      それは「あなた」が可愛がろうとするからだよ

      可愛がろうとすればするほど
      空しさを覚えるだろう
      誰もが同じだ

      なぜならば
      自分などどこにもいないからだよ
      そこにあるのは
      子供という美しき存在のみだ

      どこにあなたがいるのだろう?
      これが人間が乗り越えなければならない
      最大のトリックである

      自分など
      どこにもいなかったのだ
      「いないもの」に対して
      あなたは幸福を与えようとしていた
      不幸から逃げようとしていた
      そこには何もないのに
      そりゃカラ回る

      可愛がるという行為もそう

      可愛がる人はいない
      その存在がそこにあるのだよ
      それを認めるだけでいい
      何も感想は必要ない

      ただじっと見つめなさい
      そこにその子がいることを確信しなさい
      それだけで十分だ

      その子は認められた

      それが愛というものだ
      あなたがいまそこにあるものすべてを
      何の自己解釈もなく認めるとき
      世界は包まれる

      あなたは消える
      そして到達する

    • cube より:

      周りから薄情みたいに言われて自分がおかしいんだろうかと無理に私が可愛がろうとするから悩むんですね。
      ちょっと言い訳めいてますね、ごめんなさい。

      確かに空しいです。
      居ない自分が頑張って空回りしてるんでしょうか。

      ただ見つめてみます。
      頑張る必要も感想も解釈も必要ないないんですね。
      何だか、今まで難しいことやってたのかなと思います。

      仕事では理不尽だと感じる事が多かったんですが、もうこんなもんだと諦めてやる事やってたら何だか楽になってます。

      お返事有難うございました。

    • 自分 -涅槃- より:

      おはよう
      あなたは「子供を可愛がろうとする自分」を求めていたのだ

      だから一度も我が子を見たこともない

      いいかい
      見てあげなさい
      ただ単純に見るだけでいい
      どこに自分を持ち出してくる必要があるのだろう?

    • 自分 -涅槃- より:

      cubeさん
      >もうこんなもんだと諦めてやる事やってたら何だか楽になってます。
      よろしい

      「諦める」とは何かを失ったようなニュアンスがあるだろうが
      それはマインドの見解だ

      諦めることが
      世界の扉を大きく開くことになる
      あなたの部屋は空気が淀んでいるから
      窓を開けなさい
      外気を循環させなさい

      すると部屋と外との境界線が消える
      どちらも外であり
      どちらも内となる

      あなたは必死に自分の家を取り繕ってきた
      もっと綺麗に
      もっと格好良く
      もっとすてきに
      それは何と比較してかね?

      どこかで見た誰かの家?
      それとも目に見えたカタチではなく
      自分は他よりも、というプライド?

      窓を開けなさい
      内も外もなくなる
      すべてがあなたとなり
      そこに比較や競争はなくなる

    • cube より:

      確かに澱んでました。
      何故私ばかり、不公平、理不尽。

      諦めると楽です。楽しいです。
      そう思うと、人の為に動くのもやりたくてやってたんだろうか…
      って気分になります。

      子供を見つめてたら可愛くて、
      「○○(子供の名前)は何でこんなに可愛いんだろうね?」
      って聞いたら
      「○○はお母さんが大好きだから!」
      って答えてくれました。
      嬉しかったです。有難うございます。

    • 自分 -涅槃- より:

      cubeさん

      よろしい
      あなたは自分を捨てることだ
      そうしてやっと
      世界がなんなのか、
      なぜ自分はここにいるのか、
      そういうことが理解できるようになる
      あなたはあなたのためにいるのではない
      あなたが日頃見ているもの、
      それらがあなたに見られるために
      あなたはいるのだ

      これまであなたは
      「私が子供を見ている」としていた
      次に「子供は私に見られている」となる
      そして「見ること」だけが起きていることに気がつくようになる

      そこには「私」も「子供」もどちらもおらず
      その関係性だけがあったのだとわかる

      それは善悪も損得もなく
      満ち溢れた様子だ

      それだけがずっとあったのだよ

  3. 困ったさん より:

    ご丁寧にお返事ありがとうございます。
    息を止めると詰まった感あります。
    やめると楽で流れる。

    密閉した正方形の箱の上側を開けて空気とおした感があります。が、あの時は箱が全て展開された底辺をのぞき4隅から開く感覚でした。と記憶を読み込みあの感覚とはやはり違うと思考しだすと息を止めた感覚と同じ感覚でますね。呼吸は自然なのに。

    思考して詰まってると自覚してますが、
    明日、また面接とスキルチェックです。
    正直、練習したくなく成り行きかせにしたいんだけど仕事決まる決まらない別として、思った以上に出来なくて後悔感覚の先取りが生まれ判断、分岐と又、思考してしまいます。先ほど、折角、弟から家族で鍋の誘いうけましたが気が乗らなくて断ってしまって行っても人の幸せ喜べそうにないのに行かなくともチャンスを逃したような感がありどちらに転んでも後悔感ありそうです。

    経験からいってもスキルチェック結果が悪かろうとタイミングと企業の年齢やら時期やら通勤範囲やら思惑と一致すれば決まる時は決まるって、嫌というほど解ってるけど。判断、分岐が頭の中でどうしても浮かび息が詰まってます。呼吸を止めての詰まり感覚はそれほど苦しくないけど思考の判断、分岐、ループは頑固でなかなか今にいれません・・・。

    • 自分 -涅槃- より:

      困ったさん

      人生を楽しむにはどうすればいい?
      あなたはこう考えるかもしれない

      これが達成できたら
      これが手に入ったら
      現状が変わったら

      いいかね
      あなたが楽しめばそれだけでいいのだよ
      達成する必要も変える必要もない

      面接とスキルチェックを大いに楽しみなさい
      呼吸をとめて
      いまに在るという感覚を掴みなさい

      そしてそのエリアに在るとき
      すべての出来事はハッピーイベントであることがわかる

      つまりそこにあるもの、だ

      あなたはそれに従うだけでいい
      その流れにのるだけでいい
      それを認めるだけでいい

      雨が降り、葉が濡れている

      ただそのようにありなさい

  4. 困ったさん より:

    あ、でも・・・。お返事いただかなくても、今度はトップでなかったけど下のリンク記事、マネーゲームからの脱出のリンクが直感的に目に付いて、みたら、やっぱり内容は空気、息、呼吸でしたから、こっち一度、熟読してみます。アドバイスありがとうございます。

  5. 困ったさん より:

    豊かな世界に繋がったけどこれ、究極ですかね。
    けど思考に沿ったアドバイスとして気持ち悪いって
    ほど出ますけど(慣れたけど正直、未知感覚すぎて気持ち悪い・・・。狂っちゃったんじゃないのって気もどこかにある)いちいち仰るとおり、仰るとおりと思うんだけど、これだモニター離れるて3次元に浮かぶ物質や家族という人達やペット、そして高あくそびえ立つ山というより近代的高層ビルの映像が頭にちらついて集中できません・・・。わけわかんなくて、ぐらぐら感です。ていうか高みを目指すのは
    獅子座に生まれた、もって生まれた属性や性格や本能だったかもしれないけど高みを目指すようにプログラミングして頑固にHDDに残してくれたのは親や学校や状況などだから、それをいまさら、崩せといわれても・・・。

    • 自分 -涅槃- より:

      困ったさん

      私は必ずやってくる
      あなたがそのように作り上げているからだよ
      私が消えるとき
      それはあなたが消したときだ

      同じように
      あなたの関わるすべてのものを
      そのように捉えてみなさい

  6. 困ったさん より:

    連弾すみません・・・。
    気が乗った!っていう感はなかったけど、別に嫌でもなかったので、なんとなくタイピングくらい(したい)ってのが来たので一応、欲求とおり動いて一通り練習終わりました。チェック機能山が外れて明日に意味ないかは解らないけど、まあ(悩んで練習できなかったしな的な)後悔はないです。

    弟と食事いってきた母とも無難に会話して寝る前に見ると新しい方のコメントついてたので、そうだよねぇ…。でもなあ、私がどう思おうが、感じ方もう感覚も何もかも自動で決まってんじゃないの。
    そしたら運命も決まってて、どれほど自分がこんな生活送りたい、こんな人生送りたいと思っても無駄じゃないの・・・感でなんともいえない感あります。
    無難なら別にいいけど本来の自分が選んでるゲームが怖いゲームでないことを祈るしかないと思えば・・・。未来は本当に決まってないんでしょうか・・・。それとも自由意志などなくて分岐してる気になってるけどもうその考えをもつ0.5秒前には本来の私が分岐してしまってるんでしょうか。

    今さっき、その疑問の世界が変わるに繋がったけど・・・。未来は選択できないのかな。。。。

    • 自分 -涅槃- より:

      困ったさん

      いまそこで起こっていることだけを受け取りなさい
      それがプレゼントだ

      受け取らない「癖」を治すには
      その場の音に意識を向ける
      匂いに意識を向ける
      今回の手記のようにやってみなさい

      未来という幻想は消える
      つまり希望は消え
      同時に希望と対極する絶望も消える

  7. 困ったさん より:

    昨日、あまりにも仕事がうまくいかないので派遣は仕事そのものの紹介でなくシステム照会のことや、頼んでない断った条件のとこばかり。
    もう焦っても仕方ない。時期は決まってんだからと思ってたら、ふと職安に失業保険のことを尋ねたくなりました。

    契約満了であっても雇用保険、1年かけてないと無理だと思い込んでたので無理のダメ押しを聴きたいような気持ちだったけど、なんと今回、直近が事業主の都合による解雇だったので半年ですぐ降りるの事。えええ?「やったあ!」と思ったら(こんなことならさっさと手続きいきゃよかった)。一件だけ何故か雇用保険番号違う短期派遣があって、そこが離職票送ってくれてなくて計算が曖昧でビミョーなとこと言われました。降りる確率高いといわれたとはいえ、喜んだら喜んたとこで、なんか微妙なのいつもでるよな・・・。と思ってました。

    で離職票送って貰う手続きしてしばらくは金に追い立てられる感、味あわなくていいかも?と思い出したら電話かかってくる。かかってくる。これよさそうという、案件も職安帰り、今更架かってきた。長期でよさそうで確実そうなら失業認定期間外してから受付すりゃよかった・・・。とか計算してたけど再就職手当てに期待して、そこに決めたとしても
    ちょっとビミョー感も。曖昧なとこにいつも置かれるなぁ・・・。まあタイミング待つしかないか…と思ってたら「知らせ」がくるの記事はダイレクトだなあ・・・と思いました。

    ところで昨日は母と大喧嘩?(というより一方的に想いぶつけてしまっただけ)をしてしまいました。鬼に取り付かれたような事言ってしまいました。「皆、市んだらいい。聴きたくもない見たくも無い」「皆、不幸になれ」と思ってるよとかとんでもない事いってしまったんだけど冷静な自分が、おま…、何いってんだ?いい大人が何いってんだ?そんな事思ってないだろとか、止めて!と叫んでたけど胸の物凄いツカえと気分の悪さに勝てなかった。し抑え込めなかったです。
    というより長年、ずっと蓋して蓋したやってたものが飛び出てきたような・・・。

    親に本当に悪い気もあるけど今、妙に静かで落ち着いてます。気分は良くも悪くもなく、
    胸のつかえる感覚は無い。ぬれた道路を走る車の音が静かです。

    沢山の皆様から教えていただき不思議なことは沢山知れて理解できたけど私はどうも、やはりエゴには勝てないようです…。

    • 自分 -涅槃- より:

      困ったさん

      ひとつ覚えておきなさい
      あなたが何を不安に思おうが
      様々な思惑を練ろうが
      世界は流れている
      地球は回っている

      この文章を読んでいるそのままの状態で
      自分の心臓に意識を向けてみなさい
      ドクンドクンと鼓動を打っている

      それすらも
      あなたの思考とは無関係に動いている

      あなたの知らないところで
      誰かがラッキーなことで舞い上がっている
      あなたの知らないところで
      誰かが線路に飛び込んだ
      あなたの知らないところで
      その髪は少しずつ伸びている
      あなたの知らないところで
      職安担当者は終業後の片付けをしている

      この世の真実といわれるその内容は
      いろいろな表現がある
      具体的な説明ですら
      単なる表現に過ぎない
      なぜならば
      その画面に表示される画像や文字のように
      スマホやパソコンという機械の表示と同じだからだ
      画像や文字は実在しない

      あなたの見ている世界もそう
      そのようにそれを見ているから
      それがそこにあるのだ

      なぜスマホの画面というガラスを見ず
      その表示された内容に囚われるのか
      文字を知らない動物からすれば
      人間はなぜガラスに向かって笑ったり考えたりしているのか
      不思議なことだろう

      あなたが生きているその世界は
      あなたとは無関係に動いている
      だがあなたはそこに意味を見いだそうとする
      スマホのガラスに内容を見るようにね

      この話を自分の人生に置き換えて考えてみなさい
      ノートにもいろいろ書いてみなさい

      そして
      もう同じことを繰り返さないよう、
      つまり同じような思考に掴まれないようには
      どうすればいいか
      気がついてみなさい

      あなたは「あなたの通り」に生きられるのだ

  8. 困ったさん より:

    わはは。今度はブラウザ固まって再起かけたら、あなたは思考すら出来ないに繋がった。
    無意識がわざわざ自問自答してるんですかね・・・。

  9. tamatama3 より:

    こんにちは。偽善性。これです。私が子どものころにつまずいたものは。
    大人たちは、周りの子は言いました。「なぜ偽善者になれないの?」と。
    お判りでしょうが、この言葉どおりではありません。みんなが悲しんでいるときに悲しまず、みんなが喜んでいるときに喜ばない、この光景はなんだろうと観察する私を「何を考えているのかわからない、感情がないのか。」と。私はただ、みんなの偽善性が恐ろしかった。しかし今となっては、「偽善性が恐ろしいと思っている自分をただ見ていた、そしてその偽善者たちも実は私の中だった。」のですね。
    そのからくりがわからず、誤解されていく自分が悲しい、そればかりにとらわれていました。私のマインドはかなり強情でした。涅槃の書にたどり着いてから、心の赴くままに記事を読んで行っています。なんと!と驚くことが多々あります。魂が喜んでいる気がいたします。

  10. komatta より:

    うわ。恥ずかしい。全然、成長してないですね…。
    とりあえず内なる怪物が騒いで「全滅してまえ!」ほどではなくなりました。最近、わりとガオガオとは仲がいい。

    偽善っていえば自分も偽善者だって思ってはいるけど
    学生時代、ニュースで映ったり極まれだけど学校で単車とか苛めを苦に亡くなった子とかいて。

    で事故で亡くなった子は解るけどお葬式の時、女子が気持ち悪いほど一緒に号泣してるのを見て違和感を感じて泣けませんでした。
    いや、あんたらそんなに仲良くなかったやんとか。で人が死ぬのは確かに悲しいけどミーハー気分で泣く方が嫌という変な頑固心があって。

    また苛めを苦に亡くなった子の時に号泣してる女子には猛烈に何故か腹が立ってしまった。私は助けてもやれなかったら泣く資格はないけど君ら、一緒に揶揄ってやんか。とか。君らそんだけ泣くなら助けてやればよかったじゃん。わたしゃ少なくとも無視ってはないぞとか。

    3年半身不随で家族親戚一同、介護して亡くなった母方の、お婆ちゃんは
    廻りが仕事やら家庭やら介護に追われて大変で疲れてたからお葬式は宴会のようで。私ら従兄たち、子供だけが「あそこでお婆ちゃん寝てるねんで…」と親連中の大変さを味わってないだけに複雑な気持ちで見てました。

    これはプライドからくるマインドですか。いまだにイラついたりするんですが。なんか感情の処理が、これ悪、これ悲しい、これ楽しい!とかパッと分類できるものでなく複雑~~…みたいな感じがあってマインド処理も難しい。

  11. mmrc7 より:

    ~赤子の美しさがあなただったと体感~
    そこがどうしても、理解できない!

    • 涅槃の書-自分 より:

      mmrc7さん

      「世界」と「自分」があるだろう。だがどうやって世界があると知っているのかね?またどうやって「自分がある」と知っているのだろう?

      いいかい、それらは「別の何か」と関係しなければ知ることができない。それを関係性という。岸と岸にかかる橋のようなものだ。

      この関係性があるからこそ、あなたは赤子を知り、そして赤子を知るからあなたは自分を知るのだよ。

      じゃあ赤子を見て「愛らしいな」と思うのは、それはなんだろう?赤子がそうなのかね?

      そうではない。

      まず先に「愛らしさ」があり、それを感じるために、赤子と自分が浮かび上がっているだけなのだ。すべては相対的な存在でしかない。赤子や子猫をみて可愛いと思うとき、それはあなたという広大な宇宙にホットな気持ちがあるからであり、決して赤子や子猫がそれを与えているのではない。

      この手記は、そうした感情が「与えられているもの」だと錯覚し、「でも本当に自分はそう思ってるのか?」という違和感から自己嫌悪してしまうことへの話を書いたものとなる。

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