常に途中であることが「いま」である

因縁により生じ
因縁により滅する
我はあらず

これは釈迦が悟ったものであり
これを伝えるために仏教がはじまった

拈華微笑より引き継がれた禅も
この悟りが系譜されたものだ

人生を見てみればわかるが
親を選んだわけでも
性別を選んだわけでもない
姿形、名前、それらも用意されたものだ

そして育った環境もそう
高校の進路の決定ですら
価値観がどこかで備えられたから
それを決めたわけである
つまりあなたがゼロから作り出したものは
その人生で何もないのだ

ここまではよく言われている通りだが
真理はさらに深い

もしあなたがいまそこで
自己を捨てることができたとき
自分の身体の指一本の動きを含め
ありとあらゆる物事が絶妙に絡み合って
全体としてひとつの動きを
形成していることが”見える”ようになる

古の覚者が悟りを開いたとき
その多くは不意の出来事が
切っ掛けとなっている

ゆえに禅宗では
突然棒でめった打ちにされたり
参拝者がいつでも鐘を鳴らせるようにしたり
心身が朦朧してまで
小屋に籠もって座禅を続ける

不意の一撃

まったく予測していなかったときに
「起こり」が起こる
そのとき、その起こりを
一体誰が目撃しているのだろうといえば

誰もいないのだよ

 

苦悩

では、大きな流れの中にいるというのに
なぜ苦しみがあるのかといえば
流れに抵抗しているからである

いまの状況が苦痛かね?
苦痛だと言っているのは誰かといえば
それが「我」だ

だが先の通り、
人生の状況とは自動的に組み込まれていくもの
いまあなたがどこかで過ごしていても
同時に遥か遠方では何かが起きている
そのリアルタイムが
ひとつの流れを生み出している

東京が朝ならニューヨークは夜だ
あなたが朝食を食べているとき
あちらではディナーを楽しんでいる

「それはわかりますよ」と思うだろうが
それは違う

自分をあちらに置いては
これが理解できない
ただのイメージとなる
そうではなく自分を抹消したときに
その全体が己の庭となるのだ

朝であり同時に夜でもあるということ

あなたが東京を発って
徐々にニューヨークが現れるのではない
同時にそこにあり
同時に「いま」なのだ

その「いま」が絡み合った網の目
その交点にあなたの世界が広がっている
それを因縁という

 

釈迦の法と現代科学

因縁により生じ、滅する

つまり物事は勝手に生まれ流れて
勝手に収束する

あなたの努力は全く関係がない
だがあなたの”在り方”は大いに影響する

努力という在り方は結構なことだ
だが「こうなってほしい」という
野心的な努力は単なる「我」の抵抗である
努力するあなたは
苦悩という名の幻でしかない

だがあなたがどう在るかは
そのすべてを変容させる力を持っている
網の目とはあなたの視野のこと、
つまり目の前で広がる世界そのものだからだ

少し前にどこかで起きたことが起因して
こちらで起こるという
そんな因果関係の話をしているのではない
それは量子力学以前の古い考え方だ

同じタイミングでそれは起こるのだよ

物理的時間の法則を超えるから
シンクロニシティなどと言われるが
それはごく当たり前のことである

あなたの経験している物事は
到来する波動が五感を経て
脳が作り出したヴィジョンだ
実際そこには何もない

物理の世界では「何か」が
波を起こしていると考えられてきた
だがその「何か」はどこにもなく
基点のない波だけが宇宙空間すらも貫き
あなたの世界に降り注いでいるのだ

そしてその波は
あなたからも発せられる
発すると書けば時間の概念がある
ゆえに、瞬時に染まる、ということだ

これが宇宙の法則と呼ばれるもの
つまりあなたがネガティブであれば
周囲はどんどん暗雲に包まれていく
そしてよりネガティブを
強調させる出来事が増えていく
それはあなたがその波動を放っているからだ

 

いまここで鮮烈に生きる

「あなたから」と書いたが
物体としての基点があるのではなく
人間的な言葉で書けば「思い」となる

全身の骨は10年で丸ごと入れ替わり
髪や爪、細胞もどんどん新しいものになり
心臓や胃腸もあなたの意思とは無関係に
活動を続けている

さてどこに「あなた」がいるのだろう?

あなたとは無形の「思い」でしかなく
その「思い」が色や形を作り出しているのだ
つまりその見えている世界のこと

光の正体は波だ
そして波とは物質ではなく
物質から見た場合の”状態”であることが
現代の科学でわかってきた

これが何を意味するかといえば
原因と結果の法則が
葬り去られるということだ
結果は原因と同じ場所にあり
その間にあるべき過程は存在しない

あなたがいま不幸ならば
その理由があったからそうなのではなく
いま不幸なのだ
その不幸に対して
いまそこに理由が作られるのだよ

先の話に戻せば東京でのあなたの在り方が
同時にニューヨークへ影響を及ぼすのだ
なぜならば、そのニューヨークを知るのは
あなただからだ

一ヶ月働いて月末に給料がもらえるのではない
その瞬間に起きていることが
常に完成した世界であり
経緯や経過とは単なる理由付けに過ぎない

あなたは常に「途中」である
その次なんてものはない
そこからどう繋がるかなんてものはない

そして途中ゆえに、常に結果なのだ
完成として出力された世界がそこなのだよ

だから「いま」という途中を
味わい尽くすのだよ

それが鮮烈に生きるという姿なのだ
過去も未来もないのだから

 


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  1. えくぼ より:

    前回はご返信をありがとうございました。
    何度も読み返していますが、やはりまだ「自分はいない」のだという事実を掴めません…。
    何かを必死に掴みたい、モノや人・状況を求めるエゴに毎日飲み込まれるのを止められません。気がつけばいつも同じような思考に巻き込まれています…

    悟りの一瞥をくらった人は、この世界が一体どう見えるんだろう。私も経験してみたいですね。

    • -自分- 涅槃 より:

      えくぼさん

      すでにあなたは見ているのだよ
      それに気が付くだけだ

      ・他者は実在しない
      ・ずっとあなたを中心に世界がある
      ・自分の思考や行動を知っている

      この3つを瞑想してみるとよい
      ふと「自分」から離れる瞬間があるならば
      それが扉だよ

  2. 愉快 より:

    おはようございます。

    先日、思考を使わなくなった途端になぜかことがうまく運んだり必要なものが目の前にある、と書いた日がありました。

    あの日、わたしは過去の自分がコレをしたからこうなったのだと因果的な解釈をしていました。

    でも、それ以外のこと。電車、仕事、誰かの行動、すれ違う人々、わたしを包む情景。これらも全て不思議でも何でもなくうまくできているものだなあと感じて、ほんとに結果だけしかない!と驚きながら街を歩いていました。

    そういうシンクロニシティが何度も続いた時、最初はそれを「ラッキー!」と喜んでいました。でも、ラッキーでもなんでもなくてただの結果だわ、と。逆に、不都合に見えることもただの結果でしかなくて。

    いま、願望がない。

    「我」が出てくるときに不満と願望が顔を覗かせます。でも、いまは不満も願望もありません。

    思考を掘っていけば、もっとナニナニになりたいとか欲しいとかあるのでしょうけど、思い浮かばないのです。

    ここに流れてくるものを受け取るのが楽しいから思い出せない。

    以前のわたしが何を望んでいたのかも、何を悲観していたのかも、まるで夢とか小説の登場人物のエピソードをあやふやな記憶でぼんやり思い出すような感じです。

    わたしたちはとても面白い世界にいるのですね。
    感謝です。

    • 愉快 より:

      いま歩いている時にふと思ったのですが、何かの拍子に浮かぶ思考 (ネガティブでもポジティブでも) は、ほんとうに何処かから受信しているようでした。

      前にこのブログで、「まともに相手をしなければいいのだよ」というようなことを読んだことを思い出しました。

      「まともに相手をしない」

      これをやると、ネガティブな想念が浮かんだ時の自分がドタバタ劇の登場人物みたいに思えて笑いを呼び起こすのです。役所の窓口で真面目な顔をして何か文字を書いている時、誰かがこちらに攻撃的な言葉を投げかけている最中も、それをじっと見ている「何か」が微笑んでいるような。時には爆笑している。そして包まれていことを知っているわたしは安心しています。

      先日のアーラヤ放送局から配信中の記事を思い出してさらに笑いました。

      そのユーモアある記事タイトルにも、実際にそういうチャンネルを次々と受信して、アワアワ反応しているわたし自身の言動にも、笑っていまいます。

      愉快というハンドルネームをなんとなく思いついてなんとなく手が動くままにコメントしていたら愉快な世界にいます。

      愉快です。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん
      例えば公園で蟻を見ていると
      彼らはそれが「当たり前のこと」のように
      獲物を担いで穴蔵へ運んでいく

      役所の窓口の人々もそう
      職業という服を着て
      それが当たり前のことだと思い込んで
      あなたに対応している

      街を歩く人々を見てごらん

      みんな何かを思い込んで生きている
      どこか滑稽な様子に見える

      これは喜怒哀楽も同じ

      悲しい気分のときは
      悲しい気分をやる

      楽しい気分のときは
      楽しい気分をやる

      「まともに」世界を観なければ
      そんなものだよ
      すべては舞台劇なのだ

  3. monologue より:

    自分さん、はじめまして。 いつも素晴らしい記事をありがとうございます。 まだ未登録なのでこちらにてご質問させていただければと思います。

    この世界のあらゆることが、今ここで同時に起こっている、そしてそれらが幻だというのは、おぼろげながら感じることはできるのですが、しかしまだ完全には腑に落ちないのです。 実際その幻で命を落とすこともありますね。 たとえば車にひかれて死んだ人もいるでしょう。 そこまで行かなくても、他人に殴られた経験ならありますが、こういう身体的痛覚、苦痛というのはリアルに感じてしまって、そういうことが有る世界=幻の世界と、どのように結び付くものなのでしょうか。 何か見落としていると思うのですが、そのあたりのことを教えていただければ幸いです。

    稚拙な文章ですみませんが、よろしくお願いいたします。

    • -自分- 涅槃 より:

      monologueさん

      はじめまして。まずあなたが理解しなければならないことは、すべてあなたの体験であるということだ。そこにいる人々も、彼らは単独の存在ではなく、あなたの視界にあるときだけそれは存在する。

      そして次に「体験」とは何かを突き止めなさい。

      いまそこで座っているなら何かを触る指先、尻の感触、鼓膜に触れる音、あらゆるそれらは「観る」ことができる。

      暑いとか寒いとか、あなたは定型のパターンとしてそれを受け取るが、奥深くに意識を向けると「暑い」「寒い」を”観ている”ことに気付くはずだ。

      何か手荷物を持ってそれが重たいと感じるとき、あなたは重さを観ている。どこにも重いものなどないし、手に触る何かなどないのだよ。心の中を静かに見守ってみなさい。するとすべてが見るものだということがわかるようになる。

      視界すら、眼球の表面が触れたものを「観ている」に過ぎない。「遠い」や「近い」もなく、すべてはそのように思い込んでいるだけだよ。

      だから「痛い」などの身体的なものもすべて同じ。

      「観ること」が理解できたならば、あなたは体験という幻だけが、「ただ起きている」ということがわかるだろう。

      そうして初めて世界の真理がわかるようになる。家族も子供達も男も女も、みんなあなたの「知るもの」だ。

      知るものだけがそこにある。つまりあなたが生み出した世界なのだよ。

    • 匿名 より:

      自分さん、ありがとうございます。 

      この度のご返事をはじめ自分さんの文章に出会い
      、半分くらいしか理解できませんがそれでも
      すごく救われています。

      この世界では自分さんにお会いできない(そもそもいらっしゃらない)
      ことを寂しく思います。では、教えていただいたことに瞑想してきます。
      ありがとうございました。 


      komattaさん
      いつもコメント拝見しています。
      あげていただいてありがとうございます。^^
      影ながら応援しております。

    • -自分- 涅槃 より:

      monologueさん

      私の言葉に内容を観ないことだ。マインドがあなたの邪魔をしてしまう。大事なのは私と関わったという事実が、あなたの人生で起きたということなのだよ。

      私がなぜ毎日記事を書いているのかは、私もわからない。社会的な立ち位置で捉えると何のメリットもない。出費と時間を失っているに過ぎない。

      だから私は起こるがままに任せている。そこに私が参加しない以上、行為に損得はなく、ただ純粋に文字が流れていることを眺めている。

      だがどうだい? 流れのままに任せているから、あなたとこうして関わることができた。あなたがどこの誰かは知らないし、私の素性もあなたは知らない。だがいま私の文章をあなたは読んでいる。

      それだけでいいのだよ。人生全体をそのように受け取りなさい。すべては過ぎていくものだ。だから人も物事も「関わり」だけを抱きしめるだけでいいのだよ。一期一会だね。誰かと喧嘩をしても、それはその誰かがいるからできたのだ。

      “内容”なんてどうでも良いのだよ。

    • monologue より:

      自分さん、こんばんは。 

      再度、このような温かなコメントをいただけるとは、
      ありがとうございます。 

      内容がどうであれ、その関わりを抱きしめるだけでよいのですね。
      ですが、自分さんとの関わりは私の両腕には大きすぎた。

      光も風も全て私に向かって流れていることも、ジャミロクワイのPV
      が変わっていることも、すべてあなたから学んだのです。 

      私もいつか自分さんのように自由になりたい。 そのとき私が
      何をするのか検討もつかないけれど、願わくばあなたがしてくれた
      ようなことを、この僕の世界でやっていきたい。 

      ありがとうございました。 また風が吹いたらコメント差し上げます。^^

    • -自分- 涅槃 より:

      monologueさん

      私はあなたの中で生まれたものだ。無論、銀河も宇宙もすべてあなたの中にある。あなたはその永遠なる本性を思い出さなければならない。

      それは長い道を伝って到達するものではなく、いまそこでひっくり返すことが可能なのだよ。

      固く握りしめている自我を落としなさい。ただそれだけだ。

      あなたはその世界にやって来て、そして去っていくものではない。来るものでも去るものでもなく、最初からそこにあるものだよ。

      こちらこそありがとう。またいつでも訪ねておいで。私はいつもあなたの中にある。

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