握り合った手のなかに永遠をみる

道路で制限速度をオーバーして車を走らせたとき、そこに誰もいなかったはずなのに、しばらくすれば違反の通知が自宅に届く。カメラで監視されていたからだね。

社会が社会であるためには、この監視や管理というプロセスを必要とする。社会とは人間が単に集まっているだけではなく、それぞれの人間のあいだに有機的な関係が成り立っていなければならないからだ。

野球というゲームが成立するには選手がルールを守らなければならないように、たとえば店と客の関係なら「互いに信用できること」が前提にあり、そのためにはお互いが「大きな枠組み(国や法など)」にあらかじめ管理されて、その信用が保証されていなければならないわけである。

その管理があるからこそ、店は店であり、客は客であることができる。

つまり社会というゲームに参加するには、まず己が「登録」されなければならないわけだが、ここにまず重要なポイントがあって登録されたら以後の個人的な活動はすべて「社会ゲームでの営み」となるということにある。

1.

もちろん私たちは生まれながらにしてすでに登録されるのであって、だから人生は最初から管理下にあることになる。つまり私たちが「何をやっても」それは社会ゲームのなかのプレイであり、すべての活動の前提には必ず監視(管理)の根が敷かれている。

だから常に「自分は誰であるか」という証明(名前や国籍など)を提示し続けなければならないということだ。運転免許証やクレジットカードといった記録や痕跡が残るものを使い続けなければならない。水道やガスを使ったり学校に通ったりするには「自分が誰であるのか」を伝えなければならない。それが人間社会で生きるということになる。

ゆえにどこかの機関が個人のクレジットカードの履歴をみれば、その人がいつ何を買って、いくらのお金を使ったのかがわかる。連続月をみれば大体の収入や暮らしぶりも推定できる。

保険証や診察券の使用からは生活事情がみえてくるし、SuicaやETCのログをみれば日々どこに移動しているのか、他にもパスポートや銀行口座、雇用保険や厚生年金の記録などは、その利便さという以前に、当人の動きそのものを足跡化するものだといえる。SNSのアカウントなどは言うまでもない。

要するに人類は自分たちが文明の快適さを使っているつもりでいるが、実際それは管理・監視のなかに組み込まれているというわけである。

2.

さてこうして個人情報が「どこかの知らない遠隔地」で常時管理されているわけだが、ここで気づかなければならないのは、管理されているのは生身の人間ではなく、個人から抽出された「データ」であるということにある。

つまりこの「データ」が社会ゲーム上でのプレイヤー、すなわち「人格」というものとなる。だから社会で活動するということは、己を代理する「人格」が自動的に発生し、そしてその人格が自動的に監視され続けている様子にあるわけだ。

先の速度オーバーの話なら、そこに記録されたのは、通過速度、時間帯、ナンバープレート、車種、車の所有者、そしてフロントガラス越しの運転者のデジタル画像となるが、それらはデータであり生身の本人ではない。

よってデータは保存や照合だけでなく、コピーや上書きといった修正や処理、さらには企業間でこっそりと売買までもされる。どこかの店でローン契約したらまったく知らない企業からセールスの電話がかかってくるようになる。

そうした状況に薄気味悪さを感じるのは、もちろん「自分の知らないところで自分が扱われている」からだが、しかし冷静に考えてみれば、名前や住所、性別、勤務先、所得、通院記録、最終学歴、資産状況など、それらは「自分のこと」でありながら、なんだか自分そのものではないような、そんな奇妙な関係のうえに「己」が存在していることに気づく。

「生身」はコピーや保存などできないし、また離れた場所に瞬間移動するなんてことは不可能だからね。

つまりその観点から対人関係をみてみれば、この幻想世界の構造が露わになってくるわけだ。たとえばあなたと会社の上司はどうしてその関係なんだろうか。それはデータ同士の関係であって生身の間柄ではないのである。

3.

よってこの社会ゲームでの「人格」は、その第一の要件として「肉体が失われること」にあるといえる。

たとえば電話で誰かと話すとき、それは肉体の限界をはるかに超えた遠い場所にいる相手と通話をするわけだが、その遠隔地とのやりとりは「声だけ」が行き来する。その関係性において肉体は不要であり消え去っている。

さらにメールやSNSでのやり取りに至っては声すらもない。量子化された「人格」が、すなわちディスプレイ上でバーチャル化した「己」が、物理的距離を超えて仮想現実を駆け回る。

これは会社で上司と関係しているときもそうなのだ。あなたは誰で、そして上司は誰だというのか。社会上で何かをするときは必ず「人格」がそこにあるわけで、つまり会社で上司とそこにいる時点でゲームのなかだということだ。自分が「誰か」になっている。ならば 2人が対面しているその空間はいったいどこだというのだろう?

そこが「オフィス」であり「デスク」や「ホワイトボード」があることもすべて、ゲーム上のデータが与えられた現れであり、つまりあなたと上司との関係は物理的な現実ではなく、メールでのやり取りと変わらない仮想現実の空間となる。SNSのように生身を持たないハンドルネームが「人格」を演じることによって、その関係的空間が生まれている。

だからこの意味で人間同士がデータを脱ぎ捨てて「生身」で絡み合える瞬間は、この「人間の世界」では非常に限られているといえる。それは我を忘れた瞬間、たとえば恋をした瞬間や、肉体的にいえばセックスぐらいしかないかもしれない。

4.

人は相手の唇や微笑みを解釈して恋に落ちるわけではない。すでに相手に恋をしているから、その唇や微笑みなどが心を惹きつける。つまり恋をしたその瞬間とはデータを超えているのであって、よってそのこと(恋をした瞬間=データ以前に何かが起きていること)を人格は知りようもなく、事後的にそれを解釈するしかない。

だから”気がついたら”好きになっているのだ。

これは人生のすべてがそうであるということだ。つまり己の人生とは事後的に「あれはこうだった」と解釈するけども、実際にそこに起きていたピュアなものは、「自分が誰々である」という前提を備えている限りは、知ることも思い出すこともできない。

たとえばあなたが過去の記憶をたどるとき、そこに個人的な思い入れ(自分が喜んでいたとか、憎んでいたとか)を伴えば真の事実を見過ごしてしまう。

だが何の執着もなくふと当時を思い出したとき、その記憶は自他という関係性を溶解させて眺めることができる。そして実は己は「一切の不足なく満たされていた」と気づくのである。

よって大事なのは過去を振り返るのではなく、いまここで「本当に起きていること」をリアルタイムに感じられていることにある。それが充足なる生であるからだ。その充足を感得しながら、あえて関係性というゲームを生きるときに、真に人生を楽しむことができる。

しかしセックスでさえ「人格」を解放できない人も大勢いるだろう。ベッドのなかでも演技を装っている。つまり「生身」になれずにデータが普段の整合性を保つために延々と処理を続けているというわけだ。

5.

話してきたように、社会ゲームに参加するためには「生身」がデータ化される必要があるわけだが、人はいつの間にかデータそのものを自分だと思い込むようになる。そしてデータに磨きをかけていくようになる。

だがデータは仮象であり実在性を持つものではない。ゆえに「人格」を生きるほど、「生の実感」がどんどん乏しいものとなっていく。

人は異性と親しくなりたいとき、いかにデータを魅力的にするかばかりを考える。だが異性と親しくなりたいのは本当は「生身の実感」が欲しいからなのだ。つまり真逆の努力に励んでいることになる。

そうなると、たとえその異性とゴールインしたところで、それはデータの「契約」に過ぎず、その空虚を超えた「実在なるもの」に満たされることはない。だからデータでありながら、生に漲るこの「生身」を感じていることが大事なのだ。それが「実在なるもの」であるからだ。

それはあなたが肉体的であるほど、つまり「生身」に意識を向けるほど、あらゆるすべてを引き寄せることができるということにある。

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  1. imacocojin より:
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  2. az935 より:
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