素敵な世界に気付くこと

事実とはなんだろう
そこを突き詰めようか

あなたが車を運転しているとする
運転中は運転をしているということに
意識がない
何か別のことを考えている
仕事のことや
帰ったらなにをしようかとか
あなたは車の運転について
運転中ほど無関心だ

ここで助手席の私が言う
「運転に意識を向けなさい」

まずあなたはハンドルを握っていること
そこに意識を向ける
するとハンドルを握っているという
感触だけがある

その感触だけ

いいかい
その感触だけだ
あなたはたったそれだけで
車を運転していると錯覚する

これを「逆説」しなさい
つまり車の運転とは
手がハンドルを握る感触
それだけで成り立つのだよ

車もなければ運転もない
それだけが実際に起こっている「事実」だ

だがあなたは車を運転していると言う
それがあなたの世界
実際に起こっているのは
手がハンドルを握る「感触」のみ
ここに気が付くことが大事なのだよ

さあ次はどこに意識を向ける?
シート
尻の感触
体が沈んでいる感覚
それも同じ、ただそれがある

真っ黒な背景に「感触」というピースを
2つ置いた状態

あなたはそこから連想ゲームをする
「これは車の運転だ」とね

 

すべてはそこにある

次は視界
最初からずっと見ていたはずなのに
あまりに当たり前過ぎて
あなたは視界に意識を向けていなかった

車を運転しているとき
私が意識を向けよといえば
ハンドルや尻に向けた
それはなぜか

「近い」からだ

雨で体が濡れればそう感じるが
窓の外の雨を見ただけでは
あなたは自分には関係ないこととする

視界は直接的じゃない
だが肌の感触は直接的だ
だけどもあなたは視界を見ていたはずだ
それを忘れていた

いまもそう
視界に映る風景
耳に入る音

あなたはそれらを無視する
なぜか

それは連想だけで成り立つことを
覚えてしまっているからだよ
あなたにとって視界や聴覚は体感じゃない
あなたの体感とはもっと直接的な感覚だ

つまり触覚、味覚、嗅覚
あなたは触ったり味わったり匂ったりするときに
「所有」を感じる

しかし「見たり聞いたり」では
外側のものとしてしまう

 

どこからが所有なのかね?

フェラーリがそこにあり
エルメスがそこにある
どちらもショーケースの中だ

あなたは見ている
あなたは距離を感じている

あなたがそれらを「近く」に感じるのは
フェラーリに乗り運転をしたとき
エルメスを腕にぶら下げたときだ

それらを「実際にした」とする
だが見ていることも聞いていることも
「実際にした」なのだよ

ベルリネッタが目の前にあり
バーキンがそこに飾られている
その時点でどちらもあなたのものだ

なぜならば、そこにある事実とは
視覚という関係性だけだからだ

 

体験だけが真実

実のところ物自体に価値はない
マインドが価値をつける

フェラーリよりもホンダならばそうだ
車よりもクロスバイクならばそうだ
そんな物質世界よりも意識世界ならば
それはそうなのだ

釈迦とビンラディン
何が違うのかはあなたが決めることだ
すべてあなただけの世界
あなたの中の世界なのだよ

覚者も高級車も
すべてあなたの知った世界のお話
その中でいかように価値を付けようが
それはあなたの自由だ

しかし「事実」はひとつしかない

あなたが見たら
それは「見た」という事実だ
あなたが触れた
それは「触れた」という事実だ

 

事実はあなたを消去する

その事実部分だけが浮き上がるとき
あなたというエゴは消える
そもそも”あなた”などいないことがわかる

「誰が何を触れた」あなたは日頃そう解釈するが
「誰」と「何」はない
「触れたこと」だけがある
そのループが
あなたが人生としているものの正体だ

さあここからだ本題だよ

あなたが空を飛んだ
あなたが靴を履いた
これのどこに違いがある?
何が違うというのだろう

あなたは靴を履くことは
大したことじゃないと言う

 

慣習という霧

なぜ空を飛ぶことは凄いことなのだろう
なぜ靴を履くことは凄くないのだろう

あなたが医者に余命を宣告され
病の床に着く日々にこう思い返す

「私は空を飛びたかったが
結局、靴を履くだけの人生だった」

なんて平凡な人生
もっとこうしておけば良かった
もっと沢山のことをやりたかった、とね

だがベッドで寝たきりの日々の中
死という本番が来たときに
あなたはこのように変わる

 
 
靴を履いた

そうだ
私は靴を履いたことがある

思えば何度もそんなことをしたものだ

私は靴を履いて歩いていた?
いまではあり得ないことだ

自分がそんなことをやっていたなんて
とても信じられない

私は靴を履いて歩いていた
そうだ、誰かと一緒に歩道を渡った

犬を連れて散歩もしたこともある

買い物にもいった
荷物をぶら下げて歩いていた
つまらないことを考えながら
コンビニの帰り道を歩いていた

本当に私がしていたことなのだろうか?

この青い空
この温度
耳に触る人々の声
これは一体なんなのだろう
なんで私はそれらがわかるのだろう

なんということだ
私はすべてを見過ごしていた
すべてが私だけのものだったのだ

 

あなたはそうして
マジカルな世界に生きていたと実感する

すべてが夢のようだったと
その通り

すべてが夢なのだよ

風邪を拗らせたときなど
日頃の素晴らしさがわかるのと同じだよ

病気はあなたが制限を固めた時に起こる
まるで「思い出させる」かのように
まあ意識はそんなにユーモラスじゃないがね

 

素敵な世界にいることを知る

例えば楽しかった遊園地
あなたは帰る時間だ

さて、あなたが遊園地から離れていくのか
それとも遊園地があなたから消えていくのか
よく考えてみなさい

すべてはあなたというヴィジョンの中だ
あなたが「それを見ている人」
そういう位置にいることに気が付かない限り
すべてが退屈で平凡で悪質でネガティブとなる

ひとつ見方を変えれば、
つまり本来の場所に戻れば
すべてがワンダフルだ

あなたが「事実」だけをみるとき
あなたは消え
そして素敵な世界に生きていたことを悟る

魔法などいらない
なぜならばあなたがすでに
魔法使いだからだよ

世界はあなたの知るがままに在る
つまりあなたの思う通りにあるのだ

その意味を理解しなさい
そして何もかもが
あなたの思い方、捉え方、見方、
それだけで色が変わるということ
それも備えておくことだ

死の直前に気が付くのでは遅すぎる
もっと人生を楽しみなさい

 


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