循環を止めないように、入ったら出す

あなたが画家や音楽家
アニメーターでもいい
そういった「創作」をしている人であり
いまスランプに陥っているのならば
溜まっているアイデアや
煮詰めている最中のプランのすべてを
直ちにアウトプットしなさい

それがまともな価値を生みださないように見えても
構わない
とにかく作品化するのだ

趣味で何か創作している、
例えば写真が好きならば
撮るだけじゃなくどんどんカタチにしていく
プリントアウトするなり
コラージュ作品にするなり
溜まっているものをどんどん吐き出していくのだ

音楽制作が好きならば
もったいぶらずに片っ端からマスタリングして
ひとつひとつを作品として仕上げていく

いいかい
古いアイデアは腐っていく運命にある
腐ったものを多く抱えていると
あなたまで腐敗に塗れていく

あなたが高名なアーティストであろうと
その生みだされた作品は
あなたの生きてきた環境により得てきたものだ
だからあなたが創り出したのではない
あなたではない「あなた」
つまりその世界があなたを通じて出力しているのだ

だけどもアーティストの多くは
その純粋な創作に満足をせず
「もっと独創性が必要だ」
「似たような作品を誰かが出している」
「これじゃお金にならない」
など理由を付けては出力(作品化)しない

すべては循環しているのだ

あなたの生きている環境から
たくさんのものが入力された
だから入ってきた分だけ出力しなければならない
そうすればまた入力される

これは呼吸も食事も金銭もすべて同じこと
循環を止めると必ず澱みが発生する
腐った水が溜るように
あなたの世界も腐りだす
溜まっているから
奇麗な新しい水は流れてこない

だからあなたの中にあるすべては
常に吐き出す必要がある
それがマインド的に価値を見出せなくてもよいのだよ
吐き出すことが価値だ

充実した生を送りたければ
常に吐き出し続けることだ
決して「なか」を濁らせないようにする
吐き出し続ける限り
新しい光がまた流れ込んでくる

だが物理的なところだけに意識を向けてはならないよ
それでは何も流れ込まない
循環させているという意識を持つことだ

あなたは世界との循環器官だ
もちろん世界とあなたはひとつ
つまりあなたの中を停滞なく循環させていくこと、
それが大義ということだ

 


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  1. あの時の覚醒者 より:

    おはようございます。

    今タグに導かれるまま記事を数個読んでました
    もうどの記事の言葉か忘れてしまいましたが、どんなに良いことでも悪い事でも人の事は考えるな、と言う言葉を実践してみました

    ちょうど僕の日頃、ここ数年間の思考のほとんどが恋人についてだと気づき、どうしたもんかと思ってたとこなので何かジャストなモノを感じたのです

    正直涙が出そうな位満たされました
    他者の目、自分の目を使用しない、何もない状態がこんなにも心地よいのかと感動しました
    外に出たら低い雨雲の向こうに神話のような高い空と雲が見えました
    満たされてます
    それは今もです
    泣きそうです

    これを続けていきます
    ありがとう自分さん
    いや、ありがとう自分さんに見える僕

    • 自分 -涅槃- より:

      >>あの時の覚醒者さん

      よろしい
      それがあなたの本当の世界だ

      表現の差違があるだろうが
      それが
      自分の目で見るということ
      自分の足で立つということ
      となる

      人が行き交う繁華街などで
      「自分の世界」を歩いてみなさい

      最初は何度もマインドに引き戻される
      だが少しずつ、あなたは自分の世界を取り戻していく

      その為には少しの努力が必要だ
      麻薬患者が体内からドラッグを抜くようなものだ

      そうしてあなたは
      世界には自分しかいない、ということがわかるようになる
      それは孤独なものではなく
      とても満ちあふれたものだよ

    • あの時の覚醒者 より:

      〉自分さん

      案の定90分程でマインドが復活しました(笑)
      でも没頭の対象なしの状態で今までのマインド無し時間最長記録なんで良かったです

      その後もマインドが出るたびに静かに深呼吸に意識を移したりしながら過ごしてます。
      今までも重々わかってたけど本当に嫌な気分麻薬の中毒だったんだなと実感してます

      自分さんはご結婚されてるそうですが、奥様に対する愛とはどのような感じなのでしょうか?
      僕も本質的な愛については、軽やか平和、思考なく満ち足りてる等と体験してるつもりなのですが
      お察しの通り少しでも混乱するとマインドに捕らわれます(笑)
      平時でも常に思考の内容が良い悪い別にして彼女絡みだったりしてます

      自分さんは、奥様が目の前に居るとき以外は奥様について考えたりしないのですか?
      僕自身がしっかり「その状態」に定着すればいずれわかるのでしょうが、本質的な愛の継続(?)の一例が、ふと知りたくなりました
      プライベートな質問ですし、お嫌でしたらスルーして下さい_(._.)_

      素敵な体験ありがとうございます
      マインド後も方法と感触をしっかり覚えたので以前よりだいぶ楽になりました

    • 自分 -涅槃- より:

      >>あの時の覚醒者さん

      私は自分が何者なのかを見てしまった
      だからね
      妻は私なのだよ

      個人としての妻は実在しない
      私が知る妻がそこにいる

      彼女は自己の世界を見ているのだろう
      それはどんなものか私にはわからない
      そこに私がいるのかすら不明だ

      あなたはいつも恋人のことで悩んでいるね
      それはあなたが自分自身を投影しているのだよ

      多面なミラーボールをイメージしなさい
      あなたは多面なミラーボールだ
      そして恋人も多面なミラーボール
      互いが互いを映し合う
      別の面のミラーはまた別の誰かを映し合う
      映された像をあなたは見ている

      どこにもあなたはいないし
      恋人もその世界からは自分自身はいない、となる

      このトリックを見破るとき
      あなたは彼女のハート、
      つまり己のハートをゲットするだろう

  2. あの時の覚醒者 より:

    〉自分さん

    回答ありがとうございます
    ミラーボールですか、合わせ鏡、キリがないですね
    最近自分の心も誰の心もどんなに問い詰めて探求してもキリがないと半ば諦めながら、癖で追い求めてしまいそれを止める日々です

    そんな希望を胸に性懲りもなく途方に暮れる自分を眺める自分をたまに感じます
    マインドが強く作用する時も気づいては意識を戻してます

    もう気づいてはいるんです、思いのままの結果をすぐ欲しがり駄目なら愚図る自分のマインドに振り回されてる事
    ただ愛し合うだけの事すら出来ないと自分を責めるマインド

    教え通り思考から彼女を消して気づいた事がありました
    ビジョンから彼女が消えても、僕は憂鬱で寂しく、少し苦しく、そして悲しい怒りの感触を感じて生きてきたと
    その感触を彼女に関連付け、彼女に原因をなすりつけ、毎日毎日八つ当たりを頭の中で繰り返してきたと
    いや、素晴らしい体験や感情も山ほど感じてきたけど、結局僕の不幸は僕の何となくの感触、気配に反応した僕がビジョンを描きそれを現実に反映させてきたようです
    この辺、現象にマインドが反応するという自分さんの教えとは少し違いますが、でも世界が自分が円環なら卵と鶏のようにマインドで精製される現実もありますよね?
    ん?あれ?
    他の本と知識が混ざってるかな?

    すみません話を戻します(笑)
    結構ショックでした、人助けしたりなんだりしていい気になってた自分が、実は完全に自分だけの機嫌の悪さでマインド内とはいえ愛する人に八つ当たりして生きてきた事に愕然としました
    愛する為に何か増やし得るより、まずこの八つ当たりを止めようと決意しました
    散々教えをいただき実践で足りぬものなどないと体感しても、やはり僕は幸せになりたいのです

    過去に自分で書いた引き寄せノートを読みました
    僕が強く求めたものほど手に入ってませんでした
    気まぐれに書いた事は無茶な要求でもすんなり叶ってました
    ああ、幸せを求めるのもやめにしなきゃ(笑)

    とにかく空になります

    報告なのですが、先日のデートはマインド無しで体に全部任せました
    その日に限って彼女はマインドが非常に強かったのですが、空で接したら素晴らしい場所に着地しました
    僕が今まで恐れていた場所(結果)なのですが、案外悪くなく、いや思いもよらず素晴らしい場所でした
    少し泣きました

    マインドは相変わらず保障と結果を求め怖れますが、予測不可能性の素晴らしさを知ったのでまた日々を体に世界に預けていきます

    長い長い独り言すみません(笑)
    ジョークであり本質と知りつつ自分さんに話すと落ち着きます
    いつも本当にありがとうございます!

  3. artwatercolor より:

    自分さん。
    こんにちは。

    何の気なくブログを始めてみました。
    アウトプットするのは楽しいです。

    http://artwatercolor.hatenablog.com
    透明な色彩

    よろしければ相互リンクをお願いします。

    私事ですが、4月から服飾のデザイン学校が始まります。大学で学んだ法学部とは異なる分野であり、未知なる世界です。

    「創作を仕事にしたい」という意識で世界を眺めていたら、気づいたらこのような流れになりました。

    いろいろと話し合いもしたけれど、大学を卒業しても尚、支援をしながら学校に行かせてくれる親。お金がかかることなのに、我儘でやりたいことをやらせてくれて、とてもありがたいです。

    循環として在ります。
    わたしには人生はないのだし、記憶の見せるままに委ねるしかありません。

    • Aslan より:

      Artwatercolorさん、おめでとうございます。私も法学部出で紆余曲折しまくりですごが、artwatercolorさんのように自然の流れに乗りたいですね。(*^.^*)

    • artwatercolor より:

      Aslanさん。
      ありがとうございます。

      前回のコメントの「法学部とは異なる分野」「気づいたらこのような流れになった」「いろいろ話し合いもした」などと記載されたあらゆる観念が、個人的なわたしの記憶の後付けですね。

      このような相対的な思考の後付けが消滅した時、何もかも未知であり全知となる世界しかなく、「循環に流れよう!」という意識などわざわざ起こさずとも、流れるしかないのだと思います。

    • -自分- 涅槃 より:

      artwatercolorさん

      役に立つかわからないが、本書からもリンクさせてもらうよ。ところで以前から良い名前だと思っていたが、そういう方面の資質があるのだね。

      あなたが興味を持つという時点でその特質があるのだよ。状況としての遮りがあろうとも、それがあなたの本来の姿なのだ。素直に流れていくだけでいい。

      迷ったら、いつでも戻っておいで。

  4. 光のあとさき より:

    自分さんこんにちは。
    この記事を何度も読み返しながら、とても参考にさせて頂いています。
    何かをする際に、『マインド的に価値を見出だせなくてもよい』という個所が重要だなって思いますね。

    私は趣味で小説を書いていますが、とりあえず「書こう」と思ったものがどんどんあり、溜まっている状態です。しかし、一作品ずつこまめに着手しています。
    クオリティは問わないって決めてます。まず、吐き出し切る(描き切る)ことが大事なのだと。

    循環させている意識を持つということも、大事なんですね。
    確かに、物事だけに気を取られていたら、いけない、流すという意識を持ってこそ、A→Bに何を繋げられるか?をなんとなくでも導けると思います。
    日々、腐らないように、吐き出し続けます(笑)

    • 涅槃の書-自分 より:

      光のあとさきさん

      そう、”この世”は2層構造になっていてね、ひとつは自然界にみられるように、永遠の循環がある。これは直接には目にみえないものだ。

      自然といっても、のどかな風景のことではなくて、たとえば「草が”自然に”生えてきた」と表現するときの自然のこと、つまりこの宇宙を司る”自然性”そのもののことを指している。

      それは目にみることもできない。草が生えてきた姿をみて、そこに自然性を感じている。体もそうだね。細胞の新陳代謝がある。傷が治っていく現象はみることができる。食べ物を食べて排泄をして、そのような行為自体はみることもできる。

      だが草や新陳代謝や生理現象など「見かけ」はさまざまだけども、しかしすべては大きな循環の現れなのだと、あなたは理解しつつあるはずだ。

      そうした目に見ない大きな循環(大いなる流れ)には、直線的な時間の流れも存在しない。フラスコのなかでもくもくと動き続けている蒸気のように、つまり同じ場所で満ち続けている様子にある。それゆえ”永遠”となる。

      その永遠は「動き」があってこそ保たれている。むしろすべてが動いているからこそ、それは在る。

      たとえば街を歩いているとき、本当の意味で静止しているものはひとつもみつけられないはずだ。人々が行き交い、信号機は明滅し、雲も流れる。あなたの心臓も胃腸も動き続けている。壁に貼られたポスターは静止しているようにみえても、徐々に風化したりと必ず変化している。

      つまり世界は動きとして現れているが、そのさまざまな現れは己の意識上での表現にすぎない。

      しかしそれらの見かけではなく、草の”自然性”のように「動きそのもの」を感得していると、実は無数の動きの集まりがあるのではなく、「ただひとつの動き」が、人々や信号機や雲やポスターとしてみえているのだとわかる。瞑想はこの気づきに至ることになる。もはや個別の見かけがそれぞれ持っていた意味は葬られ、ただ満ちたひとつの何かが、すべての背後にみえている。

      ここに「マインド的に価値を見出せなくてもよい」と伝えている意図がある。

      たとえばこんな手記があるので引いておくよ。

      ──

      商店街を歩いているとき
      同様にたくさんの人たちが
      それぞれ目的の方向に歩いているだろう

      自分と同じ向きで歩いてる人もいれば
      向こうからやってくる人もいる

      だが商店街そのものを感じてみれば
      実は”見かけ”が違うだけで
      みんな同じ方向に歩いているのだとわかる

      そのように商店街の光景、つまり自分を含めて
      みんなが同じ方向に歩いているその様子に
      あなたはとても心強いものを知るはずだ

      なぜなら永遠の生命と呼ばれるものを
      そこに垣間みるからにある

      (宇宙の行進)

      ──

      この”商店街”は先のフラスコと同じだね。だから比喩は”宇宙”でもいいし、愛する恋人や親しい人と過ごしている楽しい時間でもいい。だがその楽しさや安らぎを感じているとき、”時間”は忘れられているはずだ。むしろその高次の領域に時間は存在しないからだ。

      つまり2層構造というのは、永遠の流れと、そしてその流れが己独自に表現された形ある世界、後者は眠っているときの夢と同じで、”己の意識”が描き出すものだが、より正確にいえば「なんらかの世界を表現していること自体」が、己そのもの(己の魂)にある。

      そしてここが今回の手記の根幹になっているところだけども、話したように、どのような見かけであれ、それは永遠の流れ(永遠の循環)がもとになっている。それはあなたの執筆活動も同じ。

      入力だけでなく出力をしないことは、食べ物ばかりを食べてトイレにいかないのと同じで、流れが堰き止められている。呼吸もそうだね。吸ってばかりで吐かないとどんどん苦しくなるだけでなく、新しく吸い込むこともできない。”リフレッシュ”されない。

      そしてもちろん呼吸サイクルの停滞は死を意味する。しかし死もまた「見かけ」にある。つまり死とはそれ自体を経験することはできず、あくまで己の意識のなかで描かれた”死への兆候”にすぎない。

      言い換えると、己の死を知ることはできないんだ。前述のとおり、現世を表現していること自体が己の正体だからであり、死ぬかもしれないという直前までしか、意識は経験することができない。毎晩眠るときに、いつ眠ったのかを知らないのと同じだね。

      まさにそこに永遠の生命の片鱗が垣間みえているのだけども、だからまずは「2層構造である」ということを常に念頭に置きながら暮らしてみるとよいと思われる。

      現世の”すべての現れ”の背後に、共通したひとつの流れを感じてみること。人々の姿や毎日の光景、出来事、ありとあらゆる背後に、同じひとつの流れをみてみる。

      やがてある重要なことに気づけるようになる。

      たとえば、これまで己は、喜びや安らぎや達成感や満足を、人間関係や趣味や仕事や生活を通じて触れようとしてきた。

      その形のない何かが感じられるとき、生きてる実感があった。むしろそれが感じられないからこそ苦しかった。人に腹を立てたり、散財ばかりで物が増え続けたり、仕事が生活が嫌になったりした。

      つまりどんなことを通じても、結局は「同じ揺るぎないもの」を感じようとしていただけなのだと気づく。

      するとあなたはこのように視点が逆転する。

      これまではさまざまな見かけ(対人関係や物事)を通じて、満たされたものを感じようとしていたが、そもそも最初からここに満たされたものが感じられている状態から、すべての個別の現れをみているようになる。

      言いかえれば、この世への”全肯定”がまず最初にあり(YESがはじめにあり)、そして否定ではなく選択の意味としてのNOがあるのだとわかる。

      ──

      たとえばある料理をつくるときに、必要な食材と必要でない食材を選び分けるようなものだといえる。

      いま必要でない食材だからといってその存在を”否定”しているわけではない。

      必要なときのためにそれは食材庫にしまってあるのだと、現世はそのようにしてすべてに意味があるのだと、つまりあなたは”愛”とは何であるのかを理解しているようになる。

      つまりあなたが”愛”なのであって、そしてその愛のなかに自分や他者の世界が現れている。

      ──

      だからこのように言える。

      己にとってこの現世とはなんなのか。なんのために現れているのか。その真の目的とは、まだ見ぬ未来にあるのではなく、常にいまここにずっと在り続けているもの、ずっと包み込んでいるものとひとつになり、そしてその包み込んでいるもののほうから、見かけとして現れている現世を楽しむことにあるのだとね。

      あなたならば小説を書いたり、いつもの日常を営んでいるお馴染みの世界がある。

      それは執筆がなんらかの成功を招いてくれるのではなく、むしろそうして成功でつかもうとしている充足が最初からすでにここにあるからこそ、執筆活動という映像が己の意識世界に描かれているのであって、その感得においてこそ、執筆活動という映像そのものが変化していくんだ。もしかすると何らかの受賞をしているような映像に変化するかもしれないし、個人的な深い満足のための一生のライフワークとして続けていくものかもしれない。またはその活動から別の分野や物事へとつながるかもしれない。出会いが次々と現れてくるかもしれない。

      つまり見かけそれ自体は重要ではないんだね。

      どんなことであれ、あなたはそこに愛や喜びや充実や躍動といった形のないものを感じたいのであって、それは物事が成功したから得られるのではなく、そもそも最初からここにあるそれを形あるものを通じて感じ得ようとしているのだ。

      だから以下のあなたの決意はとても素晴らしい。

      ──

      クオリティは問わないって決めてます。まず、吐き出し切る(描き切る)ことが大事なのだと。
      循環させている意識を持つということも、大事なんですね。
      確かに、物事だけに気を取られていたら、いけない、流すという意識を持ってこそ、A→Bに何を繋げられるか?をなんとなくでも導けると思います。
      日々、腐らないように、吐き出し続けます(笑)

      ──

      そうだね、そのように「流れのなかにすべてが現れている」と気づいているとき、”執筆そのもの”としてあなたは在るだろう。つまりここに満ちているものとひとつにある。するとたとえば作中の登場人物たちが自らで語り始めるようになる。

      すべては流れの現れであり、その現れがあなたの潜在意識を素材にした姿で表現されているからであり、それは実のところ、普段の日常の光景も同じなんだ。

  5. 光のあとさき より:

    自分さん

    深いお言葉ありがとうございます。
    物語が、自ら語り出す勢い(川の流れのような)に乗っている時、私自身、その光景をただ描くだけ、彼らを文章として再現してあげてる感覚に近いですかね。
    考えて描いてるというより、移してるというか。
    登場人物、それは建物だったり、人ではないものさえ躍動して現れる感覚がありますよ。とても愛おしいです。

    宇宙の行進の記事からの抜粋についてですが、呼吸も、宇宙の呼吸として、スケールを広く感じ取ることで、身近な生命の働きを愛おしく感じられそうです。

    大切なのは、見かけを超えたその背景なんですね。
    どんな姿(映像)に変わっても、元々あるエネルギーの表れ。ゼロに無限がある、その考え方を大事にしていきたいです。

コメント・質疑応答

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