預けたものを確かめにいく

何かに没頭したい
とことんまで突き詰めていける何かが
人生にほしい

実際にそれを実現している人たちを
みるたびに羨ましく思う

だから自分もあのようになりたい
人生を無意味に過ごすのではなく
価値ある光で輝かせたい

だけどもそう思って
いろんなことに手を出しみるけども
これというものに出会えない

何をやっても最初の新鮮さだけで
やがてそれを楽しんでるふりをしてる自分に
気づいてしまう

本気で燃え上がらせてくれるものと
出会えていないだけなのだろうか

つまりみんなはその本物と出会えたから
あのように一心不乱になれてるのだろうか

それとも自分のほうが
何かを間違えているのだろうか?

 

大人のあなた

さて、以上が今回の題材だけども

このような心情は
私たちが大人になり
たくさんの物事を経験して
世の中や人生を知れば知るほど
はまり込みやすいものになる

というのは
人生をいろいろ経験していると
事柄自体は違っても
なにやら共通した法則に気づいてしまうわけで

すると「この先になにがあるんだろう?
それをこの目で見てみたい」なんて
ワクワクした思いよりも

「どうせこれもこういうことでしょ」
みたいな冷めた自分が居座ることになる

だから楽しもうにも
楽しんでいるふりになってしまうのであって

それはいってみれば
お化け屋敷で子どもと一緒に
怖がって声をあげてるようなもの

そう、まさに大人になってしまったんだね

 

わからないことをみつける?

じゃあ本気で驚いてる子どものように
無垢な気持ちになればいいのかとなるけども
ところがそこにはひとつのパラドクスがあって

たとえば子どもとはいえ
「向こうに何かがあるはずだ」という
自分なりの確信がなければ
闇のなかを進んではいかないだろう

なによりそこに入っていくための
理由すらないのだからね

ゆえに問うべき何かがまずあって
そのわからないことへの答えを探しにいく
という強い動機が必要なんだけども
では何がパラドクスなのかといえば

「これやってみようかな」と
ただ何かを見つけただけでは
わからないことがなんであるのかさえ
わからないということだ

問いがないということだね
問いをつくり出すことができない

するとわからないことが現れてくるまで
そのことを楽しんでるふりを続けなきゃならない

よく言われるように
たくさん知識を持っている人は
他の人よりもわからないことが少ないのではなく
むしろその知識の分だけ世界の見え方が多様化して
他の人が思いもしないような
「わからないこと」で溢れているが

じゃあそのレベルに達するまで
待たねばならないのだろうか

だがそれができないからこそ
気持ちが続かなくなって挫折してしまうわけで
つまり最初からハートに火をつけてくれる
“何か”がなければならない

物事であれ人であれ
はじめからそのことを好きでいられるのは
素晴らしいことだが

しかしそれもまた
まだ少ししか知らないことを
なぜ好きだと言えるのだろうか

だけどもここに
この難問を脱する出口があるんだが
いまはまだ置いておこう

 

宇宙の法則

ではわからないことは
どうやって見つければいいのだろう?

大人のあなたは
この世の基本原則を知ってしまってるというのに
つまりわからないことなど
もはやどこにも存在しないというのに

その存在しないものを
いったいどうやって見つけることができるのか?

しかしここで疑問するのは
そもそも大人のあなたが知ったつもりでいる
すべての事柄に共通する法則は
本当にそうなのだろうかということだが

実は困ったことにね
それは正しいんだ

たとえばあなたが料理をうまく仕上げるコツと
人間関係を円満にするコツは

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