静かな明るい夜

近頃は飲み屋でワイワイやるのではなく
自宅でひとりお酒を楽しむ人が
大幅に増えてるという統計をみたけども
まあそうだね

コロナでの外出制限もあったし
それに便乗した新しい流行や考え方などで
世間の風潮の変化が起きた

もちろんひとりだと
深酒は注意しなければならないが

しかし人数で飲み会をするのと
ひとりでちびちび酔うというのは
その雰囲気は違うものだろう

笑い合う相手も
愚痴をこぼす相手もおらず

どちらかといえば
酔ってしみじみしたいわけで

少し前の手記でも話したように
過ぎ去る日々に思い馳せたり
YouTubeなんかで
懐かしい音楽を探してみたりして
ノスタルジーに浸ったりしてるのではないかな

 

1

ところでお酒に限らずだが
私たちがそうしてしみじみしたいのは
この人生が神秘だったと感じたいからにある

もちろん”神秘”という言葉の表現を
誰しもが用いるわけではないけども

だが結局は
人生の不思議や奇跡を感じているのであって
それは己がいつか消え去る存在であること
同時にすべてが儚いものであるという事実が
突きつけられている様子にある

そのことを切ない悲しみとして受け取るのか
それとも一期一会の連続を楽しもうとするかは
個々それぞれだが

つまりそうして
ひとりで深い気持ちになれる機会が
人々のなかで増えてきたということだ

 

2

ところで「しみじみ」とは
心静かに落ち着いている様子や
深く心に感じる様子のことを意味する

つまり瞑想や観想の意識状態であり
この世の見えかたが変容することになる

ほろ酔いして
頭のなかの何かが解放されたとき
記憶のひとつひとつが深みを増すようにね

普段の日常ではそのレベルにまでは至らない

人間関係や生活に追われて
その追いかけてくるすべてが神秘であるということが
いつも隠れてしまう

心を癒すための答えはまさにそれであるのに
だがそれから逃れようとして
いつも癒されないまま不安な明日を迎えるわけだ

焦って追われる心が
その気づきを常に邪魔してしまうわけで
つまり頭の何かが解放されるものは
焦って追われる心のことにある

言いかえれば
心は現実というゲームを
常に至近距離でみているのだけども

その視点が解放されるとき
距離を置いて離れたところから
ゲーム全体をみつめることになる

そうして眺めるゲームの全貌のなかに
同化していた”自分”の姿も映る

それはつまり
苦悩する人間関係や生活と
それらに思い煩っている心が
同じものだということだ

ゆえにノスタルジーに浸れるのは
結局のところ
“すべて”がひとつだったことに気づくからなんだ

 

3

地面に立っている限り
その地面に描かれている巨大な絵はわからない

立っている己が絵の部分であることさえ
気づかない

この意味がわかるかな
描かれている通りにあなたは思考し
描かれている通りににあなたは行動してるんだ

だがあなたは
自分で自由に思考して行動してるつもりでいる

ここに”自分”というジレンマがある

だけどもゲームを離れて眺めるとき
たとえば懐かしい思い出を
振り返るときがそうであるように

すべてが一挙にそこにあり
そしてすべてが同時に動いていたのだとわかる

考えや行動は必然だったとね

だから人生に遠回りも近回りもなかった
うまくやろうと深刻になる必要はなかった

なぜならすべてはその時々に

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