人生に謎はない
なにか悪い出来事が起きたとき
「どうしてこうなったのだろう?」と
考えを巡らせて
そして納得や解決を求めて
思考は以下のように進んでいく
──
そういえば前にあんなことがあったな・・
そうか、きっとそれが原因なんだ!
これで説明がつくぞ!
──
こんな具合で
その”原因”とやらをみつけて
もう二度とそれが起きないように
対処をしていくことになるわけだ
ところがそうして原因をみつけて
対処したはずなのに
また同じようなことが起きたりする
つまり推理は外れていたことになるのだけども
しかし「これで説明がついた!」と思えた
あのパズルが組み合わさったような瞬間は
なんだったのだろう?
そのときは間違いなく確信できていた
それ以外に疑う余地などなかったはずだ
迷探偵の虫めがね
この話で大事なのは
「説明がつく」というとき
それはその時点での
知っている情報の最大公約数でしかない
ということだ
つまりそれら個別の情報を吟味して
単にそれらのなかで
大きな共通点をみたにすぎない
当然これはとても脆弱だろう
新しい情報がさらに加われば
答えはまったく違うものになるからだ
むしろ答えは定まらず
わけがわからなくなるための条件を
自らに与えていることになる
もちろんそうなってしまうのは
知ったこと「だけ」で導いたからであって
これは日々の降りかかる問題だけでなく
人生の光景への解釈そのものが
常にこれと同じ様子にあるといえる
つまり人間関係や毎日の暮らしにしても
「これで本当に正しいのだろうか」という
曖昧さがいつも心に残ってしまうのは
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