神が戯れる世界で
人は死んでいく
交わした言葉も思いも
波にさらわれる砂のように
跡形もなく消えていく
動物や虫たちも皆そうだし
大事だった物も塵となる
視界に映る光景はいつも通り過ぎていく
すべてが死んでいく世界
あなたはその渦中にいる
だが大切なことを伝えておくよ
死んでいるのは彼らではなく
あなたの方なのだ
死者の世界
あなたが主体的に在るようになり
世界は「自分が体験するだけ」の
幻想であることがわかるようになると
必ずこの理解に到達する
死んでいるのは自分の方だとね
いつも死者たちの戯れを見ているのだ
ここが死の世界だ
あなたは「教わったこと」、つまり
人生で体験したことしか聞く耳は持たない
マインドとは経験知識そのものだからだ
だから頭で物事を捉えると
すぐに現実に取り囲まれる
あなたの人生で何が起こっている?
その家で何が起こっている?
車に飛び込んだらダメだって?
水に溺れるだって?
何かを失うことは喪失ではない
まったく逆だ
減ることとは、増えること
消えることとは、現れること
死者は何度でもやってくる
姿形を変えて
あなたの前に現れる
幽霊?
そんなこと言い出したら
そこに見えているもの全部がそう
あなたもそうだよ
光と影からそれは生み出されている
闇から何かが現れるのを見たことがあるかね?
それは物質ではない
コントラストだ
そこにあなたの心が意味を与えて
現実というコンセプトは完成する
死の存在たち
無論、死とは生に対する二元解釈ゆえに
言葉の表現を超えられない
水中のバケツが空か満杯かの話となる
古代のあらゆる経典は
「あなた生まれてもいない」と言う
生まれてもいないということは
最初から死んでいるということだ
つまり”死”とは
あなたの知る世界そのものであり
見たり聞いたりするものや関わる人々
犬や猫たちもすべて死の存在なのである
あなたの見ている世界とは
死者(神)の戯れなのだよ
これまで何が起ころうが
なんともなかっただろう?
いまちゃんとそこにいる
ずっと思い込んでいただけだよ
悟り
自分がすでに死んでいると気が付くとき、
つまり、知識としてではなく
真実として悟るとき
あなたは無口になる
すべてに意味はなく
自分がここにいる理由もない
お金や異性を求めること
幸福や充実を求めること
人々がそんなことにエネルギーを
費やしていることを
静観するようになる
死の世界を前にしたとき
あらゆる「自分という表現」を
捨ててしまうようになる
余談だが、妻の母方のじいちゃんは
シベリア抑留者だった
戦争が終わって何の通知もないものだから
ばあちゃんは死んだものだと思っていた
ところが5年ほどして
ひょっこりと家に帰ってきた
ところが滅多に口を開かない
5年間何があったのかと聞いても
何も言わないし
問い掛けても
笑顔でフンフンと応えるだけだった
以前の彼といえば人付き合いもしない、
神経質な口やかましい男だったが
戻ってきてからというもの
酒場に行っては客全員に大判振る舞い
突然家の玄関に張り紙をして
英会話教室なんてのを始めたりした
無論、英語を話すじいちゃんなんて
まして、人を集めて指導するとか
ばあちゃんの脳はオーバーロードだ
その数年後、
まったくの健康だった彼は
机に向かいながら眠るように死んでいた
彼に何があったのかは
誰にもわからないが
抑留中に知ってしまったのだろうね
まるで役目を終えたように
“私の聞いた話”の中で彼は消えていった
この意味がわかるかな?
いずれわかるようになる
私の周囲ではバッタバッタと人が死んでいく
先日看取った身内もそうだった
死を目前にする人は
いつもそうだが
言葉静かになる
どんなに死を拒んでいる人も
それを恐れている人も
どういうわけか無口になる
その人は心静かに座禅を組んだこともない
すぐに自己保身に走る利己主義の人だったが
最期は何かを悟ったかのように静かだった
スピリチュアルなんて知る由もない
つまり何の心の構えもなく
彼は死を受け入れた
自分が消滅するという事実の先に
何が見えていたのだろう?
諦め?
虚しさ?
いや、そうじゃない
人は気付くのだよ
最初からすべては夢の中
自分が死ぬのではなく
世界が消えるのだ
毎朝夢から目覚めるように
ヴィジョンが切り替わるだけ
ゆえに思い残すことなどありはしない
残す世界など、どこにもないからだ
なにかをはじめる
夢の世界
死の世界
静寂の世界
白い陽光が差し込む部屋で
妻と猫が戯れている
果物が並んでいる様子もある
だがすべては実在しない
私は長い間、生の意味を探してきた
個としての存在を強調するように
沢山のものを築き上げてきた
沢山のものを残してきた
ゆえに真実を垣間見たとき
とても儚い気持ちになったものだ
死の世界を前に
あなたは無口になる
必ずそうなる
そして
何かできることはないかと
思うようになる
じいちゃんの英会話教室のように
スーパーの買い物客のように
世界で活躍するビジネスマンのように
観客を沸かせるスポーツ選手のように
愛を語り合う恋人たちのように
鳥のように
花のように
雲のように
風や気温のように
みんな何かを表現している
誰かに何かをする、というエゴではなく
死者の世界へのせめてもの慈悲、
自分が出来る最大のプレゼントであること
つまり、素直なままにそうであること、
あなたが世界に死を観るとき
そう在りたいと思うようになる
さいごに
繰り返すがね、ここは死者の世界だ
神の戯れが表現されている
ゆえに誰も死なないどころか
「誰」という誰かがいるわけでもない
亡くなった人も
消えたわけじゃない
いつもそこにいる
あなたがそこで死んでも
死んだという事実は葬り去られ
やはりそこにいる
あなたは一歩も動いていないし
生きてもいない
そして私はこの話を伝えるために
あなたの世界で本書を綴っている
何かを乗り越えて
そこに到達するのではなく
それは最初からそこにあるのだ
あなたの見ているその世界が
すでにそうなのだよ
景色も音も人々も
なぜそれらがそこにあるのか
よく観察してみることだ
さて、
何をしようか?
Notes あなたの世界, 他者, 幻想, 循環, 感謝, 死, 生きる意味, 真実, 神, 神秘, 自由
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幼少の頃から私は何なのか?というのがずっと疑問でした。
父親と母親の組み合わせで私は生まれたというが
先祖代々少しでもずれていたら私は生まれていなかったというのが
どうにも納得ができませんでした。
そして長い封建制の時代が終わり、わずか数十年の民主主義のこの日本という時代に
生きているのもどうにも話が上手すぎるような気がしてしました。
ONEPOINTさん
いまあなたが両親のことを知っていたり
時代の流れを思い起こしている
いまあなたが、ね
すべてのカラクリは
そこにいるあなたが見破ることができる
あらゆるものが
自分の知っている通りにあり
都合良く並んでいる
秩序とは
あなたの信念のことなのだよ
それが世界の正体となる
>さて、
何をしようか?
昨日、一瞬この感覚になりました
時間はなく、私はいつも同じ場所に居て、目の前に世界がただ広がっている
何かに成りたいとか夢とか目標とか努力とかではなく、「さて、何をしようか?」がワクワクした気持ちと共に起こってきました
その後、いつもの自分に戻ってしまいましたが・・・
本当の世界になかなか気付かないのはあまりにも身近に、というより目の前に当たり前にあるからなのだと思いました
ワモノさん
いまそこで見えているもの
聞こえるもの、触れているもの
つまり進行形の針先だけが世界である
そうした「点」に立つとき
瞬間ごとにあらゆるものが
過去へと消えていくことがわかる
それはなんだろう?
もともとそこにはなかったし
そしていまもない
人々も物事も
何もないのだよ
ゆえにあなたの自由が起こる
「受け取る」という自由に在ることに気付く
触れたい世界を作り出すことができる
何だってできる、というよりも
何だって良い、のだよ
愚問で申し訳ないですが、自分さんが、世界には自分しか居ないと言われるとき、この世界が、自分一人の為に用意されたパラレルワールドであると言う事を意味しているのですか? と自分に聞いている訳であれですが、聞く時点で他者の実在を想定している。
昔、知り合いが、「願望実現の法則なんて言うが、例えば、武蔵も小次郎も勝ちたいと思っている訳だが、どっちかは敗北せざるを得ないのだから、厳密には願望実現の法則などあり得ないんだよ。好きな女も誰かがゲットしたら、誰かは振られるのだから」というなことをいっていた。
しかし、武蔵の世界では武蔵が勝ち、小次郎の世界では小次郎が勝ったと言うこともあり得るのかもしれない。
小次郎が勝った歴史や大日本帝国が勝った歴史も存在するのかもしれない。
結局はマインド次元の話ですが、そんな風に思うことがあります。
鯤さん
要点を逃してはならないよ
武蔵が勝ったか
小次郎が勝ったか
そうしたパラレルワールドがあるのではない
シュレディンガー博士が導いたのは
武蔵でも小次郎でもなく
それの勝敗を観ている「あなたがいる」ということだ
あなたが主観的に深く存在を放つとき
成功も失敗も力をなくすのだよ
願望はどのように転んでも
実現されていたことを知るだろう
こんばんは お邪魔いたします。
本日の書、読み始めてすぐに「これを読むのは駄目だ!」という警告のような
ものが頭をかすめました。上手く表現出来ないのですが、
ダイレクト…直球過ぎてこれはヤバイというような。
でも自分さんは常に
ずっと同じ事を仰り続けていらっしゃったのですよね…
自分さんが紡ぎ出される宝石のような言葉の数々の中でも
私が最も惹かれるのが
『死の静寂に触れるとき 存在の扉が開かれる』です。
正直、理解している訳でも実感している訳でもないのですが
何故だかこの言葉が常に頭にこびりついています。
そして本日の書を読み終わった後、体から何かがはがれていく?ような
奇妙な感覚を味わっております。とても不思議。
でも何も変わってはいません。
ただひとつ心配なのが、自分さんが私の前から消えてしまうような
漠然とした恐怖を感じています。
その恐怖こそがエゴなのだと自覚はしているのですが。
どうかまだまだご一緒させて下さい。
本末転倒ですが
『涅槃の書を捨てるとき』がまだ私に訪れませんよう…
カモミールさん
死はその言葉のイメージに恐怖するだけだ
未知のものであり
決して体験することのないものである
これはつまり
あなたが体験していることは
すべて記憶ということを意味する
そして死は永遠に訪れることがないのだ
さらにいえば
ここが死の世界であるのだよ
「死」に関する手記は
本書のキーワード検索やタグで抽出できる
未読のものがあるかもしれないから
チェックしてみると良いだろう
>自分さんが私の前から消えてしまうような
>漠然とした恐怖を感じています。
あなたはインスピレーションを
流せる人のようだね
そう、今回の記事はひとつの分岐点となる
本書はここにあるが
これまでと違う流れになるゆえに
あなたの世界からは消えるかもしれない
後ほど「お知らせ」をするよ
自分さん こんにちは。
>光と影からそれは生み出されている
>闇から何かが現れるのを見たことがあるかね?
>それは物質ではない
>コントラストだ
なんとなく分かります。
二極ではなくコントラストなんですよね。
光というのは意識で…
一つの現実に対する意識のありようですかね。
分かるんだけど分かりません 笑
オレンジさん
そこに蚊がいるとき
よく観察してみることだ
風景の中に蚊が飛んでいるのではなく
蚊らしき絵を含んだ風景が
刻々と変化しているのだよ
騒ぐ高校生でも
イケメン俳優でもいい
それらがそこにいるのではなく
そういう絵があなたを包んでいる
そしてあなたもそう
両手をご覧なさい
それは手ではないよ
部屋の一部分だ
つまりすべては空間なのだよ
四方八方に貼り巡らされた画面
どこを見ても
何かがある
あなたという個人すら
画面上の表示に過ぎない
闇から何かが現れるとき
それはテレビ画面がオンになっただけのこと
犬や俳優が映っていようが
そこにあるのは
画面だ
この理解を「あたま」でなくは仕事しながら給与もらいながらでは相当、むずかしい。
哲学者の廣松渡が『共同主観的存在構造』と言う若き日の論文で、普通さんが抱える問題意識の発生構造を理論的に説明している。
こう言った哲学史的な見取り図があると、自分の悩みが自分だけの悩みではなく、全人類が直面している問題でもあることに気が付き、多少、気が楽になるでしょうw
私ばかりで恐縮ですが…。明日は休みだからよかったとはいえd、足に強烈な、こむら返りをおこして目が覚めました。激しいスポーツをやっているわけでもないのに夜中よく、こむら返りで目が覚めます。虫歯は痛みはないとはいえまだ通院中。腕の怪我もですね。菌感染は血液検査の結果、白血球の具合で毎回、注射器刺すことはなくなりましたが、どす黒く変質して水ぶくれはまだあり、皮も向けた状態です。たまらない痛みではないけれど痛痒さと、ぶつけた時は痛い。肘だから電車内や通行人がワザとのように当ってイラっとするときもあります。
腕や歯で夜中目が覚めることは今はないが、足の「こむら返り」ばかりはたまらない。夢の中でも、こむら返りおこし、目が覚めても30分ほど揉んだり動かしたり格闘してました。病院いくほど大したことはないとはいえ、たとえ幻想だとしても「痛み」は変わらずそこにあり、夜中、目が覚めた風景も変わらず、痛みと共に、あ、生きてる、現実だと認識します。
たとえ「幻想」が真実としても「無感」になれなければ私は気楽にはなれないですね。
こういう時、全然違うところでゲーム広告とかでて「ラグナロク」
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無茶苦茶、話があってしまったりして。「何も知らなくて、何も意図なくて、希望と救いだけ信じて、何か解ったら救われるかな?と思って進めばドツボで多くの誤解だけ残して悪者で終るって哀しい話ですよね」と必ず諸刃の剣の悔しさと怒り共に解らないからこそ不安と痛みに対する怖さと躊躇と「哀しい」「どうして?」も出る。ハートを開けばこんなんでます。だからどうもダークサイドが憎みきれない。