時間が止まった世界に到達する
過去とマインドは同じものだ
つまり「いまに在る」という自体が
マインドを超えているということ
スピリチュアルでは
頭のことをマインドという
まず「頭」だと捉えてから
その中に思考が起こるとすれば
思考からの離脱が容易となる
マインド=頭
あなたが何かに没頭するとき
その言葉の通り、頭が吹き飛んでいる
「ぶっ飛び体験だった!」
と言うがまさにその通り
純粋に物事を体験するとき
すべてはぶっ飛んでいるもの
頭が体験を邪魔しているから
普段は”没頭”できないわけだ
言葉はおもしろいね
じゃあ頭がなくなると
どんなことが起こるのか
・判断や解釈ができなくなる
・未来への予測ができなくなる
判断や解釈というのは
過去の経験を基に行われる
だから頭というのは
過去と未来を
その場に生成するマシンといえる
つまり思考とは
過去と未来のことだ
「思考から離れられません」
そんなメールを頂くけども
そのように捉えている時点で思考の中
そうではなく
過去を捨て、未来を見なければいい
それであなたは思考を超えられる
過去を捨てるとは
あなたが”知っている自分”を
捨てるということだ
間違えてはならないよ
“自分自身”を生きるとき
それは「いまに在る」様子を意味する
つまり”あなたも知らない未知の自分”に
全身全霊を注ぐということだ
そこには過去に積み上げられた人格はなく
荷物を降ろした自由で鮮烈な生き方がある
それが本来あるべき姿となる
だが過去に作られた人格を引きずると
あなたは「いま」に入れない
いまと過去は相反するからだ
水面に油を落としてみなさい
その油が人格だ
溶け合わさることはない
未来への予測というものは
それもまた過去の経験が基準となるから
あなたが人格を落とせば
同時に未来も消える
過去=未来なのだよ
それらは同じものだ
未知の自分でありなさい
頭=過去
過去=人格
人格=未来
Q. 思考から離れられません
A. あなた自身をやめることだ
あなたが”知っているあなた”を捨て
見たこともない自分で在りなさい
いつも新しい風を吹かせなさい
すると頭は後をついてくるのが
やっととなるだろう
そうしてあなたは
時間が止まった世界に到達する
あなたが時間そのものとなるからだ
あなたが新しければ新しいほど
その世界は拡大する
未知でありなさい
何も知らないという生き方を始めなさい
他のすべてはそれについてくる
Notes あなたの世界, いま, マインド, 世界を変える, 充実感, 生き方
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無知とか馬鹿とか阿呆の方が悟りに近いところにいるのですか?
まちぞーさん
あなたがマインドの計算で生きているならば
光明はその対極にある
例えばの話だがね、
あなたが沢山の趣味を持ち
いついつの予定を楽しみにして
今日も何を食べようかと悩んでる
週末は友人や恋人と豪勢なパーティ
家に帰ればSNSで自分の出来事や主張を
発表する
あなたの照準は「次は何で楽しむか」に
いつも向けられている
それはいい
とてもエキサイティングだ
だが多くの手記で私が伝えている、
「自分の人生を楽しむ」とは
そうした表面だけを追うものではない
表面の楽しさはいずれすべてが裏返る
もしあなたが上記のような人だとしよう
では、何の派手さもなくただ淡々と
毎日を生きている人をどのように見るだろう?
朝起きて
簡素な食事を摂り
洗濯をして
庭を掃く
毎日その繰り返し
あなたは
「この人は何の為に生きてるのだろう」と
そのように疑問に思うかもしれない
もっと楽しいことがあるのに
そう思うだろう
どうせ死ぬのにやりたいこと探せよ
そう思うだろう
もちろんその人が
単なる無気力や放棄、
惨めさなどのネガティブなど
そういった事情でそうあるならば
それは「表面的な生き方」となる
だがそうではなく、
過去も未来も相手にせず
そこに食事を摂ることがあり
そこに洗濯をすることがあり
そこに掃除することがある
そういう生き方をしているなら
それは光明だ
彼は何も知らない
何を知ろうともしない
なぜならば、彼に未来は訪れないからだ
過ぎた世界を振り返ることもない
だから「既知」もない
つまり彼は「無知の人」だ
そのとき彼の居場所は永遠の「いま」にある
何にも侵略されず
希望も絶望もない
ただそこに存在している
彼はとても素晴らしい世界に生きている
すべてが満ちあふれ
これ以上ない喜びの中にいる
社会的なあなたからみれば
毎日庭で掃除をする彼を見て
まるでバカの一つ覚えのような印象を
受けるだけで
あなたにはその甘美な世界は
決して見ることはできない
つまり、バカやアホになれというのは
現時点でマインドに囚われている状態からの
解釈となる
だから正しくはバカでもアホでもない
それらはマインドを追い出すための方便だ
ただ「無知」であることは
とても重要な鍵だ
あなたが無知であるとき
時間は永遠のいまとなるからだ
ご返信ありがとうございます。
私は自他共に認める馬鹿なのですが(笑)最近、本を読んだり
テレビを見たりラジオを聴いたりすることが
だんだん苦痛になってきました。
知らぬが仏じゃないですが情報をインプットしないと
それに刺激されてマインドがざわつくことが少なくなる。
何も知らないですごしていくのも悪くはないなと思っています。
「無知」はおそれることではないのですね。
ただ、世捨て人ではありませんので社会生活をおくるうえでは
それではちと不便なところがあり折り合いを付けることには困りますが…。
頭が没する
没頭とは言い得て妙ですね
ワモノさん
没頭とは
完全に悟りの言葉である
瞑想を日課としている人ですら
仕事中は解釈や判断といった風に
思考を使うから
「いま」に入れないという
サマーディが「没頭」であるならば
仕事というものは「いま」と
相反するものとなるという見解だ
ゆえに多くの人々は
仕事は疲れるものだという
だがとても能率良く仕事が回るとき
彼はまったく疲れていない
最小限の力で
最大の成果を上げている感覚にいる
何かがスッとはいってきて
それをただ流していくとき
「何もしていない」という境地に
立てるのだ
つまり「仕事」こそ
没頭を修練できる最高の場となる
思考せずして思考が起こるとき
あなたは観照そのものに
なっているということだ
全く程遠い心境ですね。
没頭しようと思って出来るものではないし。
鯤さん
まあいつも書いていることだが
あなたが「そうである」とすれば
世界はそのようになる
例えば没頭しようと思って
できるものではない、というのは
因果の法則に縛られている
近年の科学がやっと
2千年前のウパニシャッドに辿り着いたように
宇宙とは完全なるシミュレーションだ
そこにグラスがあると認識するとき
「グラスがそこにある」のだよ
マハラジが
「悟ったとすれば悟りなのだ」という意味は
思い込みということではなく
世界のすべては意識が司っているということだ
つまりあなたの中に何もかもが起きている
本書は文字媒体ゆえに
文字で伝えるという枠を超えられない
だが多くの人々は
行間を読んでいる
それは文字ではない
背景だ
あなたも
人生のルールは超えられる