誰もが思い込みで動いているという衝撃

ロシアの神秘家グルジェフが
弟子のウスペンスキーに
「私は在る、と想起し続けなさい」
そのように教えた

ウスペンスキーは3ヶ月間
自宅から一歩も出ずに
私は在るとひたすら続けた

そうしてある日
彼はグルジェフに連れられて街に出た

彼はそこで驚愕する
「人々は眠っている」とね

彼の観た光景とは
人々は勝手に何かを思い込んで
それに囚われた行動をしている、
一人で会話をして
一人で急いでいる

そこには何もないのに
強烈な思い込みにより
人々は操られているかのように
動き回っていた

 

RPGゲームを見ている

ある日子どもがRPGゲームをしているのを
後ろで眺めていた
私はゲームはやらないので
見たままの話となるが
プレイヤーが剣や魔法を修練して
モンスターを倒していくというものだ

街や城で、様々な人々に話を聞いて
それらの情報を基に冒険を進めていく
そんな様子を眺めていた

ところが情報収集に行き詰まったようで
何度も「街の人々」に話しかけていた
すると彼らの返答は毎回同じものだ

「昨日こんなことがあってね‥」

もう一度話しかけても
「昨日こんなことがあってね‥」

わかるかね?

この様子はまさに
あなたのその世界を表現している

RPGの街の人々の正体は何かといえば
プログラムだ
彼らが自我や意思を持っていたとしても
それはプログラム上のものであり、
「私は自由に生きている」と考えたところで
「私は自由に生きている、と考える」
というアクションが実行されただけだ

だがあなたはいう
「人は毎回返答が違いますよ」

そうではない
あなたが話かけたことへの反応として
それがそこで起きているのだ

さらにいえば
誰かの返答を聞いた時点で
それはその場に描かれた風景を
あなたが見ているに過ぎない

すべては出力された結果なのだ
その結果の世界をあなたは生きている

「すでにそこにあるものに反応をする」

たったこれだけのことが
あなたが深刻にしている「人生」の正体だ

つまりプログラムに翻弄されれば
世界の中で生きることになり
プログラムだと見切っておれば
世界の外から、つまり子どもを
後ろから見ている私の視点となる

よく自由意志があるのかとなるが
そのことを考えている時点で
すでにない、となる

人間として生きている時点ですでに人間だ
あらゆる設定を前提とした上での
「あなたの意思」が用意される

 

プログラムを俯瞰するとき

弟子ウスペンスキーが立った境地とは
ゲームを後ろで見ている私の位置だ

ゲーム内のキャラクターもそうだし
それをプレイしている、うちの子ですら
反応に対応するプログラムでしかない

街を歩いてみなさい
みんなどこかへ向かっている

彼らの姿をよく観察してみると
一体何を思い込まされているのだろう?
と、そんな裏側が見えてくる

店で働く人もそう
公園でジョギングする人もそう

彼らは何かの中で「自分のやるべきこと」
という幻想を見せられ
それに反応して動いている

街全体がそうだ

その視点で見ていると
あなたは衝撃を受けるはずだ

みんな誰とも関わっていないのだよ

関わっていると思い込んでいるだけだ
完全なる思い込みの中に
彼らは動いている

1人だけの世界に閉じこもっているのだ

人生80年間、彼女は家族に包まれてた
だがそう思っているだけで
実はずっと1人だった

 

もちろんあなたも思い込みの中にいる
だがこの事実を知ったとき
あなたの中で確実に何かが変わる

その世界で歩くとき
あなたは歩かされていない
いままでは完全に操られていた
だから苦しかった

だが「みんな思い込みの中にいる」と
その真実を知って街を歩くとき
地球はあなたの庭になる
あなたの遊び場になる

あらゆる制約が外れる

誰もあなたに触れることはできないし
どんな物事も影響を与えることは
不可能となる

逆にあなたからは誰でも触れることができ
そして物事に影響を与えることが
可能となる

己がプログラムであることを悟り
そしてその動作を眺める位置に立つとき
あなたは神となる

すべての森林
すべての音や匂い

あらゆるすべてが
あなたのためだけにそこにあることに
気がつくだろう

そうしてRPGのプレイヤーとなる
その世界すべてがあなたとなるのだ

 

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コメント・質疑応答

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  1. ONEPOINT より:

    返信ありがとうございます。
    今まで避けてきた一番触れたくない部分に触れているのかもしれません。

    今回の手記はゲームを楽しんでいる私には
    とてもわかりやすかったです。
    ゲームをしないと分かりづらいかもしれませんが
    通常話しかけても街の人のセリフが出るだけで
    主人公のセリフというのは出ないのです。
    あるとき
    「主人公は何もしゃべらないけど街の人に何を尋ねているのだろう?」
    という疑問が起こりました。

    もしかしたら街の人が同じ返答しかしないように
    主人公も同じ問いしかしていないのかもしれませんね。

  2. ONEPOINT より:

    私もこの弟子みたいに今後の人生を思えば
    3か月くらい引きこもって自己探求に当てたいと思うときもあります。
    しかし
    「悟りを開くから3か月休暇をくれ」などと
    言えるはずもなく
    またそんな事をして3か月たっても何も変わってなかったらどうするんだ
    という気持ちもあり
    実際には普通に働いております。
    なので4日間のお盆休みはとても貴重でした。

    手記と関係ないコメント申し訳ありません。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん

      >もしかしたら街の人が同じ返答しかしないように
      >主人公も同じ問いしかしていないのかもしれませんね。

      良いところに気がついたね
      毎日同じパターンの感情、
      思考で生きていれば
      日々は変わることがない

      ゆえに
      自分が変われば世界は変わるのだ

      つまり観念を崩壊させること
      新しい観念を持つこと
      だが新しい観念も古くなる
      だから常に新しい風を吹き込ませることだ

      いずれ観念自体を超えることができる

  3. 爽やかハンサム より:

    凄くタイムリーな記事です。

    今日、まさにこの光景と同じ状態を体験しました。
    これ繁華街でやると効果覿面だと思います。

    繁華街を歩いている人々が「プログラム通りに動いている風景」みたいでした。

    マトリックスの「赤いドレスの女」のシーンみたいで、もう一度、巻き戻してみようか?って感じでした。

    そして、私は堂々の主役。
    楽しすぎてニヤケテしまいました。

    これがなぜ起きたのかといいますと、「これは全部夢なんだ」とやっていました。
    もちろん私のボディも夢なんだ。

    実際は、「この風景と違う次元から観ているんだ」とやっていたら、この記事のようになりました。

  4. 爽やかハンサム より:

    「幻想の中」を歩いている「私のボディ」。
    颯爽と歩いている。

    今日も繁華街は人通りが多いな~。
    みんな元気そうやな~。

    よーし、元気がでてきたぞ~。
    「私」も何かやったろか~。

    いやいや、あなた=「私のボディ」も幻想の一部分ではないか。
    何を言ってるのだ。

    誰が何を始めるというのだ。
    あなたは風景の一部分なのだ。

    と、それに気付いた「思考」が言っている。
    それがワンパッケージ。

    ところが、それらを「生み出している者」がいる。

    「私のボディも含めた幻想の繁華街」=「映像」&「思考」の全てを「生み出している者」がいる。

    本当は、「その者」が変身しているだけだ。

    その者だけが「実在」だけど、見ることは出来ない。
    バックグラウンドだから、「何も無いけど在る」となる。

    では、今目の前に見えている風景はどうして誕生しているのだろうか?
    繁華街もあるし、私のボディもある。

    これらを生み出す作業は、捉える側が握っている。

    だから「ここ」が変われば、今までずっと過ごしてきた「風景の全てが変わる」。

    • -自分- 涅槃 より:

      爽やかハンサムさん

      人はいつも対象を絶対値とする
      そうではなく
      自分自身が絶対値なのだ

      時間の中を生きているのではなく
      自分が時間そのものであり
      それ自体が温度を持っているのではなく
      自分が熱いか冷たいかを感じている

      これは生き方にも言えることだ

      会社で働いているとき
      会社の業務をやらされているのではなく
      自分が業務をしているのだ

      だから人々は誰かや何かのせいにする

      そうではなく自分が生きていることに
      気がつくだけで
      一切のネガティブは消滅する

      今回の手記はそういった
      「反応だけで生きている人々」を
      俯瞰できるものだ

      誰もがみな、ネガティブだ

      なぜならば彼らの世界には、
      何かに対する反応だけしかないからだ

      その殻を破って外に出れば
      すべての責任は私にあり
      同時に自由に生きていくという
      目覚めが起こる

  5. より:

    マインドの次元では分かる気がするが、生活実感としては、私は、まさに思い込みの中で生きている街の人だ。
    正直、苦しい。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      あなたがその苦を脱する方法だが
      何も生活を変える必要はない

      自分が生きているということを
      思い出すだけでいいのだよ

      反応で生きるのをやめることだ

      あなたが見て
      あなたが歩く

      自分が生きるためにそれをやるのだ

      もっと主観的になりなさい
      会社も債務も関わる人々も
      すべてはあなたの後ろに
      ついてきていることがわかるようになる

  6. より:

    自分さん。色々吹っ切れました。
    結局、私はなにも分からなかった。悟りとか真理と言うものを探求してきたこの10年、15年ですが、なにも分からなかったし、分からないことが分かった。
    どのような教えにも人間にも自分自身にも希望を持たないゼロの境地にようやく立てたような気がします。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      >分からないことが分かった。

      あなたがあるがままに
      人生を捉えるときに
      真なる次元は開き出す

      大事なのは
      死を常に意識することだよ

      あなたが人生だと思っている光景は
      回想シーンなのだ

      自己啓発では
      「だから悔いなく生きよう」となるが
      そんなことはない
      それはまた現実に
      足を突っ込んでいるだけだ

      回想シーンを観ている”死”が
      自分自身だとわかるだけで十分

      それだけですべては変わる

  7. より:

    多分、死を意識するまでもなく、私は死んでると思います。
    死んだら楽になりました。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      その死も回想の中にある
      つまりあなたは常に安心の中にあるのだ
      何も恐れるものはない
      自分の足で
      自分の世界を歩いていきなさい

      ボーディダルマも
      部活に励む少女も

      自分の世界を
      自分で歩くことができた人たちだ

      あなたも
      自分自身に戻るだけだ

  8. より:

    はい。自分の足で自分の世界を歩いていきます。
    ここ数ヶ月、嫌なこと危険なことがいっぱい起きたのですが、それを嫌になるほど体験したら、別に大したことでもなく、自分で、勝手に恐れていただけなのが解りました。
    現象それ自体は透明なのに赤とか青とか黒とかに色をつけて、勝手に恐れたり振り回されたりしていたわけなようです。
    幻覚と言うか拡張現実のスイッチを切る事が出来るようになったかもしれない。
    このサイトに来るまでスイッチの切り方が分からなかった。
    自分が生み出した映像に振り回されていた。
    スイッチのオンオフのコツが多少わかったように思います。
    ありがとうございました!

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      雨の日に屋外の植物をごらんなさい
      ただ、濡れている

  9. 名前のない男 より:

    自分さん お疲れさまです。

    いくつか質問させて頂きます。

    外に眺める者(本当の私)がいて、それが内側を意識しているのか?それとも内側に眺める者がいてそれが外を意識しているのか?が解りません。

    全体の背後にあるものを意識するとなると後者の視点になると思います。

    記事を読むとどちらとも取れます。内や外とは方便であり、眺める視点であればどちらでも良いのでしょうか?

    眺める視点に立ち、自分を含めた人生に現れるもの全て無価値だと思えば何の苦しみも悩みもありません。ただ喜びもありません。虚しいだけです。

    私は愛を経験したいです。

    願望が叶わない苦しみの原因は自身の依存気質だと分かっています。

    長年依存気質を消す努力をしていますが消えず同じことを繰り返しています。でも願望を達成することも欠点を克服することも無価値なら克服する必要はありませんよね?

    欠点を克服する努力をしないのは甘えだと思いますが、ただ眺めていても良いのでしょうか?

    他人はいないと仰いますが、他人にも自分にも不愉快な思いをさせるのを眺めるのは耐え難い苦痛です。

    以上毎度失礼します。宜しくお願い致します。拝

    • -自分- 涅槃 より:

      名前のない男さん

      >人生に現れるもの全て無価値だと思えば何の苦しみも
      悩みもありません。ただ喜びもありません。虚しいだけです。

      最初はそうなる
      なぜならば人生に意味を見いだしてきたからだ
      その癖が残ってしまう
      だがそれを超えるとき
      とあることに気が付くのだよ

      「これがなかったら一体何があるのか」

      この気付きが
      あなたの冒頭の質問の答えになる

      つまりあなたの本質とは
      あなたの経験しているすべて、
      言葉にするとそのようになる

      理屈での理解は容易い
      だがそれは現実レベルを抜け出せない

      自己観照が
      当たり前の現象であることに気が付くには
      内側に意識を向ける以外にない

      以前も伝えたが
      意識が内に向くか外に向くか
      たったそれだけのことなのだよ

      内側に意識を向けるとき
      そこに「内側を意識して眺める者」は
      いない

      それは
      外側に意識が向けられているから
      出てくる質問だよ

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