イマジネーション

朝の7時に2人の男が
シャワーを浴びている

それぞれ別の場所

片方は海岸沿いの家
水平線を一望するパノラマ・ワイドビュー
そんなバスルーム
彼はいくつかの会社経営という
「服」を着ている
キャッシュフローは完全に把握されており
増えたら効率良く分散し
減れば一定の水準に戻るよう手配する

もう片方は窓もなく1畳の広さもない
トイレと一緒のユニットバス
彼は求職中という「服」を着ている
今月の家賃の支払いも怪しい状態だ
来月何をしているかもわからない

場所は違うが2人は裸であり
シャワーを浴びている

つまり水を体に感じているという
「いま」に於いては何の違いもない

 

着ている服が違うだけ

「服」とは記憶のことだ
つまりいまそこには存在しない
ただの思い込み

性格や価値観、主張も記憶
経営者の彼は体調管理に気遣う
求職中の彼は必要以上に食べ漁る
会話もマナーも違う

「ここではこうするもの」
「自分の性格はこうだ」
そういう潜在的な意識が
暮らしに自動反映される

各々の思い込み
記憶がその現実を司る

パノラマビュー住まいの彼が
“今日も職を探しにいけば”そうだし
ユニットバスの彼が
自社ビルの最上階行きエレベーターに乗れば
そうなのだ

いくらでも入れ替わる

あなたのその人生とは
あなたが思い込んだ通りになっている

「ユニットバスが豪華なバスルームになるのか」
と言えばそうだ
その通り

実際そこには何もなく
あなたがそのように観ようとしているだけ
その意図のみがヴィジョンを立ち上げている

最初とても素敵に感じられた物が
いまは何の魅力も放たない
そんな経験が沢山あるだろう
人であれ、出来事であれね
それはあなたが変えたのだ

 

現実が変わるとき

ある日ユニットバスの彼に
「彼なりの成功」が起こった
パノラマビューのバスを出現させた

彼は努力をして成功を掴んだら
豪華な家に住むことができる、
という観念があった
だからそういう「ストーリーが必要」だった

さあ水平線を一望するバスルームだ
そこですることと言えば

裸で、水を浴びるということ
水になるということ
その起こる関係性に溶けるということ

エゴに囚われている典型例はこうだ
「ああこの素晴らしい光景は努力の賜物だ」
「明日友人を呼ぼう、きっと驚くだろう」

あなたの意識は未来や過去に
行ったり来たりする
豪華なバスルームは
いつも未来か過去にしか存在しない

そうして素敵なバスルームが幻であることに
だんだんと気が付いてくる
気が付くというよりも
興味の対象から外れてしまう

1ヶ月もすれば
どうでも良いもの
当たり前のもの
そうなってしまう

あるのはシャワーから水を感じること
それだけだからね
彼は何の刺激も得られない
シャワーを浴びているときですら
頭の中は別のことでいっぱい

あなたを踊らせた魅力
そんなものなかったのだ
あなたが未来や過去への妄想から
勝手に創り出した幻影

そこまではいい
贅沢を創り出したのだ
素敵な物に囲まれ
それを享受すればいい
素晴らしいことだ
役目を終えたなら
そこに意識を向けなければいい
つまり無理に楽しむ必要もない

だが彼は豪華なバスルームにかけたお金に
後悔をし始める
または新しいカタログを見て
こんな新商品があるなんて
こっちにしておけば良かったなど
自ら生み出した世界にケチをつけ始める

そして成功が脅かされるとき
また豪華なバスが意識に浮上しだす
「ユニットバスに戻るなんて嫌だ」とね

あなたが「いま」に在るとき
そこにあるのは水の感触だけ
シャワーから降り出す
小さな水滴のひとつひとつ
水とひとつになる
その出来事だけだ

いいかい
あなたがどんな職業であろうと
どんな生活状況であろうと
それらはただの「服」だ

それが嫌なら
服を着替えればよろしい

 

街では服が歩いている

よくスピリチュアルで語られるだろう
なりたい自分になりきってみなさい
だがそれは50点だ
なりきるだけでは単なる思考の妄想になる
つまり未来や過去に行ったり来たり

服を着替えるということは
服を着ているのは誰か?
それを知らなければならない

その「人」に新しい服を着せてあげなさい
着せたい服を着せたことにしてみなさい

難しいことじゃない
現に今まであなたが自分にしてきたことだ
いまもそうしているのだよ
あなたのその人生、暮らし、考え方、
そういう服をあなたは着せているのだよ

服がヴィジョンだ
あなたの知覚するもの
街を歩けば多くの人々がいる
それぞれが人生という服を着ている

彼は美容師で彼女は留学生らしい
あそこのオヤジさんは板前で
あっちの若い子は学生さん

服を脱げばなにもない
つまり彼らは誰だい?
服が歩き
服が自己主張し
服が会話している

そして「それらの人々の存在がある」
という服をあなたが着ている

箱の中に箱があり
箱の外にも箱がある

だがその箱を観ている者がいる
それがあなたの「自覚」

だが自覚は対象にはならない
だから探すという性質のものではない

ただ唯一自覚が何かを自覚している
という現象を
あなたは知っている

つまり自覚されているとき自覚が起こる
人生を経験する人があなたではなく
その経験自体があなたなのだ

これが「ゼロ」だ
理解できれば無限の世界に
いつもいたことに気が付くだろう

ソウルミュージック
苦いコーヒー
冬の空

そのすべてがあなたなのだ
あなたは何でも創り出すことができる
見たら見える
聞いたら聞こえる
つまり好きなように人生を生きられるのだよ
そのためには
好きなように生きなさい
積極的に世界と戯れること
それがあなたを「知る」ということだ

常にいまに在りなさい

そして現実をリラックスできるよう努めなさい
その努力は必要だ
あなたの世界では努力というものも
作ってしまっているようだからね

努力を努力で解決できるなら努力をすればいい
だがそれはその現実を認めるためだ
認めればあなたに影響を与えない
豪華なバスルームと同じ
すべてはあなたの未来や過去への妄想から
想起されている
ただの幻だったと気付いたら
あなたはどうでも良いものとなる

豪華なバスルームでもユニットバスでも
そんなものは存在せず

あなたはただ水とひとつになる

 


Notes , , , , , ,

 

コメント投稿の注意事項

 以下をかならずお読みください。
・公序良俗に反する内容、品性に欠いた文章、その他、閲覧者に不快感を与えると判断された投稿は掲載不可の対象となりますのでご留意ください。コメント欄は常時多くの方が閲覧しておりますことをご理解の上投稿してください。
・会員記事のコメントはログインしないと表示されません。
・会員の方はユーザー名が入ってしまうので別名をこちらで申請してください。必須。
・追記などを投稿する時は自分の最初のコメントに返信してください。
・記事に無関係な投稿は禁止です。良識範囲でお願いします。
・ハンドル名が変わっても固有idに基づき本人の同一性が保たれます。
・対応の状況によりすべてのコメントに作者が返信できるものではありません。
規定の文字数に満たない短文、英文のみは表示できません。また半角記号(スペースやクエスチョンマークなどの感嘆符)は文字化けなどのエラーになりますので使用しないでください。使われる場合は全角文字でご使用ください。
・他の利用者を勧誘や扇動する行為、誤解を与える表現、卑猥な表現、犯罪行為を正当化するコメントなどは禁止です。また全体の文脈の意図を汲み取らず言葉の端や表現に用いられた構成部分だけを抜き出してその箇所のみへの質疑や意見する投稿も当事者にも他の閲覧者にとっても無益となりますので禁止です。それら意図がなくても事務局でそのように判断された場合はその箇所を修正削除させて頂いたり、または掲載不可となりますので予めご了承ください。
・同一者の投稿は1日1〜2件程度(例外を除く)に制限させていただいております。連投分は削除させていただきます(コメント欄が同一者で埋まり独占的な利用になってしまうのを防止するためであり日を跨いだ投稿も調整させていただく場合があります)
・個人情報保護法により個人情報や会員情報に関する箇所が含まれている場合は該当箇所を削除させていただきます。
・投稿内容に敏感な方も多くいらっしゃいますので、暴力的な表現など他の利用者様へ影響を与えそうな文面はお控えください。
・意図的であるなしに関わらず、文章が途中で途絶えているものは掲載不可となります。もし誤って送信された場合は早めに追記として再投稿してください。
・マナーを守らない場合は規約違反となります。また他のユーザーや当事業部、作者への中傷や毀損と思われる言動は会員規約に則り強制退会および法的措置となりますのでご注意ください。
・投稿者による有料記事の大部分に渡る引用は禁止しております。
・スパム広告対策にセキュリティを設定しております。投稿後に承認待ちと表示される場合がありますがしばらくすると表示されます。また短時間の連続投稿はスパム投稿とみなされるため承認されません。時間をおいてください。
・コメントシステムはWordpressを利用しておりますので他でWordpressアカウント(Gravatar)を設定されている場合、アイコン画像がコメント欄に表示されます。会員登録されたメールアドレスで紐づきますので、もしアイコンを表示させたくない場合はお手数ですがこちらより涅槃の書の登録メールアドレスを変更してください。

  1. より:

    この手記の「服を着替える話」と涅槃の書冒頭の「不幸という服を脱ぐんじゃなくしっかりと着るのだ」という話は矛盾してるように感じるのですがどういう事なんだろ?
    二つは違う性質の話をしてるのですかね?

    • より:

      いや、同じでした笑
      どちらも(今自分でそうであるとしている)という事を認めよという事ですね。

      勝手に質問作って勝手に自分で答えを用意している…
      私はすでに好きなように生きてるみたいですね。

      たとえ自分の外側に本当の答えなるものがあるのだと誰かに言われたとしても、私は聞きゃーしないでしょう。
      だって、自分が認めた事しか見ないでしょうから。
      自分さんはそれをずっと繰り返し伝えてたんでしょう。と勝手にそう(見ました)笑

    • 涅槃の書-自分 より:

      新さん

      よろしい。誰もが視界のなかにあるものを真実だと思っている。だがそうじゃない。視界を見ている者だけが真実なのだよ。

      職業という服を着替えるということ、つまり現実を選ぶということ、それは現実そのものに力点があるのではないということだ。大事なのは「選べているという立場」にあなたがいることだ。ならば現実は単なる作用点となる。

      またこれは不幸という服を着る話も同じ。目をそらして逃げるのではなく、己からそれを掴もうとすることで不幸そのものを支配できるようになる。

  2. より:

    自分さん
    いつもありがとうございます。助けられています。

    己から世界を掴むこと、世界に己を掴まれるのでなく。「私に選択権がある、これまでもそう、これからも」
    自分さんが紡ぐお話は今までの私の常識では考えられないことばかり。
    でも、涅槃の書を読み進めていくにあたり、自分の周りでも小さいですが、「!」と言う様なことが起こっている事に気が付き始めたのです。
    本当に小さなこと。ふーん、だから何なのって位の事です。
    頭の中の声は(そんなくだらんことはどうでもいい、ほっとけ、お前にはもっと解決しなければいけない重大事があるだろう。しっかり今を把握しろ‼︎しっかりしろよ)
    と言います。ごもっとも、全くの正論かもしれんね。

    それでも、日々起こる小さな小さな「!」の瞬間に何か妙な、言葉では何とも言えない感覚。パッと現れたんです。一瞬ですが、私という固形物が柔らかくほぐれたみたいな感じでした。これが見ている立ち位置かな?

  3. SweetMoon より:

    かなり前の記事なので、見てくださるかはわかりませんが…

    服を着せるとは具体的にどのようにするのでしょうか?
    今までの生き方(無意識状態)で服を着替えることは可能なのでしょうか?
    何かコツなどありましたらご教示いただけると幸いです。

コメント・質疑応答

  関連記事

-->