唯識(補足)

唯識では阿頼耶に信念が送られ
それが物理次元に具現化すると
説明される
しかし注意しておかなければ
ならない点がある

前回も書いたが唯識とは
ひとつのアプローチだ

阿頼耶などは意識の仕組みを
体系的に説明するためのもので
そういう機関があるわけではない

古来より「意識」を伝えるため
様々な表現がされてきた
だが「伝えようとすること」の時点で
すでに表現であり
どこまで詳細に掘り起こしても
金太郎飴の如く、
姿を変えた「意識」そのものが現れるだけだ

 

2→1=0を探る

とある宇宙理論主義では意識をいくつかの
フォーカスレベルに分けて説明する

とある伝統的な経典では意識を
父や子という概念に置き換えて説明する

共通しているのは
どの教えも「分けている」ということだ

梵我一如やアダムとイブなどもそうだが
必ず二者に割り当ててから
その一(いち)なるものへ導かせる

なぜそうするかといえば単純な理屈だ
無の世界にダイヤモンドがある
意識はそのダイヤに化けている
さあ、どうやって自らの輝きを知るのだろう

しかしこの例では「無」すら意識だ
だから「無の世界に〜」の時点で自他がある

では『ただ、ダイヤがある』というとき
ダイヤはあると言えるのかね?

もし世界に青色しかないとしよう
どうやってそれを青と呼ぶことができる?

つまり「それ」に対して「他」を作ることで
存在性が与えられるということだ
あなたの存在もそうだよ

ただし物理次元の法則は通用しない
AがBを生み出して体験するのではなく
AがBを生み出すと同時に
BがAを生み出している
つまりどちらも同じものなのだ
物事はすべて同時発生している

ある白紙の脚本に
作家がシナリオを書くとする

「男を設定しよう、職業は教授がいい」
「教授とするには生徒がいるな」

つまり教授という割り当ての為に
生徒や学校、生活が必要となる
だが教授が生徒を生み出したのではない
逆に生徒が教授を生み出したのではない
どちらも「脚本」という土台の中の話
つまり教授も生徒も、その正体は脚本なのだ

これを例に置き換えてみると
脚本が「意識」だ
つまり脚本内にでてくるすべては
意識の中にあるということ

だが教授だけがそこにいても
教授になり得ない
生徒が必要だ
これが二元論
そして脚本がトータルなものとなる

 

”現実”の裏側

あなたの後ろから
常に四方八方にビームが放たれる
あらゆるものに反射して戻ってくる

そうして五感やら思考を受け取っている
受け取るというよりも
それらを生み出している

1.水を見た

この場合「水」と
「それを知ったこと」が起きている

1.水
2.触れる
3.「ひゃー、冷たい」

この一連においては
「冷たさ」がキーだ

冷たさを知るために
その一連が起きたということ
その便宜のために
水や指がキャスティングされた

これを逆手に取ればいい
つまり「幸せ」がキーとなれば
その便宜のために
●や●が配備される、となる

言い換えればいつも幸せであることで
いくらでも「そう思わせるもの」が
想起してくるということだ

だから便宜的に用意されたもの(現実)に
縛られるというのはナンセンスなのだよ
それらには意味も力もない

通帳を見たら10円しか残金がない

そんな現実がそこに起きているとする
あなたは「これはまずい」「どうしよう」
そのように捉える

それはつまり
「焦り」や「不安」が具現化した
ではあなたに焦りや不安がなければどうだろう?
現実とは「それを見て、○○と思うこと」という
出力結果のことだ

同じようなことが起きたとしても
あなたはなんとも思っていない
現実が変わるというより
あなたが変わったのだ
その結果、現実が変わる

だが先のAやBの話のように
AをしたからBが起きたのではなく
AがあってBがある
BがあってAがある
それらは同じまま、
物理的な法則は採用されない

だがそれらの土台である意識が変容している
主演は相変わらず男性だったが
映画のタイトルがそもそも変わっている
ブルースウィリスが高校生役になっている
AやBが以前とまったく違う質になっている
それはあなたの気が付くこともなく
突然違う世界になっているのだ

つまり世界の中で願いを叶えるのではなく
世界そのものが願いとなるのだ
世界で行為するすべての事柄が「祈り」となる

だから現実で起こるすべてのことに対して
意識は一体なにを参照して
こんな「カタチ」を生み出したのだろうかと
解いてみなさい
あなたにしかわからないことだ

ここで「意識のお陰で振り回されて迷惑な話だ」とすれば
さらに迷惑なことが起こり出すから
注意が必要だよ

いわば「なぞかけ問答」のようなもの

あなたと掛けまして
野次を飛ばすおばさんと解きます
さて、その心は?

その「心」が
今回意識が差し出してきたブツとなる

 

錬金術

ビームの話に戻ろう

子犬を見る
子犬を触る
かわいいな

その一連の流れは
放たれた光を
反射して受け取ったもの
ソナーのようなものだ

見たら、見える

人生の全体験はそうして起きている
意識は光だと比喩されるがうまい表現だ

だから個が独立することは決してできない
ダイヤの話のように
それ自体が独立するとき
それは「あるといえない」ということになる
つまり個などないのだよ

さらに言えば子犬もいない
それを子犬だと思いこんでいるだけだ
子犬はあなたのイメージだ
意識が「喜び」を送り出し
それが子犬として変換された

あなたの「かわいい」が猿ならば
猿との触れ合いが起きていた

そこに漫画本があるとしよう
多くの登場人物が出てくる
幾多のストーリーが展開している
だが彼らはいないし
そんなストーリーもない
実際にあるのは紙とインクだけ

どうしてあなたは
その漫画の続きが気になるのだろう

ここがミソだよ
あなたが漫画に没頭しているとき
あなたは漫画の全登場人物だったのだ
つまりあなたは漫画の世界に入っていた
世界は漫画の中だった

そのとき、
あなたはどこにいたのだろう?

この状態をサマーディという
あなたは消え失せて
その世界だけが起きている
眠っているわけではないのに
自意識は消失していた

あなたは漫画を楽しんでいた
なぜ楽しいのかといえば
自我が消えていたからだ

そこには漫画があった
意識は「楽しむ」というものを具現化した
すると世界には
あなたの世界観のひとつ「漫画」が出現した
100%ピュアな体験が起きた
サマーディは最高度の至福に包まれる

漫画に限らず娯楽の完成度とは
どれだけ没頭できるかだ

つまりそれがポジティブであれ
ネガティブな事象であれ
あなたが没頭できれば
すべてが至福に変わるということだ
これを錬金術という

大事なポイントだよ

「意識は体験するために
それを創る」

あなたがエゴを翳してそれから逃れれば
意識はバーストエラーを起こす
そしてバグフィックスされた
より強力なプログラムを発動する
だから何であれ受け入れて味わうことだ

 

いまだけがある

全体があるから個があること
それが大前提だ
どちらも脚本上の同じものだ

脚本内では他があるからあなたがいる
ゆえに他がなければ、あなたも消える

だから関わるすべてが大事‥というよりも
あなたが存在するためには不可欠なのだよ
だがこれはエゴを推進しているのではない
いかにして意識という主体にスポットをあて
すべての起こりを「脚本」として捉えることが
できるかどうかだ

釈迦は因縁生起と題して
そのことを説いている
表面的な受け取りをすれば
因果=流れと捉えがちだが
時間は錯覚であるがゆえ
リニアな因果というものではない
縁起は平面的なマトリクスだ

だから未来も過去も
いまそこで起こるということになる
過去を思い出すとき
それはいつ起こっている?
そして未来とは
いまのあなたの行為に影響を受ける
つまり未来とはいまなのだ

すなわち未来と過去、
どちらも「いま」にあるということだよ

「この努力を続ければいずれは‥」
という時間の渦に人は溺れてしまうが
そうではない

そこで起こしている努力とやらが結果だ
つまり原因と結果はいつも同じ場所にある

 

まとめ

今回の手記をまとめてみよう

あなたの経験することは
それが「意識を解明する内容の辞書」ですら
意識だ
意識は意識を体験する

つまり水の中でアレやコレを経験するが
すべて水の中だということ
そして人生の秘密である「水」を探したところで
見つからない
なぜならば最初から水の中だからだ

次に水の中で幻想されるアレやコレ
その製作ルーチンは実にシンプルだ
例えば部屋を真っ暗にしてみなさい
闇にしてみる
目を開けても閉じても闇だ

さあ、何が浮かんでくる?
誰かを思い浮かべるかもしれない
暗闇の中で、
その人への怒りが湧いてくるかもしれない
生活の苦しみを思い出すかもしれない
恐怖かね、不安かね、それともハッピーかね
それがあなたの信念となる
その信念が”水の中”であなたが見ているものだ
その伝達が阿頼耶に届く

阿頼耶はオファーのあった製品が売り切れない限り
ラインに載せてどんどん出荷してくる

つまり苦だろうが怒りだろうが
あなたはそれを快く買い取る必要がある
受け取り拒否をすると
より大きなプレゼントに当選することになる
そういう風になっている
すべては八百長だ
あなたが優先されるように手配されている

ハッピーな人生を送るには
ただひとつだけ守ればいい

どんな類いのブツが
ロットで送りつけられようとも

幸せであること、だ
それを習慣にしなさい

この話はまた

 


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  1. 悠久 より:

    こんにちは、コメントさせて頂きます。

    僕は現在の自分の状況にとても不満を持っていたのですが、
    思い返してみると、過去に『こうだったらいいのに』と思ってたような状況そのものでした。

    まさか自分の望みが叶っていることが苦痛にまで繋がるとは思っていませんでした。

    過去にはとてつもなく欲しがっていたり、
    実現不可能だと思っていたことが
    なぜかいくつもくつも手に入ってきました。

    それらは自分にとってとても感動できるものや状況だと思っていたのに、
    大した喜びすらもなく(あえて言うなら願いがたくさん叶う不思議な感じがするくらいで)、実現したその時点で当たり前のような感覚しか味わえません。
    それどころか不満が残ることまであります。

    変わらないと思っていた状況も短期間でどんどん変わっていったりするのですが、一瞬喜びが来て、すぐに苦痛を感じます。

    今までの人生では、苦しい経験もあまりなく、ほとんど怒りを感じたことがなかったのに、最近はそれらの感情が渦巻いてます。

    どうしようもないのでしょうか。
    何かあるとすれば何ができるでしょうか。
    意識的であるようにはしてるんですが、
    体の内側から物凄い怒りの感じや性欲だったりを感じる瞬間があります。
    物に当たってしまうことまであります。

    最後に苦痛を感じた日からは、死人のように生きてる感じです。
    何かを考えたら全て苦悩に繋がる感じがしてそうするしかなかったです。
    それからは特に苦痛は感じなく、なぜかまた一つ過去の願望が叶いましたが、素晴らしいことだと思っても感動できませんでした。
    ただ、怒りなどを感じそうなため行動するのも億劫になってきました。
    それでも周りの人からは、幸せだと思われていているようです。
    もうわけがわからないです。

    長くて意味もなく伝わりにくいかもしれなかったですが、
    読んでもらえれば幸いです。
    失礼します。

    • 自分 -涅槃- より:

      悠久さん

      はじめまして

      ご存じだと思うが
      まず世界は自分で作っているということ
      それはプラモデルを構築するようなことではなく
      「現時点でのあなた」を象徴する世界観が
      そこに起きている

      ややこしいが
      あなたすら、象徴されたその自我として
      そこに起きている

      つまり、世界のすべてが虚しく
      そして怒りに溢れているのだ
      それはあなたの心だけではなく

      触れる物
      関わる人々
      時間の感覚
      街の空気

      あらゆるものが
      あなたの心と溶け合わさっている

      あなたの人生で願いが叶い続けてきたのは
      本来持っている無気力からだ

      願いが叶わない人々は
      総じて幸福なのだよ
      彼らは不幸だと思っているが
      そう思えることが
      後になって幸福だったのだと気が付く
      なぜならば行き先があるからだ

      だが多くの富豪や
      あなたのような「手にする者」は
      人生の迷子になってしまう

      ひとつ提案だが
      釈迦はあなたと同じ苦悩を持っていた
      そうして修行に出た

      最終的に
      あるものを捨てることで悟りを開いたわけだが
      あなたは同じ道を辿る必要がある

      捨てたものとは、エゴだ
      言葉にするのは簡単
      だがそれを捨てるのは
      とても難しい

      だが捨てない限り
      あなたはずっとその苦悩を繰り返すことになる
      求めるものが
      もう何もないからだよ
      そこに残るのは虚しさだけだ

      求めること自体が苦であるが
      求める人が、求めるものを失うとき
      さらに大きな苦となる

      だからその根を断ち切らなければならない
      あなたが本書にきたのは
      自分の中で何かがあったからだろう
      他にも多くのブログや書物を読んでいる
      その流れに任せていきなさい
      人生にそういう時期がきたのだよ

      いいかい、
      太古の覚者のほとんどは王族だった
      彼らを辿りなさい
      彼らが教えてくれる

      そして人生を修行してみなさい
      なかなか悪くない
      ただし、現状のなにかを
      いくつか捨てる必要があるかもしれない
      どこかに入信しろとかいう話じゃないよ
      そんなことはせず
      日常生活の中でひとりで励みなさい

      わからないことがあれば
      また訪ねてきなさい

  2. 五月雨祭 より:

    まるで懸賞応募の極意を説かれた気分がしました。
    確かに今の漫画が嫌なら忘れて別の漫画を読めばいいだけの事ですね。
    自分を起点にしてた時は確かにエゴ的に「停滞」と映っていました。
    ここに来るとかつての懐かしさとその想い出に関して方程式が示され解かれるので面白いです。
    数学的素養をスピで感じるのは新鮮ですね。
    解決や悩みについてはもうありませんが振り返りたくなったら書き込んだり閲覧するかもしれません。
    その時はよろしくお願いします。

    • 自分 -涅槃- より:

      五月雨祭さん

      人生とは恋愛や金儲けなどの
      ライフプランニングではなく
      「心と向き合うこと」だけだ

      これは誰もがそうだ
      繁華街で遊び回るギャルも
      パキスタンの少女兵士も
      みんな自分の心と向き合っている

      その自覚がないとしても
      常に向き合っているものだ

      心を向き合っていることを
      忘れないようにしなさい

      あなたの見ているすべて
      あなたの生きているすべて
      そしてあなたを包んでいるものは
      その心だ

      心の中にいつもいることを
      忘れてはならない

      いつもありがとう

  3. サボ より:

    自分さん 少々質問を

    意識が喜びを送り出し、その象徴として子犬が現れた。
    なるほどユニークなアイデアです。
    ところで私の場合、その象徴は子猫です、まあ大人猫でもいいのですが。
    さて意識が喜びの象徴として子猫を現象化します。私は喜びがあるがゆえに子猫を見ます。ここまでは自分さんのアイデア通りのセオリーです。
    ところが私は怒りや悲しみがあるときも子猫を見ます。
    なぜなら私は子猫を飼っているからです。
    私が嬉しかろうが悲しかろうが何であろうが、子猫が我が家にいるために私は常に子猫を見ます。
    自分さんのセオリーによれば、私のその時の感情により現れる動物が変わるはずですが、私の経験上そのようなことはありません。
    なぜでしょうか?

    もう一つ

    >あなたの人生で願いが叶い続けてきたのは
    本来持っている無気力からだ

    これはどういう意味でしょうか? 無気力が願いをかなえる原動力ということでしょうか?

    • 自分 -涅槃- より:

      サボさん

      あなたは話を理屈で聞いている
      ひとつ覚えておきなさい

      このブログは書かれている文字には
      何の意味もない

      他の人々のコメントを見てごらん
      彼らは文脈の隙間を感じ取っている
      いわば、それを見るがために
      毎日訪れている

      それとは己のことだ
      文脈の隙間に己をみる

      自分自身という存在の儚さ

      その不条理を知りたくて
      ここにやってきた
      つまり確認のためだ

      あなたは
      「自分さん的にはそうでしょうが私は違う」
      それを伝えに来ている

      もし私が
      「あなたが納得のいく返答」をすれば
      あなたは納得する

      だがそれは答えと言えるかね?

      あなたは納得を求めているのだよ
      あなたの納得はあなたが知っている
      つまり答えを知っているから
      質問をしているのだよ

      これは昨日と同じ話

      問いが望むものは
      問いなのだよ
      そこに気が付きなさい

      あなたは不幸ではない
      なぜならば
      自分の納得がいくものを集めれば
      納得するからだ
      違うかね?

      >無気力が願いをかなえる原動力ということでしょうか?
      これは別の方へ返答したものだが
      伝えておこう

      あなたに願望があるとする
      だがそれを諦めたときに
      気が付けばそのようになっている

      いいかい
      願望とはすでにそこにあるものだ
      だがそれを認めないから
      「得ていない」となる

      だから諦めることだ
      忘れること

      質問者の人においては
      彼の中の「無気力」が顕著に表れていた
      だからいま、無気力だけが残り
      それに苦しんでいるのだよ

      それはお金持ちによくあるパターンだ
      最初から満たされた環境で生きてきた人
      または成金出世をした人
      最初はいい
      だがすぐに飽きてくる

      もっともっとと
      新しいものを探す
      すぐに手に入る
      だがそれも飽きる

      さて、私は何のために生きているのでしょう?

      そのような自問自答が起こり出す
      なぜそれが起こるかといえば
      情熱を持ったことがないからだよ

      得るべきものが宝じゃない
      得ようとする姿勢が宝なのだよ

      また質問を待っているよ

  4. 匿名 より:

    アーラヤ放送局のテーマが「無気力」だったとして、無気力になることが次々と起こったとします。例えば、宝くじに当たったり、やたらつくしてくれる嫁さんが現れたり、気がつけば、ベランダで日向ぼっこしてる猫に囲まれていたり、涅槃の書が現れて、心の原理が分かってしまったり。でもそれだけかなぁ。もっと上位のテーマとして悟りとか創造と言うものがあるから涅槃の書が現れたりするんじゃないかな。

    • 自分 -涅槃- より:

      匿名さん

      その件に関しては
      サボさんのコメントで返しているから
      そちらをご覧なさい

      創造という意味では
      すべてがそうだよ

      いまのところ
      「阿頼耶」で止めているが
      実はまだその奥がある

      それについてはいずれ手記に綴ろう

  5. 匿名 より:

    確かに夢の中では恐怖の象徴として幽霊が出たり、学生時代以降はテストが出たり、社会人以降は上司が出てきたりしますね。
    脚本の主題が楽しいに変わると何を楽しいと認識するかによって違うが、本人にとって楽しいを象徴する出来事が起こると。
    しばらく、テストや上司が出てきても、ちゃんと受け入れて、気持ちなどをしっかり味わおうと思います。

    • 自分 -涅槃- より:

      匿名さん

      夢と現実に違いはあるかね?
      どちらも同じものではないかな

      それを一度チェックしてみなさい
      驚くべきことを知るかもしれない

  6. ボンベロ より:

    夢を見た。同じ歌が何度も色んなシーンで流れていてそれはとても心地良いものでした。
    起きる。その歌は実は隣人が歌っていたもの。心地良い眠りを邪魔されたと怒りが湧く。
    同じ歌なのにこうも受け取り方が違うものか、と。
    コレがフィルターなのかなと。

    • 自分 -涅槃- より:

      ボンベロさん

      良い体験だね
      それは起こるべくして起こった
      あなたがそれに気が付くよう
      あなたがそれを用意したのだよ

      そうした、少し遠回し的な
      シンクロニシティはよく起こる

      シナリオはあなたが書いているから
      起こて当然なのだよ

      その事象の内容もそうだが
      なぜそのようなことが実際に起きたのか
      そこもチェックしてみなさい

      あらゆるタイミングが
      絶妙に絡み合っていることに気が付くだろう

  7. サボ より:

    自分さん ありがとうございます

    >いいかい
    願望とはすでにそこにあるものだ
    だがそれを認めないから
    「得ていない」となる

    ここのところをもう少し説明してもらえますか

    • 自分 -涅槃- より:

      サボさん

      簡単なことだよ
      例えば本を読んでいるとき
      あなたはその内容に夢中になる
      だがそこにあるのは紙とインクだけ

      どこに内容があるのだろうか
      それを持ってこいと言われても不可能だ

      これと同じことを人類はその暮らしの中で
      やっている
      つまり夢の中に生きている

      でね、皆の夢とは
      高級車が欲しい、大金持ちになりたい
      素晴らしい異性と知り合いたい、安定したい
      とまあそんなことが多いのだけども

      それらはいつもそこにあるのだよ
      紙とインクのように
      いつも目の前にある

      だが本の内容という夢を見ているから
      願望として浮かぶものの、
      どこか遠いものと感じてしまう
      実際はすぐそこにあるのだ

      あなたが夢から覚めたとき
      自他の分離が消える

      簡単にいえば
      地球があなたの家となる

      すべてあなたのものなのだよ

      そういう話だ

  8. サボ より:

    >あなたが夢から覚めたとき
    自他の分離が消える
    簡単にいえば
    地球があなたの家となる
    すべてあなたのものなのだよ
    そういう話だ

    うーむ なんというか 観念的な話ですね。
    要するに悟ればなんとかなるということでしょうか
    ただこの身体で表象されるところの私には関係のないことですね。私(個体としての)には金はないが世界にはあるということで。
    もう少し実用的な話はありませんか? こうすれば(自分さんは因果がないと言われるので言葉の綾ですが)願望が叶うというような話は。
    つまり結果を出せる(これも言葉のあやです)話です。

    • 自分 -涅槃- より:

      サボさん

      >うーむ なんというか 観念的な話ですね。
      その通り

      あなたのその話ですら観念だ
      すべて観念の重なり合いとなる

      あなたの「実用」については
      私は知らない
      それはあなたの観念だろう?

      私がここで書いているのは
      観念を観念だと気が付くためのものだよ

コメント・質疑応答

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