幸せを維持し苦悩を消滅させる法

世界に不幸が刻まれるとき
典型的なパターンがある

それは「Why」だ
すべての不幸は「なぜ?」から始まる

「なぜあの人はあんなのだろう?」
「なぜこんなことになったのだろう?」

船首に「ネガティブツアー」と
大きく描かれたその船は
過去や未来へと旅をする
気付いたときには
すでに航海の真っ只中だ

それは壮大な冒険となる
あなたが80歳まで生きるとするならば
その冒険の期間は最長で80年だ

あなたが「いま」に留まれない原因は
この無駄な浪費ツアーのせいだよ

数えてみなさい
一日に何度「なぜ?」を
起こしているのかを

疑問が起こるとき
すでにあなたは乗船ゲートを通過している
チケットを受け取っていたのは
制帽と白い手袋をした顔のない男
名札にはMr.マインドと書かれている

あなたはもう母なる大地にいない
ゆらゆらと落ち着かない海上にいる
豪華絢爛だった客室の照明が突然消え
漆黒の海から闇が迫ってくる
そして船内放送

「”すべて”の最も反対側、
つまり地獄へようこそ」

 

幻想と妄想の違い

現実は幻想であるが
勘違いしてはいけない
現実は現実だ
あなたがいるのは
「現実という幻想」が舞台の次元

幻想という夢を見始めたのではなく
最初から最後まで夢の中だ
棒で頭を殴って痛いのも幻想
あなたが体験するすべてが幻想

だから「幻想じゃない状態」が
あるのではない
それを間違えないようにしなさい
“人間”としてはその幻想世界がすべてだ

阿頼耶が起こす幻想は
あるがままの姿だ
無記性ゆえに
それを楽しむこともできるし
それを悲しむこともできる

だがエゴ発の妄想は苦しみしかない

ありもしない他者がいて
ありもしない展開が起こる
期待と失望が延々と繰り返される波の上

マインドの白い手袋の中で
どこまで進めても
腑に落ちないゲームに参加させられる

人生に様々な疑問が湧き起こる
その芽が育つとき
「答えや解決があるはず」という
期待の果実がぶら下がる

期待通りの結果が得られないとき
満たされない気分になる
それが惨めさや理不尽、憎悪、絶望など
あらゆる不幸へと繋がっていく

仮に期待通りの結果が起きたとしても
それは何かね─?
あなたは用意されたものに
反応しているだけなのだ

その果実を一度でも食べたら最後、
あなたはエデンから追放される

つまり果実を配る看守を待ちわびて
いつも口を空けている囚人となる

「ああ、うまいうまい」
「今日はくれないのかな」
「私にどうしろっていうんですか!」

よろしい

 

なぜ?というバグ

もう少し理解を深めてみよう

あなたが疑問を捨てるとき
一切の期待は消滅する
希望が消滅するとき
絶望も消滅するのだよ

釈迦はこのように説いた
「此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」

此とは煩悩であり、彼とは苦悩のこと

システムとしては単純なものだ
つまり疑問を持たないこと
「Why」に触れないということだ

何かが起こる度に
あなたは「なぜ?」を抱いてきた

・1
窓口の銀行員の女性の態度が変だ
「なぜ?」
私を馬鹿にしているのだろうか?
通帳にお金が入っていないから?
単に体調が悪いだけかもしれない
もしかして私の態度が良くないのかな

・2
車が猛スピードで割り込んできた
「なぜ?」
危ないなあ、周りのこと考えてないのかよ
もしかして私を煽ってる?
でも変なやつだったら怖いなあ
こんな目に遭った私を周囲は笑っているかも

このように「なぜ」は
エゴの都合の中で解釈を探し求める
そうして迷路にはまる
エゴが手にしたいのは
エゴが用意するもの

「ねえ、どっちの服がいい?」
「ああ、右‥かな?」
「ええ〜 私左がいいな、左にしよ」

あなたが何かを質問をするとき
最初から答えを知っているのだ
答えを知らずに、質問することはできない
答えとはエゴの”納得”のこと
この意味をよく考えてみなさい

答えを求める質問とは愚問なのだよ
そこに「ただそれがある」
その事実が見えていない

銀行員の女性

ただそれがそこにある
阿頼耶が体験したのはそれらであり
それらを見て湧き起こった妄想など想定外
保証外ということ

つまり事実の反対側に
監獄クルーズ船が今日も停泊中だ

 

ラビリンス

阿頼耶が紡ぎ出す幻想の素材は
体験の中で生まれた感情
つまりダイナモのようなものだ
走って蓄電、
エコロジーなサイクルを続けている

体験してゼロ
体験してゼロ
その繰り返し

さてここで厄介なことがある
「迷い」はゼロに帰すことができないのだ

迷いとは
阿頼耶が作り出したものではなく
あなたのマインドが作り出した妄想

消化できる質のネガティブならばいいが
「迷い」はそういうものではない
迷いを消化しようと
迷えば迷うほど
迷宮は巨大化していく

態度の悪い銀行員に
「なぜ??なぜ??」
そう続ける限り泥沼だ
未処理のバーストエラーがそのまま
阿頼耶に残るようになる

実のところ
数万年前からあなたのレコードは
エラーが山のように蓄積されている
だから世界は不条理なのだよ

このカルマをどうにかしたいところだが
迷宮に飛び込む真似はしてはいけない

迷いが起これば
あなたは迷うことになる
だが迷いは迷いを生み出す
怒りや悲しみのような
シンプルなものとは質が異なり
迷いのループでは
それを体験することで
さらなる迷いを生むことになる

解決を得たところで
それは単なる反応
エサを待ってる池の鯉
マインドの白い手袋の中だ

だから悟りやら教えがあるのだよ
悟りとは迷路攻略法のようなものだ

人類は囚人クルーズでの船旅を
ずっとやってきた
未だに無間地獄という面倒に陥っている

釈迦は難攻不落の迷宮を大股で跨いで超えた

ゴール(答えや解決)を目指して
迷宮を探索することは「迷子」を意味する

そうならないためには
迷いは妄想であるということ
迷いなど起きていないということ
つまり「なぜ?」が起こしてくるものは
それ自体が妄想だということを
見破ることだ

人生ではあなたに様々な難問が降りかかるが
決して「なぜ?」を持ち込まないことだ
見た通りがすべて
感じた通りがすべて
そのように心のあり方を変えることで
あなたの人生から不幸が消えていく

柔道の体捌きのように
どこに流れても適応する水のように
そのようにありなさい

 

幸せを維持する方法

実はここからが本題だ
長くなってきたから簡単にまとめよう

迷いのループは「なぜ?」から
起こると書いた
それを逆利用する

幸せなときに「なぜ?」を使うのだよ
人は幸せなときにその理由を探さない
これが終わったらどうしよう、と考えるのは
すでに不幸に足を突っ込んでいる

そうではなく
何もなく気楽な状態
そんなときにあなたは
「なぜ私はこんなに気楽なのだろう」とやらない

それはそうだ
幸せとは疑問が消えているときに
姿を現すものだからだ

雲が去ると太陽が見える
それと同じ

つまり逆説となる
一見、筋の通っていないメソッドだ
本来それは「なぜ?」のないところにあるもの

だが一度試してみるといい
「なぜ私はこんなに幸せなのだろう?」

どうかね
視界は明るくなったかな?

 

最後に

動物や植物、虫たちは不幸にならない
人間だけが不幸になる
それは「なぜ」を使うからだ

あなたが不幸体質なのは
なぜを連発するからだよ

なぜは否定から、比較、劣等感を生み出す
するとあなたの世界は不幸に染まる

エゴの生み出すものは
阿頼耶の想定外
パークエリアの外だ
だからいつものように
スタッフが保護してくれない

だが「思い」だけはビンビン送られるから
迷宮で理不尽な思いをするほど
迷宮は大きくなり
さらに理不尽を感じさせるイベントを
阿頼耶は作り出す

つまり非常にヘヴィな展開となる

料理で使う包丁があるが
それを自分の胸に突き刺すことも可能だ
包丁という便利なもの
料理という楽しみを与えてくれたのは
阿頼耶だが
それを胸に突き刺すのはエゴの仕業だ
そんなこと阿頼耶は望んでいない

だがあなたが
「死にたい、苦しい」と
思いを送るたびに
その思いを強化する現実が起こり出す
つまり包丁の隣りに
もっと鋭利なナイフを発見する

阿頼耶には悪意はない
あなたが”そう思った”から
アラジンのランプの如く
それを用意しただけのこと

すべてはあなたが作り出しているのだよ

ならば、なんで料理ってこんなに楽しいの?
という「なぜ?」を使って
幸せの迷宮で遊んでみてはいかがかな?

しばらく出られないから
覚悟しておきなさい

 

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コメント・質疑応答

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  1. サボ より:

    >だがあなたが
    「死にたい、苦しい」と
    思いを送るたびに
    その思いを強化する現実が起こり出す

    つまり次の現実は、以前の現実のリアクションということですか?
    思いが、つまり思考が意識の出力を促すのですか?
    仮にそうだとすれば、つらいと思っている現実に対してやせ我慢で「幸せだ」とリアクションすることは有効ですか?

    • 自分 -涅槃- より:

      サボさん

      あなたは最高の教師となる

      あなたのコメントに答えよう
      まず、あなたの見解には時間というものが前提となっている
      こうすれば、ああなる、だ
      つまり因果の法

      それを前提としてあなたは考えている
      前提とする、それは観念に囚われているということだよ

      すべてはゼロの地点にある
      つまり、
      見たら見える、だ

      あなたは「見たから見える」と捉える
      そうではなく
      「見たら見える」のだよ

      この違いを熟考してみなさい

      因果はない
      因と果は同じものだ

      最近の科学では量子力学として
      それが徐々にわかってきた

      とある結果があり
      その原因を探る
      だが原因は結果なのだ

      だからいくら掘り起こしても
      結果しか出てこない

      原因は?
      物理の原則に囚われた科学者たちは
      不思議で仕方がない

      彼らの理解を超えているからだ

      結果があるなら原因があるはず
      それが彼らの前提だ

      だが森羅万象とは
      常に出力されたものだ

      どれだけ細かく分析したところで
      すべて出力されたもの
      つまり結果の世界

      あなたが仮に何かを目指している人生だとしよう
      あなたは将来のゴールを目指す
      だがそのゴールを目指していることがゴールなのだよ

  2. きき より:

    こんにちは。
     
    今ちょうど、なぜいつも私はこんな目にあうのか教えてください
    と質問したかったのです。
    そして手記にある通りもうこんな世界終わりにしたいさよならしたい
    思ってました。
    年末一度コメントしたことがあるのですが、
    それから光が見えた気がして、
    変わろう変わりたい!!と
    殆ど毎日手記に救いを求めて生きてた気がします。
    なのに今日また一番見たくない現実を見せられました。
    いつもこのパターンなんです。
    大事なものはいつも奪われてしまいます。
    これも自分が決めてるんですね。

    いつもありがとうございます。
    いつもここにくるとほっとします。

    • 自分 -涅槃- より:

      ききさん

      こんにちは

      間違えてはいけないよ
      私は私のためにやっている
      私は自分の世界のためにやっている
      だから何の苦もない

      私は誰かの為にやっているなんて
      そんな嘘っぱちのダンスは踊らない

      本書は全て私に向けて書いている

      ここに訪れる彼らは各々の世界で
      私という壁の落書きが見えているのだろう

      だが私の世界は
      彼らが私自身なのだよ

      あなたもそこに気が付きなさい
      誰かの為に生きるのではなく
      自分の為に生きなさい
      そうしてその世界に光を灯しなさい

    • きき より:

      ご返信ありがとうございます。
      >誰かの為に生きるのではなく
      自分の為に生きなさい

      これは自分のやりたいことをして、
      自分に心地いいことだけしかしないのもいいのでしょうか?

      少し前から自分を大事にしようと決めて、
      実行してみたら
      人間関係が最悪になったようにみえますが
      これは何かがまちがってますか?
      やりたいことはできるだけして
      嫌な人からは逃げてる状態です

      それとも心の前提がまちがってるのでしょうか?

    • 自分 -涅槃- より:

      ききさん

      >自分に心地いいことだけしかしないのもいいのでしょうか?

      それは多くの人が陥る思考だ

      よく理解できるよう
      熟考しなさい
      大事なところだよ

      人は自分を優先することに罪悪感を感じだす

      今回のあなたにおいて言えば
      「自分の為に生きる」ということに対して
      エゴが炸裂している
      どこかに後ろめたさもある

      それはなぜか
      自他を分けているからだよ

      自分を大事にするということを
      エゴの保身として受け取ったらだめだ
      それでは何も変わらない

      そうではなく
      すべてがあなたなのだ

      あなたの動きで
      すべてが連動する
      それを意識してみなさい

      あなたが最高ならば
      すべては最高になる

      だが、
      自分だけが最高になるというのではない
      自分のために最高になるのだよ

      これもエゴがある限り理解が難しいだろうがね、

      キレイと言われるようになるのではなく
      あなたがキレイになるのだよ

      やっていることは同じに見えても
      その質はまるで違う

      世界の中であなたが変わるのか
      それとも
      あなたという世界が変わるのか、の違いだ

  3. より:

    自分さん

    こんばんは。
    お世話になります。

    マインドの外にでよ!と教えていただき、
    できるだけ意識的に日々を送るようになってきていろんな事が流れるようになってきました。ありがとうございます。

    で最近、家族に、仕事でも下手したら命に関わるような事が起きました。
    ところが、私はほとんど動揺することなく
    起きたんだな。と淡々としてました。
    そんな自分に驚き、何でだろ?と不思議に思っています。
    両方とも大事に至らず胸をなで下ろすところですが、そんな感じでもないんです。
    とりとめもなくすみません。
    近況でした。

    • 自分 -涅槃- より:

      秀さん

      こんばんは

      「命に関わるようなこと」
      それは誰がそのように解釈したのだろう
      これを探ってみなさい

      あなたはいずれ
      完全に目覚めるだろう
      家族も仕事も
      そのすべてが
      それが自分だったとわかるときがくる

      本や言葉での理解は超える
      本当の意味で
      すべてが自分だったということがわかるとき
      あなたは衝撃を受けるだろう
      笑うかもしれないし
      泣き叫ぶかもしれない

      世界に謙虚であることを忘れないようにしなさい
      あと少しだ

    • より:

      自分さん

      返信ありがとうございます。

      探ってみます。
      また、「世界に対して謙虚である事を忘れない」を思い出させて下さり、と同時に感謝の中にいます。

    • 自分 -涅槃- より:

      秀さん

      世界に対して謙虚であるということは
      自分に対して謙虚であるということだ

      あなたは自分を利用したりはしない
      あなたは自分に暴言を吐いたりはしない

      だが他人にそれをしたことがあるかもしれない
      自分にはしない
      それはなぜか

      世界を自分自身と触れ合っているように
      関わってみなさい

    • より:

      自分さん

      こんばんは
      探ってみました。
      それは、やはりエゴでありマインドでした。レッテル貼りを無意識にしていました。
      また、「世界を自分自身に触れあうように」と教えていただき、「すべてが自分」がグッと近くに感じられます。

    • 自分 -涅槃- より:

      秀さん

      「意識」とは振り子のようなものだ

      「自分」側に来ているか
      「世界」側に来ているか

      そのバランス

      世界の側にあれば
      あなたは何をしていても疲れない

      人が疲れたと感じているとき
      それはマインドが疲労しているだけで
      肉体はそのヘヴィを感じていない

      本当の肉体の「疲れ」とは
      とてつもない快感を伴っているのだよ

      仕事でも用事でも
      面倒だな、嫌になってきたな、
      そう感じているときは
      「自分」の側に意識が来ているということだ

      世界にリリースしなさい
      あなたはエゴを捨て
      肉体が世界に戻ることができる

      あとは
      肉体やら物事やらが
      自然現象として変化する様を
      楽しむだけだよ

  4. ぞん より:

    いつも拝見させていただいてます。
    読者を『ひとつ』のことへ導くために無限のごとき表現を駆使する姿に感服いたしております。

    >人間だけが不幸になる
    それは「なぜ」を使うからだ

    では、「なぜ」という疑問から生まれ、始まる『哲学』に取り組むことは不幸への一本道なんでしょうね。

    真理があると信じて進む一本道、『ここ』から離れて進もうとする限り引き裂かれ苦しむ。

    引き裂かれた後、自分は『ここ』にしか居られず自分は引き裂かれることはないことを思い出す。

    そんなことを繰り返す日々をすごしています(笑)

    • 自分 -涅槃- より:

      ぞんさん

      はじめまして

      ききさんという方にコメントをしたが
      そちらを読んでみてほしい

      さて、あなたにとって
      「あなた」とは何だろう?

      それを聞かせてもらえないかね?

    • ぞん より:

      自分さん

      返信ありがとうございます。

      >さて、あなたにとって
      「あなた」とは何だろう?

      この問いの一撃を喰らい、私の中でこの問いが渦を巻いています。

      私にとって「私」とは何だろう?

      どんなに深く探し回っても「私」しか発見できないのに、
      「私」以外が私の世界に存在すると勘違いすることができるもの

      それが「私」だと思っています。

    • 自分 -涅槃- より:

      ぞんさん

      この問いに関しては
      それぞれの表現の仕方があるので
      言葉をそのまま鵜呑みにせずに
      読みなさい

      まず、自分の中で自分を探しても
      自分は見つからない
      あなたは私しか発見できないというが
      それはエゴのことだ
      そのエゴは本当にあなたかね?

      あなたは生まれてから名前が与えられた
      それは後で付けられたものだ
      だから外してみよう

      名無しさんのあなたがいる

      では性別を外してみよう
      なぜならば、性別はあなたではないからだ
      男性はいくらでもいるし
      女性もいくらでもいる

      たとえば
      「私は男だ」その表現は
      単に物的な特長を指しているだけであり
      自分が何者であるか、を言っているのではない
      私は髪だ
      私は心臓だ
      そういうのはおかしいね

      さらにその体は
      あなたの親から生まれてきたものだ

      あなたは「私は父と母だ」とはいわない
      なぜいわないのだろう?
      肉体とは違うところに
      「自分」を感じているからだ

      つまり性別も肉体も
      それはあなたではない

      次に思考、
      あなたは色々、「自分の考え方」を持っているね?
      友人や家族と話をしても
      自分の意見を述べることができる

      あなたはそうして、
      私の「考え方」としてきた
      それがアイデンティティを形成してきた

      だがよく考えてみなさい
      それは本当にあなたの考え方なのかね?

      どこかで聞いた話、
      どこかで読んだ話、
      体験から覚えた話、

      すべて外から入ってきたものだ

      最近何かの手記でも書いたがね、
      私は自分が話をしているのではなく
      ストックされた知識や体験が
      流れ出ていくのを見ているだけだ

      どこかの高名な教授が素晴らしい話をしたら
      それは教授が素晴らしいのではなく
      その知識が教授を通じて出てきているに過ぎない

      つまり思考や、何かに対してする感情的な反応、
      それらもすべて、外側から備えられたものだとわかる

      つまり何もかもが、外側だ
      さあ、どうしようか

      どこをどう見ても「あなた」がいない
      全部、借り物をまとっただけの空洞だ

      その借り物があなたという影を作っている
      つまり、あなたはおらず
      あなたが自分だと思い込んでいるその正体とは

      世界なのだよ

      あなた以外があなたなのだ
      そしてあなたはいない

      つまりすべてが「あなた」なのだ

    • ぞん より:

      >どこをどう見ても「あなた」がいない
      全部、借り物をまとっただけの空洞だ

      生まれてこのかた、いいえ、
      生まれる前から私とは空洞であった。
      生まれ来る私(と言われるもの)を見ている空洞。

      その空洞であることにに気づいたのに、借り物の世界へあっという間に埋没してしまう。

      借り物の世界への対応を難しく感じる日々。

      「空洞であることにに気づいた」とわかった気になっているだけなのだろうか?

      「借り物の世界へ対応しなくちゃいけない」を手放そうか?

      決着はなかなか着きませんね。

    • 自分 -涅槃- より:

      ぞんさん

      あなたが最も恐れて
      危険だと思う方向に真実がある

      マインドを超えるとは
      マインドが気絶してしまうような世界に
      踏み入れるということになる

      これは人によるが、
      多大なダメージを負う
      無論、ダメージを負うのはマインドだがね

      マインドど同化している以上
      それは避けられない

      だからそのショックを軽減する措置が
      あった方が良い

      そのためにどうにか連載をしている

      だが大切なのは
      日々幸せだったことに気が付くことなのだよ

      悟りや超越などは目指すものでもない

      これからも色々と迷いが起こるだろう
      だが自分の存在を忘れないようにしなさい

      あなたが「存在」しているとき、
      世界はそこにあったのだとわかる

  5. サボ より:

    自分さん

    >すべてはゼロの地点にある
    つまり、
    見たら見える、だ
    あなたは「見たから見える」と捉える
    そうではなく
    「見たら見える」のだよ
    この違いを熟考してみなさい

    おそらくは、私の前提は、対象が先にあり、その対象を確認するがゆえにその対象が見える。
    自分さんの言われていることは、自分が能動的に対象を見た場合(ここでの能動的とは決め打ち程度の意味です)その対象が見える。
    こんなとこでしょうか?

    もし仮にそうだとすれば、私の意思、あるいは思い込みで対象を自在に見ることができるということでしょうか?

    「見たら」に選択権がないならば、内容的には対象が先に客観的にあることと何ら変わりはないからです。
    いわば言葉にマジックにすぎませんから。

    • 自分 -涅槃- より:

      サボさん

      >私の前提は、対象が先にあり、その対象を〜自分さんの言われていることは、

      その「自分さんの言われていることは」ですら
      あなたの前提だ
      まるで違うよ

      あなたは野球をしている
      で、野球という観念の中でしか
      ボールの扱い方ができない
      つまり、そういう発想しか浮かべることができない
      これは多くの人がそうだ

      私があなたの未知である「サッカー」を伝えたとしよう

      ボールを蹴る?
      なんですか、それ
      となる

      ああ、つまり蹴ってホームランを狙うということですね、
      それがあなたの「自分さんはこう言っている」だ

      だからまずは野球の卓上にいるということを
      あなたは悟らなければならない

      だから「思い込みで自在に見ることができるのか」という
      見解は違う
      私はそんなことを伝えているのではない

      右を見なさい
      すると右が見えるだろう

      あなたは右を見るための動作が前提にある
      右という対象が前提にある
      これこれこうだから、こうなった、
      それがあなたのルールだ

      いいかい
      ただ純粋に「右の景色」が起こったのだ
      あなたが何かをしたからではない

      指よ動けと念じてみなさい
      動かない

      だが実際に指が動くとき
      あなたは、ただいつも見ていただけなのだと
      気が付くだろう

  6. サボ より:

    >いいかい
    ただ純粋に「右の景色」が起こったのだ
    あなたが何かをしたからではない

    >だが実際に指が動くとき
    あなたは、ただいつも見ていただけなのだと
    気が付くだろう

    これらの話と現実をよくする話はどう繋がるのでしょうか?

    • 自分 -涅槃- より:

      サボさん

      「ああ、成るように成っているしかないのか」
      そう捉えるのと
      「そうか、成るように成っているだけなんだ」
      そう捉えることの違いだよ

      あなたは常に
      世界という瞬間を感じ取っている
      その入れ替わる紙芝居のようなシーンに
      途方もない絶望を頂くのか
      それとも
      それを楽しむのか、その違いだよ

      体の動きも
      社会の出来事も
      すべて勝手に動いている

      あなたは
      なにひとつ制御していなかったことに
      気が付くことだ

      だから「現実を良くする」のではなく
      あなたが良いように見れば良いだけのことだよ

  7. サボ より:

    >あなたが良いように見れば良いだけのことだよ

    自分さん これはいわゆるプラス思考の事ですか?

    • 自分 -涅槃- より:

      サボさん

      少し書いておこう

      あなたはずっと植え付けてきた常識を
      捨てなければならない
      たぶん何をここで尋ねようが
      私の話はまるで納得ができないだろう

      なぜかわかるかね?
      納得しようとすることがマインドの罠だからだよ

      事象が事象としてそこにある
      そのことをただ受け取って生きていくことを
      悟りやら気付きやら、
      まあそういう名称がつけられている

      あなたが人生に苦を感じていて、
      そこから脱したいならば
      日頃あなたが聞いてくるような
      「どうすればこうなれるのか」
      そういう目的を捨てなければならない
      つまり納得を求めることをやめなければならない

      本書はそのことだけを書いている

      だがあなたは自分の観念に沿った読み方をしている
      だからあなたの観念としての
      あなたの質問は確かにそうなるのだろう

      私はその質問の意図がわかるから
      それについては答えない
      というよりも答えようがない

      あなたは最初からその位置にいるから
      自分が何が違っているのかまるでわからない

      悟りに到達するには段階がある
      まず理屈として知ること
      次に体験として知ること
      そしてそれをごく当たり前の事実として
      受けいれ”られている”ことだ

      多くの人は理屈、
      つまり知識としては得ることができる
      だがそれは自分の観念に沿った上での理解だ

      だから現実は何も変わらない
      そのままだ
      つまり心は同じままだということ

      あなたが進むべき方向は
      あなたにとって最も恐怖に溢れている場所だ
      当然そうなる

      それを超えなければならない

      あなたがコメントでどれだけ個人的な知識を述べても
      その壁を越えない限り
      「個人的な知識」の中に収まっている

      あなたがそうであるゆえ
      私へもそのように感じているはずだ
      「彼は個人的な知識を述べているに過ぎない」とね

      観念とは
      すべての基準を設定してしまう
      だから、
      「あなたがそうならば、そうなのだ」と
      本書はいつも書いているのだよ

      いいかい
      「こうなるには、こうすればいいのですか?」
      その図式を捨てなさい

      あなたがそうであれば
      そうなのだ

      そして
      その問いがそこにあるとき
      そこにあるのは問いだけだよ

      あなたにはいつも伝えているが
      どれだけ質問をしてこようが
      その答えはあなたしか知らない
      あなたが自分で用意した、
      自分の納得だけを求めているのだから

      希に世界はそれを落とすときがある
      あなたの「納得」をね

      だがそれを今後も求める限り
      あなたは口を空けてエサを待つ鯉と変わらない

      さあこれからもここで「質問」をするかね?

  8. サボ より:

    自分さん まだよくわからないので質問させてください。
    鯉レベルと言われようが致し方ありません。

    さて

    >あなたが人生に苦を感じていて、
    そこから脱したいならば
    日頃あなたが聞いてくるような
    「どうすればこうなれるのか」
    そういう目的を捨てなければならない
    つまり納得を求めることをやめなければならない

    それはなぜですか? 

    • 自分 -涅槃- より:

      サボさん

      どんどん質問してきていいんだよ

      大事なポイントは
      いまの現状を変えようとせずに
      あなたが幸せになることだ

      何も手にせず
      何も達成せず

      あなたが幸福になるには
      どうすればいい?

      これが返答だ

  9. サボ より:

    >何も手にせず
    何も達成せず
    あなたが幸福になるには
    どうすればいい?
    これが返答だ

    価値観を変えるでしょうか?
    ただしそこまで行き着くには自分を誤魔化すしかないような気がします

    • 自分 -涅槃- より:

      サボさん

      思考をやめるだけだよ
      難しいことじゃない
      思考を「止める」ではないから
      間違えてはならないよ

      思考をやめる、だ

      例えば

      息を止めてみる
      体の隅々まで意識してみる
      心臓の音を聴き続ける
      体の重さを感じ続ける
      その周囲の音や光に包まれる

      こういう肉体的なやり方で
      「いま」に入ることが簡単だ

      そうして「いま」に意識が留まるとき
      すべての物事が
      単なる「色」だったことがわかる

      もちろん最初のうちは
      ふとした思考の動きに
      意識は外れてしまう

      だから何度も繰り返して
      習慣づける必要がある

      そうしているうちに

      なんだ、すべて諦めていいのだ
      最初から全部あるじゃないか、
      その意味が体感としてわかるようになる

      だから「行き着く」とか
      価値観を変えるとか、
      それらをする限り
      あなたは同じ迷路をぐるぐる廻ることになる

  10. 悠久 より:

    こんにちは、唯識ではコメントありがとうございました。

    できる限り自分に意識を持とうとしてきたのですが、
    わずかな感情の変化も感じられるようになってきました。

    少し口角を上げて笑顔に近づけるだけでも幸福感のような感覚を得られるようになってきました。

    ただ、いやな気分でいたときはもう何も考えたくなくて
    意識的でいる意欲が持てたのですが、
    時間が経つにつれて気分も良くなり妄想をよくしてしまうようになってしまいました。

    今への意識を永続させるようなことはできるのでしょうか。

    • 自分 -涅槃- より:

      悠久さん

      こんにちは

      「いま」の境地とは
      本来の場所のことだ

      だから
      あなたはわざわざ
      別のことをしているに過ぎない

      それをやめるだけだよ

      だが最初は難しい
      なぜならば思考でそれをやろうとするからだ
      思考自体がその「別のこと」ゆえ
      考えている以上、本来の状態にはならない

      そこで瞑想がある
      いわばリラックスのテクニックだ

      リラックスとは
      思考から離れるということ

      あなたは最近
      ああ、気持ちいいな、と
      肉体で感じた何かがあったかね?

      何でもいい

      マッサージでもいいし
      入浴でもいい
      セックスでもいい

      体が感じていることとは
      絶対的に「いま」なのだよ

      あなたがこれを読みながら
      いまそこで体が感じていること
      それも「いま」だけのスペシャルだ

      だが思考の快楽は違う
      「ゆくゆくはあれを手にして‥」とか
      「あの頃は良かったな‥」など
      常に未来や過去だ

      すれ違った異性の視線に興奮しても
      それも過去だ
      「いま」ではない

      これをヒントにしなさい

  11. せいじ より:

    すげー!

    生きてるoshoだ!

    ずっと鳥肌立てながら読ませていただきました。
    サボさんにも感謝です。俺も鯉だから。

    >何も手にせず
    何も達成せず
    あなたが幸福になるには

     自分を愛せるようになることかなぁ。。そのまんまの自分。

    >あなたが進むべき方向は
    あなたにとって最も恐怖に溢れている場所だ
    当然そうなる

    これはなぜそうなるの??
    横からすみません。

    • 自分 -涅槃- より:

      せいじさん

      >最も恐怖に溢れている場所

      あなたは人生がうまく進むように
      頑張って生きてきた
      成功するように
      幸せになれるように
      その努力をしてきた

      アルバイトひとつでもそうだろう
      働くのは楽しくないが
      お金がほしい
      そのお金で何かを買うんだ
      そのように生きてきた

      いま家庭を持っているならば
      家族の安定、幸せ、将来
      それらを築くために頑張っている
      毎日会社に行くのは辛いが
      支払いがある
      養育がある
      世間体もある

      あなたが最も恐れるものとは
      そうした自分の暮らしを脅かされることだ

      あなたが不幸に感じるときのパターンもある

      頑張っているのにそれが報われないとき
      いますぐ支払いが必要なのに
      仕事が見つからないとき

      正直にやっているのに
      正直ではない人たちと関わったとき
      自分のことを馬鹿にされたとき

      つまり理不尽や悩み
      焦り、不安

      それらは
      あなたの意思とは無関係に
      「あなた」が傷付いたときに起こる

      さて、ここで問答だ

      あなたが幸せになるには
      どうすればいいかと聞けばこう言うだろう

      頑張ること
      努力すること
      目標を達成すること
      成功すること
      得ること
      失わないこと
      良いことが起こること
      悪いことが起こらないこと

      だがそれらを維持するのは
      辛くないかね?

      頑張り続けることはできる
      それは素晴らしいことだ
      だが今回の話の趣旨はそれとは違う

      先にも書いたように
      あなたの意思とは無関係に
      出来事は起こる

      人々はそうして不幸になっていく
      「なんで自分だけが」
      「すべて失ってしまった、もうだめだ」

      本人の責任もあっただろう
      だがその無責任だった出来事すら
      起きた出来事なのだ
      さあどこに怒りを向けようか

      どうにか立ち直ってもまた突然の出来事で
      あなたは不幸になる
      幸せを求めて不幸になる
      不幸だから幸せを求める

      覚えておきなさい
      このループをサムサーラ(輪廻)という
      カルマともいうし
      地獄ともいう

      サムサーラから抜けることが
      解脱となる

      抜ける方法はたたひとつ

      求めないことだ

      あなたは幸せを求めてきた
      ゆえに不幸が付きまとう
      それらはコインの表と裏

      だから幸せを捨てるということ
      家庭を持っていても
      自分のアイデンティティがあっても
      そこに意識を向けないということだよ

      だが長い間マインドの檻にいたあなたには
      とんでもない話となる

      じゃあ家庭を捨てて
      ホームレスになれということか!
      そう受け取るかもしれない

      現に悟りの修行僧はヒッピーが多い
      彼らはまったく勘違いだ

      家庭を捨ててヒッピーになるということ自体が
      発想なのだよ

      それすらも捨てる
      つまり自らが湧き起こす観念を崩壊させる
      すべて崩壊させる

      さて、コインは破壊された
      表もなければ裏もない

      何が残ったのだろう?
      それはあなたが知ることだ

    • せいじ より:

      返信ありがとうございます。

      例えば、ハラスメント的な上司がいるとき、、

      自分さんのように、多額の債務を抱え、奇病に苦しんでいるときでも良いです

      その現実は、とてもマインドを引き付けます。

      頑張らなきゃいかん気がします(笑)

      さてどうやって「私」から降りてきたら良いのでしょう。。

      この状況での
      〉求めない
      〉観念を崩壊させる

      には?

    • せいじ より:

      思考のレベルで、どうすれば?をこねくりまわしても、どうやったって思考のレベルなんだね。。

      瞑想しててふと。

    • 自分 -涅槃- より:

      せいじさん

      よろしい
      その捉え方を忘れないようにしなさい

      思考を手のひらで転がしている

    • 自分 -涅槃- より:

      せいじさん

      あなたが戦争映画を観ているとする
      没頭してハラハラドキドキしている
      さて、あなたは戦争をしているのだろうか

      していない
      じゃあ何をしているのか
      それを見ているだけだ

      では
      ハラハラドキドキしている人と
      見ている人
      その2人は一体どういう関係なのだろう?

      これはあなたがひとりでいるときに
      やってみなさい

      あなたがひとりでいるとき
      自分の中を覗きこめば
      実はひとりじゃないことがわかってくる

      あなたを見ている何かがいる

      我々は人間的な解釈を前提とするから
      それを何かの存在として捉えてしまうが
      そうじゃない

      あなたがひとりでいるとき
      ひとりにさせているその環境がある
      つまり
      誰もいない部屋
      話相手のいない状態
      静かだったり
      人里から離れていたり
      まあなんでもいい

      そうした状況により
      あなたは「ひとり」なのだ
      「状況」があるゆえに
      あなたはひとり

      つまり、あなたは状況と一緒にいるのだよ
      だからひとりを感じるために
      あなたはひとりじゃないことがわかる

      では多重の債務を抱えている私とは
      多重の債務ゆえに
      その私が実現されているのだ

      椅子に話しかけてみなさい
      すると
      椅子は椅子ではなくなる

      すべてあなたの意識
      あなたも意識
      崩壊させる観念も意識だ

      ひとつの空間の中に
      すべては生まれている

      子供たち

      それがあなたであり
      その現実のすべて

      そして母がいる

      母は子供が離れるまで面倒をみる
      子はいずれ親となる

      これでいいかね?

    • 自分 -涅槃- より:

      せいじさん

      >さてどうやって「私」から降りてきたら良いのでしょう。。

      すべての出来事は
      ただ流れているだけだ
      そこには実体もなにもない
      そのヴィジョンが起きているだけだ

      ここでは「私」とするが
      私はそれを眺めている
      己を包む私がそれを眺めている

      あなたは空気について困ったりしない
      あなたは見たり触れたりすることについて
      困ったりしない

      だが困りだしたらどうなる

      あなたは空気や五感に
      常に不安感を頂くようになるだろう

      あなたにとって良いと思える人がいる
      だがその人が何かをしたことが原因で
      あなたにとって悪い人になった

      はたしてその人は
      本当に良い人だったり
      悪い人だったりしたのだろうか
      すべてあなたの印象が変わっただけだ

      世界とはあなたのヴィジョンなのだよ
      まずそれを知ること

      そのためには
      何かに触れているとき
      指と対象のことに意識を向けるのではなく
      「触れていること」という情報が
      ただ起きているということを悟るのだ

      そうしてすべてを見渡しなさい

      情報しかない
      実体のない世界

      ここはあなたの心の中なのだよ

    • せいじ より:

      自分さんありがとうございます。

      >すべてあなたの印象が変わっただけだ
      世界とはあなたのヴィジョンなのだよ
      まずそれを知ること

      うーん、頭では理解できるけど、、
      頭でしか理解できない。。

      まだ少し眠りこけてるんだね。

      >情報しかない
      実体のない世界

      ここはあなたの心の中なのだよ

      これを聞くとホッとする。。
      全部自分の中。

    • 自分 -涅槃- より:

      せいじさん

      細かく説明すれば
      いくらでもできる

      だがあなたは
      目の前のコップが原子に見えるかね?

      そして宇宙から見るとき
      地球のとある陸地の
      とある国と分類された
      街の
      家の
      テーブルの
      コップ
      それが見えるかね?

      つまり「理解」など
      ただの見方でしかないということ

      だがあなたが理解せずとも
      事実はそこにあるだろう

      人は事実を理解しようとする
      だから苦悩が起こる
      そうではなく

      それはそれ

      そのように受け取ってみなさい

    • せいじ より:

      〉それはそれ

      その視点が即ゴールなんだね

      なんてこった(笑)

    • 自分 -涅槃- より:

      せいじさん

      その通り
      すべてパーフェクトに起きている

      そんな中になぜ疑問を持つのだろう
      なぜ欠乏するのだろう

      それが苦のはじまりとなる

  12. より:

    スピリチュアルとか自己啓発でよく言う「好きなことをやれ」は嘘ですかね?
    涅槃の書的には好きなことや嫌いなことが生じる構造を破壊せよになるんでしょうか。

  13. より:

    私は、涅槃の書に書かれている、「例えば、弁護士になりたいならば、成ろうとするのではなく、弁護士と言う世界を起こせ」と言う言葉に強く惹き付けられています。
    一度脱サラして、失敗しているからです。
    何かに成ろうとしている時点で駄目と言うのは体感的にわかります。
    気が付いたら成っていると言う状況が理想です。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      あなたのいう失敗とは何だろう
      それはただの経過だ

      オリンピックで金メダルを取っても
      次の日は味噌汁がやってくる
      平凡な日常がやってくる

      成功とはなんだろう

      私はあなたに忘れさせるために
      このブログを綴っている

      スピリチュアル
      形而上学
      神秘学
      経済学
      自己啓発

      すべての教えすらも忘れるとき
      あなたは人生そのものとなる

  14. ONEPOINT より:

    阿頼耶は非情ですね。
    気づいたときには私の阿頼耶識は荒屋敷になっていました。
    今は必死に借金を返しているが如くの状態です。

    • 自分 -涅槃- より:

      ONEPOINTさん

      よろしい
      阿頼耶とはあなたのことだ

      問いかけてみるとよい

      思考の判断ではない、
      進むべき方向を教えてくれる

    • ONEPOINT より:

      いまだに苦しみが残っている理由を探ってみましたが
      やはり無意識に過去の感情を避けてしまっているのですよね。
      考えてみればこの数十年間、苦しいから避ける、避けるから苦しい
      という悪循環を続けてきました。

      阿頼耶から「自分の人生を生きたいならそろそろ私と向き合いなさい」と
      言われているように思えます。

    • 自分 -涅槃- より:

      ONEPOINTさん

      基本的に逃げると
      追いかけてくる

      なぜならば
      逃げているのはあなたであると同時に
      追ってくるのもあなただからだ

      何も怖がることはないよ

      目の前にチンピラがいようが
      倒産があろうが
      腐ったリンゴがあろうが

      すべて幻だ

      それに対して恐怖したり
      不安になったりする
      あなたの心だけがそこにあるのだよ

      それが嫌なら
      やめればいい

      実体は幻だと見切りなさい

    • ONEPOINT より:

      ありがとうございます。
      心のどこかではわかっていましたが徹底的に
      自分に向き合う必要があると思います。

      しかしなぜこのタイミングなのでしょう?
      もっと若い時に気づいていれば青春を謳歌できたのかもしれないのに
      大事な時期を棒に振ってしまった。

    • 自分 -涅槃- より:

      ONEPOINTさん

      その通り
      タイミングだよ

      いまそこで悔いているのは
      マインドだ
      それに掴まれてはいけないよ

      あなたは年をとらない
      肉体は老いていくし
      世界は変化する

      だが幼少も現在も
      ずっとその世界を観察しているそれは
      なにも変わっていない

      つまり時間は経過していないということ

      マインドに囚われてはいけないよ
      悩むときは徹底的に悩み抜きなさい
      そうして「悩むことなど何の意味もなかった」
      そこに到達する

      すべてに意味がないとわかったとき
      最後に残っているのが
      悟りだ

  15. サボ より:

    自分さん こんにちは

    >いいかい
    「こうなるには、こうすればいいのですか?」
    その図式を捨てなさい
    あなたがそうであれば
    そうなのだ

    何か少し感じるものがあるのですが、上記の内容についてもう少し教えていただけますか?
     
    >あなたがそうであれば
    そうなのだ

    とは一体? 
    最近の手記では、よく願望をかなえる話が出てきます(私にとってはうれしいテーマです)が、たとえば、私が金持ちであるかのごとくふるまえば、もう金持ちという客観的な状態が現象しているということなのでしょうか?
    自分さんは「こうすればこうなる」という図式を捨てよといわれるので、質問の仕方というか書き方が大変難しいのではありますが、ニュアンスを受け取っていただければと思います。
    文章で書くためには、どうしても因果関係的な書き方をせざるを得ませんので。

  16. TOMOYA より:

    自分さんおばんでーす 雨の中すき家に歩いて行く途中、閃きました。2日間考えておりましたが閃いてしっくりきて今は落ち着いた気持ちです。
    ひとつ、聖書から会議の資料まであらゆる文章はあくまでメタファー、スクリプトであること。本質を書くことは不可能であること。 ひとつ、その人の思考、捉え方世界観が求めていた本当の個性であること。ひとつ、自分が納得できれば、世界観の作成が終われば探求は終わること。 探求によって結局世界は何もわからないって所に落ち着いたというか最果てまで来て門をくぐってみたら、あら 最初にいたスタート地点に戻ってきたじゃん。という(笑) このパラドックス。 世界を知る為に歩いて世の中を作ってんのは源とか愛なんだろうな~ってとこまではいったのですが 愛っていう言葉だけが定義されていないのは、世界を作ったものもまだわかっていなくて そしてまた私もまだまだわかっていない。どっちもまだわかっていないなら共存共栄で毎日の中で、愛を学ぶというかただ深めるというか色を濃くしていけばいいんじゃないか。と感じました。白い色をただただより白くするように生きてくというか。私ただのアホですね(笑)

    • 涅槃の書-自分 より:

      TOMOYAさん

      >共存共栄で毎日の中で、愛を学ぶというかただ深めるというか色を濃くしていけばいいんじゃないか。と感じました。白い色をただただより白くするように生きてくというか。

      とてもよいメッセージをありがとう。それでいい。

      また記事にするけども、もう自然科学でさえもこの人間世界は幻想であるという事実に到達している。私たちに個人の「人格」などなく、すべてはその時代を背景にした共同体としての思念でしかない。

      何を語ろうとも、何を感じようともだ。

      つまり物質としてはただ永劫回帰するだけであり、その過程に時事的な社会的感覚(感情や考え方)があるにすぎない。ゆえに身近な人々と通じ合うことができる。だから時代を飛び越えると、私たちの通常のやりとりでは通じ合うことができないのだろう。それは生活環境の違う者同士からでもわかることだ。

      ならば現代の私たちはどのようにあるべきなのか。それはあなたが見出したようであることなのだ。無理をして分かち合おうとするのではなく、存在の本質を見極めて、いかに個人という幻想を溶かしていくかにある。

      私たちの本質は「ひとつ」であり、生は全体として動いている。それを受け入れるとき、最初からずっとここにあった「幸せ」に包まれるようになる。

  17. TOMOYA より:

    連続投稿すいません。最近 映画になった「コンタクト」
    っていう宇宙人ものの 原作小説が 「あなたの人生の物語」 という SFの短編集なのですが、

    その本の中で 「バビロンの搭」っていう話がありまして 天空にそびえるバビロンをどんどん増築していって最後の方で 空にある洞窟を爆破したら天空、ゴールまでたどりつけるぞという展開なのですが、いざ爆破したら主人公が洪水で行きも絶え絶え流されて目が覚めたら、自分の村の目の前まで押し流されていた。振り出しに戻っていた。
    オチとして、この世界は「円筒印章」を紙の上に転がしたみたいになって距離があるけど、 実は最初から端と端は俺たちには見えないだけで すぐお互いに横にあるんじゃないか、必ず振り出しに戻って答にはたどりつけない様にした神の摂理だっていうオチのSF話がありましてすごく面白い小説でした。

    (最後のシーンが 主人公がよしこれから村の皆にこの世界の秘密を話にいこうっていうラストが、他者というかなんか暖かみがあって好きなんですよねー)

    • 涅槃の書-自分 より:

      TOMOYAさん

      そう、私たち人間が創作「できる」すべての物語は、ジャンルを問わず、必ず真理を描くことになる。恋愛映画でもそうだし、サザエさんでもそうだ。ジャニーズの歌詞でもそう。

      なぜなら私たちは「真理」のうえに存在しているからであり、社会的な思考解釈を超えた部分(いわゆる詩的な形なきもの)が必ず表現されるようになっている。

      逆にいえば、人はそれを表現したくて創作をするのだ。インスピレーションとはその有用性がどうであれ、真理の香りをいつも帯びているということだ。

      だからあなたがその作品で感じたものは、あらゆる芸術作品の「ベース」になっているから、いろいろチェックしてみるといいよ。

      やがてあなた自身の生が真理を表現した「作品」であることに気づくだろう。すべての素晴らしい芸術はあなたという作品のなかに描かれているのだ。

      >「あなたの人生の物語」はコンタクトではなく「メッセージ」かな。

  18. TOMOYA より:

    自分さんすいません。映画名はコンタクトではなくメッセージでした。 ご返信も有難う御座いました。この記事にあった船のネガティブツアーへようこそ的な内容を改めて外で読んでいたら、パイレーツオブカリビアンの新作ポスターがたまたま目の前に貼ってありました。海賊の奴隷にならないようにとは まさにシンクロ。笑いがとまりませんでした 早く船から逃げねば:-)

  19. TOMOYA より:

    連続投稿すいません。 自分さんに感謝したい事のひとつに老師の道徳経 タオの理解が進んだ事です。自分さんが循環という言葉を使われていたりして実生活でどう活用していくのか腑に落ちた気がしております。
    後 個人的になのですがメビウスの輪 ∞ 無限のマークなのですが、○の左側が あの世というか目に見えない世界の話で右側の○が現実世界で、真ん中の結節点がよく言われる いま を現しているんじゃないでしょうか。
    で この世が幻想であの世も幻想だとしたら結節点にあたる今だけが永遠に存在しているというか、点 今を通じて両方に行ききできるけど、右の○は重力があるから、バランスが悪く左側の○をやや強くする為に瞑想を習慣にしたりする必要があるのかなと。自分の理解では空間とか海、空気はあの世と繋がっている気もするんですけど そもそも見えない世界と見える世界って混在してるだけで 完全にいまには入れないけど いまに入ろうとする気持ちが大切なのかなと感じました。バランスとか調和 というか よくわかんない話になっちゃいました(笑) でも今だけが永遠 無限とすると実は人は死なないっていう気が…

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