2つのものが1つになるとき

基本的に
信じるか疑うかのどちらかしかない

人も神も生活もね

だが信じるという選択は
もはや選んでいるというものでもない

たとえばごく当たり前に
呼吸をしているだろう

信じるまでもなく
そのなかであなたは生きている

それが信じるということだ

つまり信じるとは
「信じてみたい」という望みのことではない

結局それは疑っているのであって
そうではないと思いたい期待や願いをかけている

だから人にこうであってほしいと期待するとき
その期待は相手そのものをみているのではなく
自分の願望をみているのであって
相手はそれとはまったく別の現れゆえに
大体は裏切られるわけだね

けれどもあなたがその人を”信じる”ならば
つまりその人の姿を酸素のように
昼や夜の世界のように
それはそういうものだという考えさえもなく
ありのままをただ受け取っているだけなら
自分とその人という対立は消えてなくなるだろう

2つだったものが1つになるだろう

人生や将来についてもそう
それを生きる自分はいないだろう

あなたが呼吸をしているとき
そこには自分も酸素も存在していないように
はじまりも終わりもない永遠なる何かだけが
ただここに在るだろう

それゆえ永遠や愛と”信じる”は同じ源泉にある

そのように捉えてみれば
「信じる」はすでにあるものが
消えてなくなることを意味しているが
「疑う」は何もないところに
新しい何かを生み出すことを意味するのだとわかる

よって「疑う」を正しく用いるなら
世界は豊かになっていくけども
単に信じることができないから疑うのならば

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