“恐れ”を味方にする

いつも話しているように
不安や焦り、怒り、惨めさなど負の感情は
その時々の自分の置かれている状況によって生ずる

つまり自他の関係あってこその感情にある

相手が人であれ物事であれ
その関係におけるゲームとして
「恐れ」は起きてくるわけだ

だけども”純粋な感情”である
喜びや安らぎ、躍動感といった幸福感は
自他の関係とは無関係に湧き起きてくる

たしかに目の前のことや偶然的な状況が
きっかけになったりはするけども

しかし純粋な感情そのものは
負の感情と違ってそれ自体で独立しているんだ

むしろその喜びや安らぎの根拠を自他に求めると
湧き出る泉はどんどん弱くなるだろう

それゆえこれもよく話しているように
幸せになるのは簡単で
はじめから幸せであればいいんだよ

何かをやって幸福になろうとするのではなく
無根拠に湧き出す泉に満たされているからこそ
何をやってもそこに幸せが根拠づけられる

こうした逆転のまなざしが大事でね
だがそれが本来のあり方なんだ

 

悪魔使い

じゃあ負の感情は余計なものであって
それらを寄せ付けないことこそが
悪魔祓いや悪霊退散なんて呼ばれてきたわけだが

しかし気にしすぎれば
それはまた純粋な泉を見失うだろう

そもそも負の感情を抑え込んで
“その代わり”に幸せをみつけようなんてのは
やはり関係性からの反動でしかなく
それは偽物の泉にある

だけども人生というのは
人や物事との関係性のなかで進んでいくゆえ
じゃあどうすればいいのかとなるね

ここにひとつの逆説があって

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