現実はあってないようなもの

「一息つく」といえば
今している行為を
一時的に休めることにあるが

逆に「あと一息」というとき
もう少し頑張ってみようという意味に変わる

こうしてみれば「一息」は
その時々で真反対にみえるけども

だがこれが同じであることに気づいたら
あなたは”宇宙の呼吸”とひとつにある

たとえば半日がかりの家の大掃除が
勢いを保てたまま思ってたより早く終わり
そして心地よい疲労感で満たされているなら

それはその掃除が
宇宙のリズムやタイミングと合致していた
ということだ

ここで重要なのは
現実的に見積もっていた時間コスト
その通りにはならずに
早々と完遂したことであり

そしてまた「少しの労力コスト」で
大きな仕事が成されたことにある

つまり極めて高い生産性と
日頃はあまり味えない
深い充実を得られているわけだ

 

目的達成はいつもここにある

さてこの安くついた「コスト」を
何かを実現するための必要なお金や
目的達成までに関わる物事に置きかえてみれば
その必要経費が絶対ではないことがみえてくる

わかるかい

あなたは何かを実現するためには
相応のコストがかかると思っているが
それはコストのほうから物事をみているからだ

言いかえれば
見積もった出費や諸々の手順によって
理想とする”平穏な世界”へ
つまり”安らいだ夢”へと到達しようとするが

宇宙の呼吸とひとつにあり
“平穏”がはじめからここにあれば
もはや現実コストはあってないようなものとなる

なぜなら
もうそれは得ているのだからね

つまり何かを達成したいとき
その達成において
「本当は何を得ようとしているのか」を
正しく見極めることが大事なのであって

たとえば慌ただしい生活のなかで
「あれがこうなれば心落ち着けるのに」と考えて
部屋を片付けようとしたり
何かを欲したりするけども

心静かになれる「流れ」へは
どんな瞬間からも入っていけるんだよ

 

真の願望は無料ゆえに実現する

はじめからゴールにあり続けているからこそ
コストはいくらでも削減され
やがて”無料”にさえなる

人との出会いはその好例だね

友達と出会えたこと
恋人や伴侶と巡り会えたことは
たしかに費用を払って
学校や交流の場へ赴いたからだが
しかし出会いそのものはコストフリーだったはずだ

つまりそれは現実的な手順を超えていた

むしろ”コスト”をかけても
本当の親友はできたりしない

永遠の恋人や天職との出会いもそう
それらは実に偶然的にやってくる

とはいえ
単に待っていてもだめで
また手を伸ばしてもだめ

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