自己管理の法(38)

さてこれまで「自己を管理する=他因ではなく自因として生きる」こと、つまり世界を自発的なものとして捉えなおし、この世の本来の存在理由を取り戻すための話を進めてきた。

すべては己の見方ひとつであり、たとえば雨降りだと残念がるのではなく、濡れる窓ガラスや木の葉、ぽつぽつと波紋のひろがる水たまり、また雨音が奏でる自然の音楽を聴きながら心静かな時間を過ごしたりして、雨そのものに楽しみを見出すならば、この”雨の国”と呼ばれる日本に生まれたことが幸運であり、とても素敵なことだったとなる。

つまり天気も他人も思い通りにコントロールできないが、その流れのなかで自分なりの捉え方を開始するとき、“そこ”が己の世界の開始点となるんだ。

 

 自らを生きはじめるとき過去が変わる

そしてここが重要なんだけども、それは現在や未来を変えるだけでなく「過去」さえも変わるということでもある。

なぜならどんなこともその原因を必要とするからであり、たとえばあなたが誰かの態度に腹を立てたとき、これまでのその人との関わってきた過去の印象が一変して違うものに描き変わるだろう。

これまでは「なんて大らかで細かいことを気にしない人なんだろう」と感心していたものが「結局あの人はずっといい加減だったんだ」という蔑視に変わる。

一度その過去が出来てしまうと、その因果性から外れない限りその人に対する不信感は居残り、ことあるごとにその人への憎悪が沸いてくるようになる。もしそのまま人生を過ごしたならば、あなたの人生においてその人の存在はマイナスな要因でしかなかったことになる。

つまり天気と同じで、すでに稼働している因果性”に支配されるのではなく、新しい開始点を創出してそこから新しい因果性を生きるとき、再びその人の現在、そして過去も変わるんだ。

幸福も不幸もここにカラクリがあるわけで、”自由”とは「自分自身に由って(因って)生きる」という意味だけども、こうして過去を自在に描き変えることのできる能力のことにある。過去が変わると現在が変わり、現在が変わると未来が変わる。

だがそれは言ってみれば、過去、現在、未来が同時に描かれている一枚の絵がまるごと入れ替わったということなんだ。

以前に相談者の方へ回答した話を引いておくよ。

──

だがここで気づくべきなのは、たしかに悲しいことや怒りを感じる出来事はいくらでも沸いてくるだろうけども、しかしそれらは自分が思っているように「本当になんらかの方向に路線を変えなければならないことなのだろうか?」ということだ。

あなたは過去にあった出来事を引き摺り続けて生きてきた。

それは「あのままでは許せない」という思いと同時に「どうにかそれを解決しなければならない」とずっと思い込んでいるからにある。

だが本当に解決しなければならないのだろうか。

なぜ解決しなければならないと思うのだろう?

仏教でもスピリチュアルでもどこでも教えられる話だが、他人の心は変えることはできない。

出来事も変えられない。

いいかい、何も変えられない。だがそれがもう「答え」なんだ。変えなくていいんだ。

つまり「じゃあそれでいいじゃないか」と納得すること。

そしてもう”他因”によって生きるのではなく、これからの人生の歩みの一切は、自らを原因として生きていけばいいんだよ。そうして自らの道を再び歩み始めること、それが「解決」なんだ。

──

 

自己管理=錬金術の土台

つまり上で話した「この世の本来の存在理由」とは、こうして自らの因果性を軸にしたときに、まさにあなたのための”道具箱”になるということだ。

道具はあなたの意図を実現するための役割を持つ。ハサミは紙を切ることができる。だけどもハサミそれ自体にこだわってしまうと、あなたの意図ではなく、ハサミの意図を生きることになる。

そんなわけで「自己管理の法」は、心と体の両面から自らを自律化し、この世を他因ではなく自因として切り替えるための基礎づくりとして進めてきた。

実際、やるべきことや頭に残っていることをただ書き出すだけで、見通しができて人生が明瞭になる。つまり心は軽くなる。物事に操れられていた状態から、物事を操る側に変わる。

いまはスマホがあるので、より高度にタスクやルーティン管理ができるわけだが、ここで見落としてならないのは、こうして「流れ」を可視化するということは、単に整頓しやすいだけでなく、好きなように組み替えることができるということだ。

もちろん、整頓の延長でそれをやってるだろう、スケジュールに配置したり、タスク化するというのは、いかに効率よく合理的に組み直すかということだからね。

だがこの「可視化→組み替え」というのは、まさに錬金術のプロセスそのものにあるわけで、本来ここに「なかったもの」や「ありえなかったこと」を創造することができるんだ。

 

新しい何かが生まれるとき

無から有を生み出す錬金術、といってもそれは大袈裟なことではない。あなたも日頃気づかないままにやっていることだからだ。

たとえば生活リズムを見直して自律化したとしよう。悪友からの飲み会の誘いを断り、またネット断捨離などして欲望を引き起こす外部情報などの誘惑にも流されなくなった。

自分なりにルールや行動規範を作り、その規則に沿って過ごしていく。

するとそれまでなかったものが人生に現れることになる。

たとえば健康な体や、持続するモチベーション、少々のことでは動じない平常心、また他者への寛容さや親切も自然に行為として現れるようになる。

さらには世界が以前とはまるで違うものに認識されるようになる。上で話した通りだね、”一枚の絵”が描き変わったんだ。

以前まで受け取っていた意味とは”別の意味”を、たとえば人々の姿や社会構造にみるようになる。不幸にみえていたものが幸福に変わる。

言いかえれば、不幸に苦しんでいた心が解放され、その平穏さによって他者や物事との関わりが変化したことで、そこからそれまでなかった新しい展開が生まれてくるようになる。

“出会い”がそうだね。どうしてその人はあなたの親しい間柄なのだろう? どうしてその趣味や特技を持っているのだろう?

それは展開が変わった(物事の配列が変わった)からこそ、あなたの人生に”錬金術”によって生まれた存在にある。

つまり「考え方や行動を変えれば世界が変わる」とはごく当たり前に言われることだけども、実際なにがそれによって起こるのかといえば、己の知る人々や世界の個々の存在は変わらずあるけども、それまで堅く握りしめて固定されていた現実が解かれて、それまでの”配列”が変わるんだ。

 

良い魔術師、悪い魔術師

この「配列が変わる」というワードを頭に入れておこう。

配列が変わるというのは、良くも悪くも変化する。むしろ現実の「良くなる、悪くなる」とは配列の変化にある。

だがそれが「錬金術」だと理解するにはまだ辛いだろう。

説明のために極端な例をあげておけば、たとえば「遺伝子組み換え」という近年の技術は従来の品種改良の枠を大幅に超えたものだが、倫理的にあまり良い印象を持たれていないのは、本来地球上に存在しないものを生み出すからにある。

従来の品種改良とは、自然に生まれたもののなかから特に良いものだけを残して、その種だけを繁殖させていく、また光や温度を人為的に調整して生育をより人間にとって有用なものにする。

たしかにこうした選別や改良さえも自然な生態系に変化を与えてしまうが、それでも地球上に存在するものとしての枠組みはそこまで外れていない。

ところがある生物からDNAを取り出して別の生物のゲノムに組み込むというのは、単に新しい性質を生み出すという意味を超えてしまっている。それは地球に存在しなかったものを創り出したのであり、全体のバランスに影響を与えることになる。つまりバタフライ効果のごとく、そのわずかな変異がやがて地球全体を覆い尽くすことの危険性がある。

 

破滅の力

同様に原子力発電に利用されている核エネルギーもそうだ。

長くならないためにざっくり話しておくと、20世紀初頭、アインシュタインが見出した「E=mc2」、つまりどんな小さな物質であれ膨大なエネルギーを蓄えているということを発見したわけだが、じゃあそのエネルギーをどのように解放させるかについて、その後にドイツの化学者であるオットー・ハーンたちがウランの原子核が中性子によって分裂することを発見した。

その後いろいろドラマがあり、ナチスにその情報が渡らないようにアメリカへと流れたことがきっかけで、アインシュタインの期待していた豊かで平和な世界を裏切られたように、原爆の開発、そして投下へと至った。

やがて平和利用と称して原子力発電所が世界中で建てられたけども、その後のさまざまな惨事は誰もが知ってる通りとなる。

ここで一番の問題なのは、核分裂という作用は、そもそも生命に満たされている地球上と矛盾しているということだ。

まずそのエネルギーは生命秩序そのものを破滅させるほどの力がある。

広島の原子爆弾はウラン235が60kg使われたが、実際に核分裂反応が起きたのはわずかな1kgでしかないと推定されている。原子力発電は同じ技術がそのまま使われているが、その発生するエネルギーは原爆の比ではない。年間100万キロワットの電力を生み出す発電所は、広島の悲劇に換算すれば毎年それが1000回を超えて繰り返されている量になる。

もちろん徹底した管理が必要だが、その管理体制の甘さ、そしてなぜそんな場所に建てたのかという利権主義の浅はかさが露見しているのが現状であり、なにより核分裂には高レベルの放射性廃棄物が常に産出され、発電所が爆発しなくても、もうその廃棄物で地球の生命は終焉してしまうことになる。

私たちの生命の源である太陽も核反応によってエネルギーを放出しているが、あれは核分裂ではなく核融合であり、ようやく手にしてはならない悪魔の力(核分裂)に気づいた人類は、今度は核融合エネルギーの開発と実用化が進められているが、どこまでそれが太陽のように生命秩序に沿えるものであるかはまだ不明にある。

 

配列を変えるということ

そのようにして本来地球上にありえなかったもの(全体のバランスに影響を与えるもの)を生み出したわけだが、つまりそれまで普通に暮らしていた世界の配列を変えたことによって、良くも悪くも「人間の世界」は大きく変化したことになる。

だがこの「配列が変わる」という原理は、話したように日頃あなたの日常でも起きていることであり、たとえばあなたが不幸に陥っているときがそうであるように、その物事を個別に捉えてそれを並べることで、その”不幸”は成り立っている。

体の不調や病気、人間関係の悪化や環境破壊、気候変動、また逆に新しい文化の登場や新しい出会い、新しい人生のはじまりもそう。よりスピリチュアルにいえば、魂が浄化されて、より”清く転生すること”もまた、配列の変更にある。

望むように配列を変えるには、物事を俯瞰しなければならない。つまり一歩後ろにさがって、全体を捉える必要がある。それが自己管理の法が基礎づけてきたことであり、つまりそれは人生を新しいものに描き変えるためのステップにあるということだ。

 

力が通過する扉

ところでもしここで「そうか配列が力を生むんだ」と考えているならば、それは誤っていることになる。配列そのものが力を生むのではない。力はこの「人間に認識されている世界」の背後で巨大に流れているのであり、配列はその漏出の”扉”となる。

たとえば「テコの原理」というのがあるね、ちょっとした工夫で重たいものを小さな力で動かせたりする。これは日頃の「重いものを動かすにはそれなりの労力が必要」という状態を配列替えしたものだ。

ではこの加算された力はどこから生まれてきたのだろうかといえば、それはいまもこの全面に満ちている。つまりこの満ちた力をいかにカタチの世界において引き出すかにあり、力学だけでなく、経済が好循環しているときや好きな人と一緒にいるときのあの万能感も扉がいつもより開いたことにある。

商売をうまくやりたいなら、小さな労力で大きなリターンがなければならない。安く買って高く売るという資本原理も同様に”配列”を変化させたその結果にある。

だがそれがあまりに開きすぎると扉そのものを破壊するわけで、それが上で危惧した話となるわけだね。制御しきれないエネルギーを呼び覚ましたら既存の構造が崩れることになる。生活も心も体も、なんでもそうだ。

より厳密な話もできるが(陰陽の極など)他の手記やコメント回答でも度々話しているので今回は省略しておく。

 

認識という”土台”に気づく

さてここまでを踏まえてさらに重要なところへ進んでいこう。

ニュートンにしろアインシュタインにしろ彼らは錬金術師だった。

それはこの世が”本当は”どのように出来ているのかを、人間の「認識レベル」にまで掘り下げたからこそであり、つまりここに最大の鍵がある。

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