いつの間にか若返っている

臨死体験の報告は世界中にあるけども
国や文化でまるで違う光景をみていたりする

つまり日本でお馴染みの三途の川は
西洋だと暖かい光だったりするわけだ

しかしそうなってくると
“死後に保証されているはず”の
天国や極楽の存在が怪しくなってくる

つまり
「死後の守られた世界なんてないんだ」
となるね

そう、“死後に”守られた世界などない

そればかりか”臨死体験”では
川や光のような神秘的な光景をみるのは稀であり
むしろ日常の平凡な光景をみているほうが
多かったりする

だから普段の夢と変わらないわけだ

言いかえれば
三途の川も暖かい光も”夢”であり

それが特殊にみえたからこそ
臨死体験をしたと感じているにすぎない

 

この世という夢

もちろん私は臨死体験や死後の世界を
否定しているわけではない

なぜなら
私たちはそもそも死んでいるからだ

つまり”臨死”などなく
また”死後にたどり着く世界”もないばかりか
それらは常に起きていることであり
“いまもここに”こうして開いている

すなわち「この世」そのものが夢であり
いまあなたが当たり前だと思ってる
この日頃の世界は本当は実在ではないんだ

いま周囲を眺めてみよう
“あなたの”よく知る風景があるね

この風景はあなただけが知っているもの
つまりあなたのみている夢なんだ

 

不死について

さて「この世があなたの夢」であるとは
つまりあなたは“死なない“ということでもある

それこそが
「そもそも死んでいる」ということだが
この理解を深めてもらうために
ここであなたに尋ねてみたい

あなたにとって「死ぬ」とはなんだろう?

それはいま関わっているひとたちと
もう会えなくなるとか
日頃見たり触れたりしていることが
もうできなくなるということだろう

自分が死んで消えてしまったら
もうそれらはできなくなるわけだね

だがそれはつまり
あなたが消えるのではなく
世界のほうが消えてなくなる
ということではないかな

だから自分が死んだあとに残された人たちが
悲しむだろうというのは誤っている

そもそもいったいどうやって
その悲しんでいる人たちを”知る”というのか

その”自分の死後の光景”というのは
いまの自分の妄想にすぎないのであって
ゆえに「己が死ぬ」というのは
あなたが死ぬのではなく”世界が死ぬ”んだ

ついでに言っておけば「死ぬ」というのは
その存在が失われることにあるが
失われたことを”知る者”がいるからこそ
それは「失われた」となる

ゆえに知る者、
すなわち「あなた」がいなければならない

あなたはたくさんの死を目撃するだろうし
たくさんの物が失われていくことを経験する

「死」はあなたのなかでのみある

だが当のあなたは自らが失われることを
決して知ることはできない

じゃあ自分は死んだことを知らないまま
テレビの電源を落としたように無になるの?
と素朴な疑問が浮かぶだろうけどもそれも違う

全文をお読みいただくにはご入会後にログインしてください。数千本の記事を自由にご覧いただけます。→ . またご入会や入会の詳しい内容はこちらから確認できます→ ご入会はこちらから


Notes , , , , , , , ,

コメント・質疑応答

  関連記事

-->