欲しいものを得る

出会いが欲しい
あれが欲しい
金が欲しい

その「欲しい」とは
一体どういうことなのだろう

どこまでが
あなたの外側のもので
どこからが
あなたの内側のものになるのか

つまり
一体どこからが
あなたのものになるのだろうか

暑いと寒いに境界はない
高いと低いにもない

所有とはなにか
あなたがそれを認識した時点で
あなたの人生のキャスト
あなたの映画の登場物となる

バットマンにジョーカーが登場する
だがジョーカーはバットマンではない
しかしジョーカーはバットマンの中だ

あなたが街を歩く
都会で暮らしているなら
繁華街を歩くだけで数百人とすれ違う
それが「出会い」だ

あなたは数百人と出会った

まずそこで腑に落ちる感覚があること
そうして腑に落ちておれば
勝手に世界は動き出す
いや、動いていたのだよ
あなたが抵抗していた
動きにただ身を委ねること
それを思い出す

常に出会い続けていた
だがあなたは「出会いがない」とぼやく
まず腑に落ちるという理解を「理解」しなさい
日々もの凄い数の人々と出会い続けていること
あなた自身がその理解に溶けるとき
すべてと一体化する感覚になっていく

そうしてあなたは
「出会いを求める必要がなくなっていた」
そういうことに後で気が付く
忘れていたのだ
出会いを求めていたことをね
だからふとしたときに後で気が付く

「忘れていた」
それがマインドの外側
あなたが「忘れていた」とはなんだろう

 

 

絶対に理解や知識では到達できないエリア
なぜならばそこに意識を向けると
「忘れていないこと」になってしまう
いまあなたが
完全に忘れていること
呼吸、足の裏の感覚、取るに足らない出来事、
それらは常にそこにあるのだ
だがあなたは意識を向けていない

あなたが意識を向けること
それは「穴」を掘る行為だ
そして自ら掘った穴に落ちてケガをする
毎日色んなことを考えるならば
そこら中、落とし穴だらけ
だから慎重に歩かなければならない
それが人生の苦というもの
なぜ穴を掘るのか
そこに地面があるかどうかが知りたいからだ
穴を掘る感触で地面を知る
対象があることで
あなたは自己を確立する

だがね、掘らずとも地面はあったのだ
意識を向けなくとも
そこに地面はあり
知らずにあなたは立っていた
完全に忘れていたことである

禅や悟りと呼ばれるものが
難解さを帯びているのはそこだ

忘れていること自体がトータルであり
それについて考察すること
意識することで
それは忘れていないことになってしまう
呼吸を意識すれば
少なからずあなたのマインドの
コントロールが入る
瞑想とは意識を向けながら
マインドのコントロールを与えない作法だ
ただ見ているだけ
そのように解釈される

だから本当のところ
あなたがなぜそこにいるのか
もうそれだけで境地なのだよ
瞑想をする必要もなく
あれこれ意識を向ける必要もない
一切なにもしなくても
世界はそこにあり
凄まじいエネルギー現象を
目や耳という器官で感じ取る
その循環の中にいつもいる
母の胎内であなたは夢を見ている

世界の見えざる舞台裏には
猛烈なエネルギーの循環がある
それがすべての「本質」だ

何が必要なのか
何が欲しいのか
必要としなければいい

必要だったことを忘れたとき
それを得ているだろう

これらの話を聞いただけでいい
「仕組み」を少し頭にいれておけば
どこかでマインドの罠に落ちたときも
あなたは怖がる必要がないこと
怖がる必要を持つから怖いのだということ
それを思い出せる
それだけで十分だ
それまで忘れなさい

あなたはあなたの中で生きている
だから何も恐れる必要もないし
何を求める必要もない
そして何をやってもいい

 

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