愛と死とそして

「愛」とは完全性のことにある

あなたや私という区別がなく
ひとつであること

その「ひとつ」になるために
私たちは恋をしたり
楽しみや充実を求めたりする

その観点でいえば
この世のすべては愛に至るための手段であり
恋愛や仕事や勉学などといった「区別」は
見かけのものにすぎない

たとえば大きな白い紙のうえに
この世界が描かれているとしよう

描かれたものは
もちろん個別な存在だけども
その背景にある白い紙は
隔たりなく連続しているということだね

だからこの世というのは
愛へ向かうための「現れ」であり
それはひたすら描かれた輪郭線を
除去していく作業にあるといえる

そうして”除去されること”を
私たちは達成や成就や解消のように
呼んでいるんだ

 

愛と死と

しかし言いかえてみれば
この世においては決して
完全な愛には到達しないということでもある

すべてがひとつになってしまったら
色も形も空も大地もなく
なにも認識できなくなってしまうのだからね

ゆえに愛とは死のことだったとわかる

つまり私たちにとって
「死」が恐ろしいものとして示されるのは
この世の何もかもが消えてしまい
つまり私やあなたがひとつになって
「誰もいなくなる」からだけども

ところが私たちは
愛しい相手や楽しみや癒しなどを通じて
その完全性をいつも目指している

ゆえに誰かとの関係を通じて愛を学ぶとき
また人生や嗜みを深く愛するとき
それは死を学んでるということでもあるんだ

愛を知る者がどうして強いのかといえば
それは最も恐れるものを
まさにその愛ゆえに克服しているからにある

ここで間違えてならないのは
相手を独占したいとか自分に自惚れるとか
そういうのは「愛という”消滅”」には
まったく到達していないということだ

 

そして神を学ぶ

ではこの世で何をすべきなのか

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