原因と結果の法則を超える

「原因と結果」
これは実に古い概念だ
だがこの「考え方」には
未だに多くの人が奴隷となっている

「こうなれば、きっとこうなる」

くだらない
あなたが失業し貯蓄を食い潰す
そんな状況をイメージしてもらいたい
その後はどうなる?
あなたは悲観的な光景を浮かべるのだろう
だからお金は神であり
それを失うと自身が崩壊する
そのようにしている

なぜそのような概念を持ち続けているのか
それは簡単
毎月生活費を払って生きているから

明快な理由だ

生活費とは何か
出ていくお金のことだ
出ていくものがあるならば
入ってくるものが必要
そう考えるのはシンプルな思考である
それはいい
その通りだ

だがなぜまだ起こっていないこと
「ここで会社を辞めたら大変なことになる」
そう思い込んで胃がキリキリする日々を
抜けられないのかね?

覚えておきなさい
答えは答えのままにある
つまり問題から答えが導かれるのではないのだよ
常に「その瞬間が答えである」と理解しなさい
「見たら、見える」だ
見たから見えるではない
見たからそれがあるのだ

あなたはいつもその「解答」に立っている
仮にいま様々な問題を抱えているとしよう
借金や人間関係
孤独、病気、挫折
なんでもいい

ではその「状態」がスタートライン
つまり「今産まれたばかり」にしてみなさい
あなたが黒人ならば
黒人の赤ん坊として産まれてきたようにね
過去も経緯もない
それを備えて「いま」出現したのだ

いま産まれたばかり
最初から「それらのこと」はそこにあった
あなたが虫なら動物や鳥に襲われる心配があるし
あなたが金持ちの家に生まれたならば
多くの人付き合いと面倒なマナー、不信感
常に誘拐や強盗に恐れなければならない

いま産まれたのだ
あなたはたったいま産まれた
その状況がスタートラインであり
そしてゴールである

原因があり結果があるのではない
それはただの妄想だ
結果があり結果があるのだ
そこを生きればいい

あなたが明日一文無しになる
ならばそれを生きればいい

「それ」を生きている限り
あなたは凄まじいパワーを発するだろう
だから常に「いま」なのだよ

あなたが25歳でも40歳でも
25年とか40年という経緯はない
いま産まれたのだよ

世界はいくらでも変容できる
あなたが変わればいくらでもね
常にパワフルでありなさい
簡単に金持ちにでも貧乏にもなれる
どちらでもいいのだ
あなたがそこにいるから世界はあるのだ

あなたが命を絶つとその世界は消える
あなたが憧れた金持ちも
あなたが好きだった有名人も
すべて消える

全部あなただったのだからね
彼らが微笑む光景
彼らが誰かと愛し合う光景
その責任はあなたにある
あなたが彼らを幸せにしているのだ
あなたが彼らを不幸にしているのだ
すべてあなたの見たもの
すべてあなたが見たいもの

その世界にはあなたしかいない
これは絶対的な視界だよ
彼らが幸せそうだとか
誰が決めるのだい?

「幸せな彼ら」はあなたの世界にしかいない
「憧れのアイドル」はあなたの世界にしかいない

他の誰かの宇宙には
あなたの世界の人々、物事、興味、好奇心
美味しい物、美しい芸術、最高に笑えた映画
そんなものはないのだよ

全部あなたの生きている中
そこでのお話なのだ

だから苛立つ上司もあなたが作り出したもの
ワクワクするスピリチュアルも
あなたが作り出したもの
目の前にいる人の感情のすべて
それもあなたが創ったのだ

いいかね
あなたが見ている
その意味をよく理解することだ

世界のすべての人々の辛さや不幸
理不尽さ、大変なこと
そういうことを吸い込みなさい

そして
世界はこんなに楽しいものなのだ
そういう思いを吐き出しなさい

呼吸は単なる空気の入れ換えではない
あなたと世界
その境界線を司る

あなたが思いを吐けば
その世界が表現される
だから世界はそんなものじゃない
新しい何かを得るとき
あなたはそういう呼吸をしている
そこに気が付いてるかね

だから世界には
色々な体験があって
色々な楽しみがあって
色々な悲しみがあって
本当に最高のもの

そう伝えなさい

 

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コメント・質疑応答

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  1. さばみりん より:

    ふと(無意識)見たものが全て、そこにある、………
    考える必要はない。思考(意識)は迷いだ……。
    ただのありのままを、あるがままに「いる」ことがいいのですね。
    言葉や論理で説明しようとすると逆に色々な矛盾を生んでしまうのでしょう。
    原因と結果というと確かに誤解を生みやすいですね。

    釈尊も本当は氏の仰るようなことをお伝えになろうとしていたのかもしれません。

    • -自分- 涅槃 より:

      さばみりんさん

      釈迦の残したものは
      私もたくさん学んだよ

      伝承はどうしても人々の解釈を
      通ってしまうから
      その真意が薄まってしまう

      だが彼の教えとは
      そういったことを超えたものだ
      つまり解釈されるものではないということ

      つまりあらゆるものは
      いくらでも言葉(解釈)となるが
      そういうことを捨てたときに
      本当の生がある、ということだ

      人は「誰かのため」ということに
      囚われ過ぎて自分を見失っている

      自分を見失うとき
      その世界は暗雲に染まる

      だから自分が生きるのだよ
      生きるために活動するのだ
      そうした在り方のとき
      因果は力を失う

      なぜならば、いまここにいることが
      すべてとなるからだ

    • Xenon -ewigkeit- より:

      何にも囚われずに生きれる世界は、常にずっと広がっているのでしょうか。

      様々な他の解釈(言葉)が蔓延るドロドロのものが煮え滾る釜のようなこの場所から、純粋な自己のみであり続ける世界が創造される。それはどこか別の場所を創造するのではなく、いまここという実にシンプルなところに留まればいいだけなのですか。しかし、難しい。難しいから考え続け求める姿勢で在り続けるという悪循環。

      姿なき答えを追い求めています。

    • -自分- 涅槃 より:

      Xenon -ewigkeit-さん

      見えている光景がどんなに広くとも、それはあなたの中で起きている世界だ。

      どんな体験をしようともその体験が偉大なのではなく、それを受け入れているあなたが寛大なのだよ。

      神社に参拝にいくとき、たくさんの参拝客がいるだろう。みんな色々な思いを抱えてやってきている。

      だがその「思いを抱えてやってきている人々」があなたの中にいるのだよ。

コメント・質疑応答

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