自分の仕事をする

嵐は過ぎ去っていく。あなたは何もなすすべはなく、ただじっとしているしかない。そうして”忘れた頃”に雨風はやんで、晴れ間が広がっている。

同じようにして心臓や肺は動いている。これらも自然に動いている。意識を失っていてもやはり動いている。

古来より慧眼な者はこのように伝えていた。「まず神を知り、そして自分に与えられた義務をしなさい」

あなたにはあなたの出来事がある。私には私の出来事がある。だけどもすべては「神(同じひとつの大いなる流れ)」のなかに現れているということだ。

たとえばお腹が空いてコンビニでおにぎりを買ってきて、それがいまここにあるとする。”神”を知っているならば、それがおにぎりかパンであるかは問題ではなくなる。

ただ「流れているもの」があるだけ。

それを「私」がおにぎりかパンか、自分の望みの通りに心に浮かべているにすぎない。

魚は海を知らない

ここで大事なのは、人生の出来事だけでなく、出来事について判断する己の思考さえも、創り出された”出来事”だということにある。

だからなにを思考しようとも、その思考自体がすでにゲームに従っているわけだが、そうやってゲームに従う限りはこの世界は変わらない。

変わらないばかりか、どんどん苦しいことになっていく(後述する)。

海のなかに生まれた魚が「海を発見できない」のと同じである。彼らにすれば海のなかの出来事は絶対であり、その絶対のなかで頭を捻って生きていくことになる。

つまり「おにぎりではなくパンにしておけばよかった」という二択があるのではなく、そもそもおにぎりかパンかを「選ばなければならない幻想」に包まれていることに気づかなければならない。

現実世界が変わるとき

天候や心臓は動かせないという「前提」をあなたが創っているならば、雨戸を閉めたり心臓の手術をしたりという間接的な判断によって対応していくことになる。

だが重要なのは、その「動かせない現実」であれ、そして「その現実に応ずる意思」であれ、なんにしても「この世のすべて」は己が創り出しているものであると知らなければならないことにある。

それが「神を知り、そして自分に与えられた義務をする」ことの真意なのだ。

ゆえに神を知るときすべては許される。

なぜなら自分を傷つけたり不安にしたりするような、この世の脅威や悪意のすべては、確かにその通りでありながらも、実はその意味の通りに現れているのではないこと理解するからだ。

それを理解するときに“この世”は変わるのである。

今回はこの意味をより深く理解し、そしてあなたが「永遠に救われる」ために必要な智慧を備えるための手引きをしていこう。

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。→ . 会員登録はお済みですか? 会員について


Notes , , , , , , , , , ,

コメント・質疑応答

必ずお読みください
・会員記事のコメントはログインしないと表示されません。
・会員の方はユーザー名が入ってしまうので別名を希望の方はこちらで申請してください。
・連続投稿する時は自分の最初のコメントに返信してください。
・記事に無関係な投稿は禁止です。良識範囲でお願いします。
・他の利用者を勧誘する行為、扇動するコメントは禁止です。その意図がなくても事務局でそのように判断された場合はその箇所を修正削除させて頂く場合があります。予めご了承ください。
・投稿内容に敏感な方も多くいらっしゃいますので、他の利用者様へ影響を与えそうな文面はお控えください。
・スパム広告対策にセキュリティを設定しております。投稿後に承認待ちと表示される場合がありますがしばらくすると表示されます。

  1. ダテキヨ より:
    このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。
    • 涅槃の書-自分 より:
      このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。
  2. ダテキヨ より:
    このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。
    • 涅槃の書-自分 より:
      このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。
  3. ishiyama より:
    このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。
    • 涅槃の書-自分 より:
      このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。
  4. 人間 より:
    このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。
    • 涅槃の書-自分 より:
      このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。

コメント・質疑応答

  関連記事