アンフィニッシュド
こんな話をしよう
この世の本当のこと
ある家に夫婦がいる
そして2人の間に子供が産まれた
この子はあなた
あなたの父は自宅を店にして
居酒屋を経営している
毎日お客の話相手になりながら
酒や食事を提供する
あなたの母は料理や掃除といった家事が
得意ではなかった
何か食べ物を作るといえば
いつも決まったメニュー、
または即席ラーメン
家を片付けるとしても
端のほうに物を固めるだけ
たまに母の友達が遊びに来る
彼女は石垣島出身
あなたもよく遊んでもらっていた
人々に包まれた暮らしがいつもある
そんな家庭で育ってきた
あなたの見てきた世界だ
子供の頃からずっと見てきた世界
その家でいまも暮らしている
居間の大きな食卓で鍋をつついて
よく家族で団らんした
ある日、両親が他界する
もう2人はいない
母の友人も訪ねてこなくなる
そしてちょうどあなたは
結婚相手との間に
男の子が産まれたばかり
両親なきいま、
家族3人で暮らしている
子供の頃から住んでいる家
店はシャッターを下ろしているが
当時のまま、見慣れた風景
20年の月日が流れた
相変わらず家族3人で暮らしている
息子は高校の時から勤めている
アルバイト先の店長の勧めで
チェーン店を任されることになった
大学へは行かず、洒落た雰囲気の
スペインバルの店長となる
毎晩お客の話相手になりながら
酒や食事の提供をする
そんなある日、
息子が彼女を家に連れてきた
店にお客で来ていた子らしい
居間の食卓で鍋をつついて談笑した
その子は石垣島出身だとも聞いた
やがて息子とその女の子は結婚をする
家の2階で暮らすことになった
孫もできて毎日人々に包まれている
息子の嫁が少々だらしないこともあり
あなたが彼らの暮らす2階を
片付けたりすることも多い
料理も任せられたものじゃないから
結局あなたが孫にご飯を作ったりしている
話はここで終わろう
そこには何があるのか
妙なポイントがわかっただろうか
これは気がついていないだけで
誰にでも起きていることだ
もちろんあなたもそうだよ
この話で言うならば
その家の中では同じことが
繰り返されている
もし両親や母の友人、そして息子と嫁
彼らから姿形、名前などの設定を
奪い取ったら
「出来事」だけが常にそこにある、となる
キーワードは「客商売」「石垣島」
「家事の不得意」
それぞれを崩せば
「賑わうワイワイ」「海や潮、広い空」
「乱雑・氾濫」などのイメージとなる
あなたを基点として、
両親、息子夫婦が登場するが
「同じことが起こっているという出来事」
だけで捉えると
時間軸というものを
超越していることがわかる
つまりその家には、最初から誰もおらず
それらの出来事だけが「置いてある」のだ
タイミングに適した人材が
その出来事の役割を
全うしているように思える
だが実際は出来事が主体であり
それを「している人」は幻なのだよ
だから両親も息子夫婦も実在しない
さらにいえば家すらもなく
あなたの感じている世界が
常に「それ」であるということだ
見えているものはすべて
「見えるため」だけにそこに起きている
この要点を覚えておきなさい
あなたの深層部で起こしているイメージが
「現実」として想起される
そのイメージを持ち続ける限り
それは何度も繰り返す
記憶のような光景が過ぎていく
私は世界のすべてが煙のように見えている
スピリチュアルでは映画館の映写機と
スクリーンとの関係を表現として用いられる
何もないスクリーンが真我であり
そこに映像という幻が
映し出されているのだ、とね
だが私的には暗い映画館で
上を見上げたときの
映写機からの光線が室内の埃に
浮かんでいる様子
そのニュアンスの方が表現として近いと思う
現実は宙に浮かぶ映写機の光のようだ
視覚もそうだし、手に伝わる感触も
すべて煙のように見えている
そしてその「煙」はただループしている
同じことが何度も繰り返されているのだ
「もの」は同じだが
印象としては毎回違う
例えば過去と似たような出来事に遭遇するとき
その時々で、それがポジティブに感じられたり
ネガティブに感じられたりしているはずだ
つまり物事そのものには何の力もなく
それをどのように解釈しているか、
すべてはあなたの受け取り方で
色が決まるということだ
だけども、すべては煙のようなものと気が付けば
ポジティブもネガティブもない
言葉は悪いが
馬鹿のひとつ覚えのようなループが
永遠に起こり続けているだけと
見るようになる
そうなると源泉となるイメージを変えることも
容易にできるようになる
もうこれはいいや、とね
あなたが理不尽な世界に生きているとき
それは幻に囚われている
幻に囚われている以上、
それが自らが起こしているイメージで
あることに気が付かない
自分で投げたボールに自分であたりに行って
痛い、と言っているようなものだ
何でボールが自分にあたるのだと、
何でこんな不幸な目に遭うのだと、
あなたは幻に囚われて
そういう「思い」をする
だがね、自分のこれまでの人生や
いまの状況をよく見てみなさい
ケースは違えど、
似たようなことが繰り返されている
表面的な類似性が近いと
シンクロニシティだとかひとは言う
だがすべてがシンクロニシティなのだ
表面のカタチではなくその根源と
なっているイメージを捉えてみなさい
例えば毎日朝が来ることもそう
あなたの持つイメージが
何らかの形となって現実を起こしている
何とかなると深層で思っていれば
根拠なく何とかなっていくし
どうにもならないと深いところで
信じていれば
それはどうにもならない現実となる
だが喪失や破滅ですらも
深層のイメージが具現化しただけであり
それらを起こしている卓そのものは
何も失われていない
ゲームオーバーというゲーム内のイベントが
あるだけだ
だからあなたが変わればすべてが変わる
そのループから抜け出すことができる
そこが気に入っているのなら
それを楽しめばいい
気にいらないなら
世界に違うイメージを放てばいいのだよ
観念を変えるのだ
難しいことじゃない
生活習慣を変えてみなさい
新しいことを始めてみなさい
食べるものを変えてみたり
豊かな気持ちになれる
音楽や映画を楽しみなさい
そうして「ルール」を変更するのだよ
いずれ肉体は滅ぶかもしれないが
肉体も、「滅ぶ」すらも幻だ
だからあなたは消えない
そのイメージ発生源はずっとそこに残ったままだ
つまりあなたのことだよ
始まりもなかったし
決して終わらない
ずっとそこにあるのだ
永久に無限に
ずっとそこにあるのだよ
Notes あなたの世界, あなたの正体, ワンネス, 世界, 他者, 幻想, 循環, 真実, 瞑想
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すみません・・・。寝る前に熟読してたけど
想像したら涙でてきました。そんなループなら抜けたいと思わなかっただろうし脱出関連の本を手に取ることもなかっただろうぁ・・・。
現実でも幻想でもどっちでもいいし幻想ならそれを暴きたいとも思わなかったろうなぁ・・・と。悟らなくていいし。
ですがそこ世界の私も幻想の家族努力してなろうとなったわけではないんですよね。
自我で設定を変えられたわけでもないし変えようとさえ思わなかったかも・・・。
最初からその設定が用意されていた。
この書いてる「私」でなく真我がその気になってくれないと・・・。
困ったさん
先の返信でも書いたが
簡単な表現ならば
すべてあなたの想像なのだよ
何も実在していない
想像を起こしている「何か」だけがある
あなたの存在すらも想像だ
よく自由意識があるのかどうかという質問がくる
自由意志があるのか?という質問自体が想像だ
すべては最初から決まっているのか?
その質問自体が想像なのだよ
身体に受ける痛みも想像
そんなものはない
映画を見て
興奮したりしているのと同じ
実際には何も起きていない
あなたがその気になっているだけだよ
だから変える必要もない
変えるということがすでに想像の領域だからだ
大事なのは
すべてが自分の作り出しているものだという理解
誰があなたを卑下しようと
何も気にならなくなる
どんな社会的窮地に追い込まれようと
何も気にならなくなる
すべては事実ではなく
想像の世界だけが永久に起きている
ずっと空想の中だ
夢の中なのだよ
いつもありがとうございます。
ぐぐぐぐっと心にきて涙がでました。
言葉たちがこれほどまでに、しっくり腑に落ちて温かいものになるなんて…。
この想いになるために、こうして生きてきた気がします。
全身で、たくさん感じていきたいと思います。
ありがとうございます。
あちこさん
言葉のひとつひとつ
肌に触れる風
それらがあなたのいまを紡ぎ出している
こちらこそありがとう
あなたと関わることができて嬉しく思うよ
この文章を読んで、「どうせ夢ならもっと楽しい夢を見たいよ」と思った次の瞬間、やたら、モテモテになったのですが、それもまた空想なんですもんね(笑)
鯤さん
その通りだ
あなたが自分はモテるとすれば
モテる人になる
ひとつ実験をしてみないかね?
自分でとても「いけてない」状態で家を出なさい
不潔というわけでもないが
個人的には好みではない様子
髪型や服装
肌の感じ
とにかくあなたにとって
今日の自分は低評価だ
それをわかっている上で
異性に話しかける
どんどん話しかけていく
するとあるポイントで気分が乗ってくるのがわかる
つまり自分のイメージを捨て去り
世界を優先していることに実感を得ていく
人はね
自分のイメージに囚われているのだよ
それを捨てるときが
サマーディだ
自分など最初からいない
だからあなたが自分の評価を忘れるとき
ごく自然に世界と戯れることができるのだよ
ダンテの神曲みたいなエントリーですね。
天国を捨てたら天国になるのですがそれに気づくまで随分暇潰しをしたものだとかつての「自分」に感慨が湧きます。
後は消えてゆくのみ‥
五月雨祭さん
あなたの知る戯曲も詩篇も
すべてあなたの中で起こっている
だから本書もそうだし
あなたが気に入って聴いている音楽もそう
ファッションも食べ物もそう
すべてがあなたという息吹が通っている
つまり、そっちが「あなた」なのだよ
いつも記事の更新をありがとうございます。
自分さんの記事はすごく分かり易い表現で書かれていたり、そうかと思うと私にはまだ理解できない不思議な表現で書かれていたりと、毎回の記事の更新がすごく楽しみです。
今回の記事はかなり衝撃的だったので今このように感想を残させて頂いております。
記事を拝読させて頂き、自分さんがおっしゃっていたように、人生の中で何度も何度も同じような出来事が繰り返されている事に気がつきました。
職を変え、仕事を変えてもどの職場でも同じような問題が起こり、つい昨日も友人に「なんで君の周りにはそういう問題を起こす人が集まるんだろうね」と言われたばかりでしたが、記事を読んでハッとしました。
問題は、私の心の中でその事象が延々繰り返されている事にあったのですね。
この無限ループから抜け出す為には・・・自分の心を常にハッピーな方へ誘導し、物事の捉え方を変えれば良いのでしょうか。
けしごむさん
遅くなってすまないね
ブログのシステムがやや不調のようだ
あなたがハッピーでありたいのならば
その風景をハッピーに受け取ればいい
「すでに出ているもの、も
いま出しているのだ」
これを理解しなさい
そうすると、あなたがどうこうしなくとも
世界の側からあなたをハッピーにさせてくるようになる
あとは流れにのりなさい
小学生の時、お気に入りの怪物君のようなカラフルな帽子をかぶって学校に行って得意になって下校中、友人の女の子にその帽子好きなの?と暗にダサいんだけどと指摘されガッカリ恥ずかしい気持ちになったのを思い出した。
その女の子も私だったのか。
また、同じく子供の頃、スケート場で、得意になって回転してたら、少し年上の少年が、肩にぶつかってきて、「なぁおい、かっこつけてんじゃねーぞ!」と言われ、絶望。
この少年も私だったのか。
だとすると、意識が矛盾しているかのようだ。
鯤さん
あなたはお気に入りの帽子をかぶっていたから
女の子がそのようなことを言うのだよ
つまりあなたがそうであるから
あなたはそれを際立たせる現実を想起させた
スケートの話も同じ
あなたが得意になっているから
それをさらに際立たせる現実が起こる
もしあなたが
その帽子が怪物くんのようであるとか
そういうことも意識していないとき
女の子が同じことをいっても
あなたはただ納得をしていただけだ
ここにポイントがある
すべてあなたが受け取り消化した状態が
「現実」なのだよ
それがあなたの現実だ
だから同じ出来事に
私が遭遇しても私の中で起こる現実は違うものとなる
この話に深く瞑想してみなさい
人に対するイメージに囚われてることに気づきました。
私の父は子育てに無関心で母はそのことに不満を持っていました
現在、主人に対して同じように不満を持つ自分がいます。
母はご近所付き合いが苦手なタイプ
私も苦手。
囚われに気付いても、どうやって受け止め方を変えればいいか分かりません。
ポジティブに変換するのが難しいです。
話がずれてしまうかも知れませをんが、
このサイトで学んで
新しい生活習慣に変えて二週間立ちました。後回しにしないで直ぐとりかかり、スケジュール管理をして、とても快適で、毎日充実しています。
ただ、急な変化に身体がびっくりしたのか、疲れが出て軽い風邪を引いてしまいました。
頑張り過ぎて流れを止めてたのかな、
よくわからなくなりました。
匿名さん
いいかい
ポジティブに変換するのではない
それがこれまであなたに苦悩を抱えさせてきた
そうではなく
もっと自分勝手に生きればいいのだよ
あなたが自分勝手に生きたとき
それまで他人に感じていた「自分勝手さ」が消える
みんな、ただあるがままに生きているだけなんだな
と気がつく
あなたが周囲の目やら
他人からどう思われてるかなどの評価
そういうものに囚われているから
それを基準に他人を見てしまっていた
だからあなたが他者を作っていたのだよ
あなたが変われば
すべてが変わる
だから自分勝手に生きなさい
言葉の表現は少々ストレートすぎるが
あなたにはそれぐらいがいい
やりたいことをやりなさい
いつも自分中心でありなさい
どんなときも自分を最優先しなさい
あなたが自分自身を素敵にエスコートするとき
あなたが嫌いだった人たちが
輝いた息吹を放っているのが
目に見えるようになる
この地球は
そしてすべての大自然は
そういう人たちのおかげで循環していたのだと
あなたは悟るだろう
やっとその世界に戻ってこれるだろう
蚊もゴキブリもムカデもカラスも
ただあなたが逃げ回っていただけだ
あなたが宇宙の中心そのものであることに気がつけば
虫たちにさえ感謝の念が止まらなくなる
風邪を引いたのはバランスのためだ
すべては循環している
だが風邪をひいたから、なんかあるのでは、
と解釈するのは、もうやめなさい
すべて起こるがままでいいのだよ
あなたもあるがままに存在しているだけでいい
やりたいことをやって、自分を優先してるつもりなんです
主人や息子がいても、一人で旅行に行くし、家事に疲れたら近所のホテルに泊まってリフレッシュしたり
好きなアーティストのライブに行ったり
好きな仕事をして、稼いだお金でお洋服を買ったり
まずは自分が満たされることをしようと思って
まだまだ足りないのでしょうかね、
潜在意識に隠れてるものはよくわかりません
ただ、家族をコントロールしたくなる自分には気付いています。
ここに書いてある事を実践し始めてから、新ためて気付いた感じです
アタマで考えると疲れるから、それはしたくないな、と思ってる自分もいます
匿名さん
そうではないよ
あなたが本当に「自分のため」に生きるとき
まだまだ足りないという考えは浮かばない
旅行に行かなくとも
好きなアーティストのライブに行かなくとも
好きな仕事をしなくとも
洋服を買わなくとも
あなたはそこにいる存在に満たされることになる
だからあなたの見解は間違っているのだよ
あなたが解釈する「好きに生きる」とは
結果的に苦悩しか生みださない
それは欲望だからだ
私が伝えている、自分勝手に生きろというのは
他者の中で生きてはならない、ということだよ
ただそこに存在しなさい
常に、存在しなさい
何度もごめんなさい
やっぱり良くわかりません、、
>あなたが周囲の目やら
他人からどう思われてるかなどの評価
そういうものに囚われているから
それを基準に他人を見てしまっていた
…あまり他人は気にしないタイプだと思ってるのです
>だから自分勝手に生きなさい
言葉の表現は少々ストレートすぎるが
あなたにはそれぐらいがいい
やりたいことをやりなさい
いつも自分中心でありなさい
どんなときも自分を最優先しなさい
あなたが自分自身を素敵にエスコートするとき
…自分自身を素敵にエスコートする為に、生活習慣を変え、部屋のインテリアを工夫し、好きな音楽を聴いたり、おしゃれを楽しみ、好きな仕事をする、その事自体は自然な流れで、
まだまだ足りない、と思うならそれは欲望
という解釈でいいのでしょうか?
実践し始めて、前ほどリフレッシュの為に旅行に行きたいと思わなくなって来ました。
今までは節約しなくちゃと、後回しにしていた
快適に暮らす為に必要な物は購入しようとと思うようになりました。
匿名さん
そこがあなたの超えるべき峠だよ
誰もがそこで躓いてしまう
いいかい
いまあなたのそのコメントは
マインドが書いている
私の話にもマインドが聞いて理解している
あなた(マインド)は
そのコメントの通り
何の不可もなくやっているのだろう
そしてまだまだ足りないと感じている
充実するにはもっと何かが必要だとしている
そして、また別の情報が入ってくれば
以前と違う心情になったりもする
マインドは確固たる状態を維持できない
つまりあなたはいつも外側を見ているということだ
確かに、甘い果実はある
マインドはそれを味わう
ああ、おいしい、と言う
もっと欲しいという
飽きてきたら、また別のものはないかな?と言う
それを求めることも
逆に求めようと”しないこと”も
どちらも欲望の起こしたもの
つまり「不足」が発端となっている
あなたはまだしばらく
「マインドの納得」のために生きていくだろう
だがどこまで進んでも
いつもゴールにはたどり着かないことに気が付くはずだ
1km先にそれは見えているのに
1km進んでも、やはりそれは1km先にある
あなたが進むだけ
ゴールは同じように先に行ってしまう
あなたが理解すべきことは
マインドは「不足」そのものであるということだ
じゃあどうすればマインドを超えることができる?
意味を求めず
ただそこに自分が在るということ
つまり無意味に”無理由”に”無解釈”に
生きるということだ
すべての矛盾をそのままにまとい
雨と風と陽の光と戯れる
道路の縁石に瞑想しなさい
雨が降れば濡れ、日があたれば熱くなる
時間の概念もなく
希望も絶望もなく
ただそこに起こっている自然現象のようなもの
人間は動くから
人間は考えるから
そのあたりを錯覚してしまう
だがね、あなたが見下ろす景色の中の
ただの一部分なのだよ
本性とはそのシーンそのもの
だからといって
シーンが意識を持っているのではなく
その全体がただドンと発生しているのだ
何か物を手に入れて
快適だと感じるのは良いことだ
それをステップとしなさい
いずれ快適ではなくなる
そのときに
また別の何かを求めるのか
それとも
物が「快適」を持ってきたのではない、と気が付くのか
それはそのときの「あなたの消滅」の度合いによる
マインドの声を聞いているもう一人の自分の存在にも、気づき始めています。
マインドを眺めているもう一人の自分もいます。
マインドは、わからないと言う
(わからないままで、いいんだよ)
ここで具体的な行動を学んで
ただ毎日の暮らしを楽しんでみます。
匿名さん
マインドもマインドを眺めている者も
すべてマインドだ
大事なのはそれらマインドがいる空間
そこに意識を向けることだ
それがあなたの「赦し」となって
溢れてくるだろう
>ただ毎日の暮らしを楽しんでみます。
よろしい
「ただ毎日の〜」の部分がとてもよろしい
そのようにいつも「ただそうある」でありなさい
「それ」が、うにゃっとなってコブみたいなものが出来る。
そのコブの所で「コブの出来事」が起きる事になる。
さあ「私」の登場だ。
「私」が登場すると同時に「あなた=私以外」も登場する。
役者もそろって「コブの出来事」が完了した。
その時、「私」からも見ているし、「それ」もオオソトガリから見ている。
しかし、視点は「私」か「それ」かのどちらか1つで、同時に見る事は不可能だと思う。
この「うにゃっとしたコブ」が自力で作れればまさに創造主。
岩窟王さん
そのコブを自力で作ろうとしているのは誰かね?
その誰かがそこから立ち去れば
その後に何が残るのだろう?
それがあなただよ
つまり創造主のことだ
自分さん
ご返信ありがとうございます。頂いたご返信や、他の方へのアドバイスも読ませて頂いておりますが、
>「すでに出ているもの、も
いま出しているのだ」
これを理解しなさい
この一文が何度読み返してもやはり分かりません・・・。
たとえば私が「これは過去に起きたものだ」と思ってる事も「いまこの瞬間記憶の中で作られているだけだ」という事でしょうか?
けしごむさん
この世の原理とは
発信側が主体ではなく
受信側がすべてを司っている
つまりあなたが赤いポストを見たから
赤いポストはそこにあるのだ
マインドはこの矛盾を超えられない
どう考えてもそれはおかしいという
原因があって結果がある
セオリーがある
あなたはそれを常識としてきた
そうではないよ
あなたが見たから
それが見えたのだ
こう捉えてみなさい
宇宙空間に地球が浮かんで廻っている
どこに昨日や今日があるのだろう?
>気にいらないなら
世界に違うイメージを放てばいいのだよ
>そうして「ルール」を変更するのだよ
よくわからないのですが、イメージングの類ですか?
サボテンさん
世界のすべて
そして人生であなたに起こるすべては
あなたの受け取り方、見方で決まる
あなたがそれがおいしいと思えばそうだ
それが辛いと思えば
その出来事は辛いものとなる
辛いものがあるから
あなたがそれを受け取ったのではなく
あなたが辛いと意味付けしたから
それは辛いものとしてそこに存在している
つまりルールとはあなたの観念のこと
あなたがこれまで生きてきて作り上げた常識
それがいまのあなたを取り巻いている
もし現実を違うものにしたければ
あなたが変わることだ
だがそれは
お金がないからとても不幸で、
観念を変えたら大金持ちになって幸福になる、
そういう話ではない
そのように風に結びつける観念を変えるのだ
お金がないから不幸というルールを捨てるのだよ
つまりあなたが変わるだけだ
結果的に大金持ちになっているかもしれないがね
それはわからない
わからないという未知に任せればよい
自分さん お返事ありがとうございます。
>お金がないから不幸というルールを捨てるのだよ
これは、お金がなくとも不幸ではないと思い込むということですか?
サボテンさん
そうではないよ
お金がないということを認めるのだ
現にそこにないのだから
それはそうなのだ、と深く納得する
すると
お金がないという状況から引き起こされていた
焦燥感が出てこなくなる
つまりお金がない、ということに
振り回されなくなる
あなたを惑わさなくなる
お金がない、そのものになれば
あなたは「あなたのお金持ちになったときの幸福」と
同じ境地に立つだろう
すべては自分の中から湧き起こってくるのだよ
>そうではないよ
> お金がないということを認めるのだ
> 現にそこにないのだから
> それはそうなのだ、と深く納得する
> すると
> お金がないという状況から引き起こされていた
> 焦燥感が出てこなくなる
自分さん 上記の回答は通常の経験則と逆です。
すなわちお金がないということを認めると、現にそこにないということを現実に認めるがゆえに焦燥感が出てきます。
もう一つ
自分さんの回答は、お金がないことを認め、ないことについて納得するというものです。そもそもこの回答と、当初の言葉である「ルールを変える」とはいったいどのような関係にあるのでしょう?
私のもともとの質問は「ルールを変えるとはどういうことか?」でした。
それゆえ、今回の自分さんの回答と当初の質問のつながりがわかりかねます。
>お金がない、そのものになれば
>あなたは「あなたのお金持ちになったときの幸福」と
>同じ境地に立つだろう
ここが肝のような気もしますが、そのものになるとは振り返るなということなのでしょうか?
サボテンさん
ひとつ大事なことを伝えておこう
あなたがそうならば、そうなのだよ
あなたの観念の中にその世界が起こっている
そしてその世界に私やこのブログがある
それらが青色に見えているならば
あなたが青いメガネ越しに見ているということだ
仏教やキリスト教について
人々は様々な解釈をする
もちろん、「真実はどれだ?」が前提となる
あなたもそう
今回のお金の話について、
あなたは真実はどれだ?と考えている
そこであなたの考えと私のコメントを比較する
そのくだらなさに気が付きなさい
そこにあるのはその「問い」だけだ
あなたは答えを探そうとしている
自分の経験上はこうだ、だからこうである
そのように定義している
そして私の話に困惑する
この男の言っている意味がわからない
自分とは逆のことを言っている
どちらが本当なのか
真実はどちらなのか
いいかい
そこに問いがあることが真実だ
ゆえに「私が何かを言ったこと」が起きた
それが真実だ
「話の内容」のことではない
あなたが人生の堂々巡りを繰り返しているならば
それは答えを探そうとしているからだ
そうではなく
いまここで私と関わったことだけを見なさい
その内容は無視しなさい
私が何かを話しても
その内容を解釈しないようにしなさい
ただ単に、あなたがいまその年齢で
2015年の6月3日にコメントの返信があった、
その関わりがあったことだけを受け取りなさい
内容とはあなたが作っているのだよ
だからお金がない、というのも
実際にないわけではなく
あなたがない、としているだけだ
不幸だ、というのも
不幸などなく
あなたが不幸を作って遊んでいるだけなのだよ
私の話を聞いて
そこに内容を見いだせば
それは私が話しをしているのではなく
あなたが話をしている、ということだ
釈迦の残したあらゆる経典では
仏説〜と始まるがあれは平たくいえば
「私はこう聞いた」という意味だ
つまり釈迦が言ったことではなく
その著者が聞いて解釈したことを記している
じゃあ釈迦の言った本当のことはどうしたらわかる?
あなたが探しているのはこれと同じことだ
それは決して見つからない
なぜならば、探してるのはあなただからだ
あなたが何を見つけようとも
あなたが見たり聞いたりしたこととなる
それは釈迦の発したものではない
あなたの受け取ったものだ
つまり、あなたが受け取る「真実」とは
釈迦とあなたの関わりがあった、ただそれだけなのだよ
お金とあなたの関わりがある、ただそれだけだ
金持ちか貧乏なのかは
あなたが作ったゲームだ
私があなたに伝えていることは
あなたの返信している範囲ではない
いまはまだ理解できないかもしれないが
あなたの人生は、あなたが見たものでしかないこと
そこに気が付けば
あとは早い
自分さん、私、昨日、上のコメントのお返事と同じこと考えてました。
1時間前の夫と私の様子は、私が見て感じた記憶でできた風景でした。
私の世界は私で出来ている。
まわりの世界は勝手に流れていく。
それはただ流れてるだけ。
だから、夫のことも子供たちのことも、
私には私が付けた色でみえてるだけ。
ふふふ、なんだか心が軽くなりました。
今、『あなたはあなたの中でいきている』の言葉が心にしみてきます。
この感覚を忘れないようにします。
maychanさん
今回2回に分けて新しい手記を書いた
覗き穴から、というタイトルだ
これはあなたへ大切なことを伝えている
明日、後編を掲載するよ
>>タイミングに適した人材が
本当にタイミング悪すぎます。
最初にRESした時はサザエさん的風景から羨ましくなって…。
タイミングのことなど浮かびませんでしたが。
今日は法事で明後日からは仕事。
法事や仕事は関係なく出来事としてタイミングの悪さループが続いてるわけですね…。
全部、上がってくることが物事の筋に従ってる。仰ることが一つ、一つ、うなずけるけど、いつまでも荒らしは困るし慣れないとと…。
このタイミングの悪さはせめてズラせないとまずいですね…。
なんとかしなくちゃ…。
安定剤でも飲むかやロクなこと浮かばない。他の方々のように心軽くなるより、どうすりゃいいんだ的な感覚です。荒らして申し訳ありません。
2枚のカードで真実を知る が上がってきてますが…。その中の
>>巨大な宇宙の循環に
何もかもが飲み込まれていく光景を
が気になるけど、ここで区切ります。
お騒がせしました。どうして繋がるようになってるのか。
komattaさん
体験している物事ではなく、体験している自己に主眼を置きなさい。ならば主客は消えて「体験していること」だけが残る。つまり「いま」の次元に到達できる。
会員になる以前から気に入っていた手記ですが、シンクロニシティが起きているのをずっと永遠のエリアから見ていたんですね。
信念体系が変われば、見ている映像も変わる。
引き寄せやシンクロニシティ、願望実現は、このことなんですね。
私が今まで見ていた映像は、基本的には平和であるものの、たまにハラハラするスリリングな展開や切なさ、悔しさ、不安等盛り込まれていましたが、これからは、幸福な優しい出来事が延々と続く穏やかな映像が見たいです。
つらい映像は見たくない。
要らない信念はもう捨てよう。
優しい気持ち、幸せな思いを浮かべよう。
以前、テレビ東京でやっていた、いい旅夢気分っていう旅番組が好きだったんです。
桜の季節、紅葉の季節、内容も、変わらない観光地でお土産みたり、温泉、夕飯、朝食って、あまり刺激もないけど安心感があって。
今はやってないので残念です。老夫婦でもないのに、夫もその番組が好きで、新婚の頃よく見てました。
そういう平和な映像見たいな。
録画しておけば良かった。
tsuyukusaさん
>信念体系が変われば、見ている映像も変わる。引き寄せやシンクロニシティ、願望実現は、このことなんですね。
信念体系について少し話してみよう。
あなたは映画やテレビドラマ、漫画などを楽しんだりすると思うけども、だいたいは2つのジャンルに分かれるだろう。
ひとつは淡々と平和を描いたものやコメディのような、ただ漠然と開けたような作風であり、そしてもうひとつはシリアスやサスペンスなど、いわゆるヒューマンドラマ的なものだ。
後者は、起承転結を経て結果的にハッピーになったりする内容もあるが、やはりその道程を捉えれば「悲劇的」な部類になる。誰もがこういうのは自分の現実には起きて欲しくないと思い、悩みのない前者のような世界であってほしいと願うわけだ。
だがなぜそう思うのだろうか。それは私たちの人生とは、まさにその悲劇に常々巻き込まれてしまうからだ。
ところが、もし私たちが自らでその悲劇を望んでそうなるように創り出しているとしたらどうだろう?
「そんなわけない」とあなたはいうかもしれない。それはもちろんだ。誰も不幸など味わいたくない。
しかし、どうして私たちは悲劇的な作品をみるのだろう?
私はテレビドラマは詳しくないが、連続ドラマであるならば、やはりそのなかに主人公たちの苦悩や、取り返しのつかない失敗があったりするはずだ。
それは「嫌なこと」であるはずなのに、どうして人はそこでチャンネルを変えずに見続けるのか。
それはいつかそのモヤモヤが「スカッと解消すること」を求めるからである。
その解消はドラマの進行のなかの、たとえば主人公が苦悩から解き放たれた様子などで表現される。その姿をみて、あなたも心に鬱積していたものが浄化される。
だがどうして自分のことでもないのに、あなたは心にモヤモヤが積もっていたのか?
それはあなたが感情移入をしていたこと、主人公の苦悩を自分のことのように、己の意識上に「苦しみを再現していたこと」にある。
そうして再現されたモヤモヤはいつか解消されなければならない。つまりあなたはドラマを見続けなければならない。
これはドラマ制作者側での「うまく創るコツ」でもあるのだけども、いま話しているのはそこではなくて、これと同じことを、私たちは実際の日常生活で「自ら創作している」ということにある。
「モヤモヤ」と「解消」このワンセットが、信念体系内部の数あるアルゴリズムのなかで結構な割合を占めているものだ。
いいかい、
人は幸せになりたくて、まず自分から不幸をつくる。そうでなければ幸せを見出せないからだ。
これは重要なところで、つまり「幸せ」とはどこか離れたところに存在するものではなく、最初からここに開いているもの、つまり起承転結のない漠然とした平面そのもののことなのである。
だが私たちはそれはあまりに近くにありすぎて、それがみえない。ゆえに起伏を作ろうとする。その起伏は平面に対立するものであるから必ず悲劇となる。
悲劇と書けば意味が大きくみえるが、たとえば積み重ねる努力などもそうだ。その努力自体を楽しまずに、将来の報酬だけをみていまを蔑ろにしているなら、それは悲劇と同じだといえる。何か欲しいものがあって、それさえ手に入ればハッピーになれると考えているのも同じ。
ギリシア神話にシーシュポスという地獄に落とされた人間がいて、彼は山頂から転げ落ちた巨石を頂上まで押し上げるが、巨石は神によってまた下まで転げ落とされる。それをまた押し上げるということを永久に続けている。
「いまここにある平面」を見失うと、実際それと同じ地獄にはまり込むことになる。
だけども、もしシーシュポスがその不条理なサイクルのなかで「悦び」を見出したならどうだろうか。巨石を山頂まで持ち上げたという達成感に酔いしれるわけだが、それはつまり起伏のない平面に立ったということなのだ。
彼はその不条理ゆえに、最初からあった「何もなさ」に気づくのである。言いかえれば、その解放感のために悲劇を自ら引き込み続ける。
これを私たちの日常に置き換えてみよう。
どうしてわざわざ惨めになろうとするのか、どうしてネガティブな感情的に浸るのか。それは「解消(浄化)」を求めるための手段であり、だがその解消がなかなか到来しないときに、心を病むことになる。
そして問題は、はたしてシーシュポスは”そもそも何もない平面”で、つまり不条理なき世界で、幸福に気づけるのかどうかにある。
人間の信念体系はまさに「彼の問題」そのものが土台にあるといえる。
>いい旅夢気分っていう旅番組が好きだったんです。桜の季節、紅葉の季節、内容も、変わらない観光地でお土産みたり、温泉、夕飯、朝食って、あまり刺激もないけど安心感があって。
あなたは大丈夫だね。その安心感、包まれている実感こそが、彼のすべての行為の真反対にあるものだ。